|
1「別冊宝島 日本タブー事件史」宝島社
2「帝都東京・地下の謎86」秋庭俊 洋泉社 |
この本には当WEBサイト主宰の加藤健二郎氏も自衛隊について寄稿している。本文よりも巻末の作者プロフィール欄がおもしろい。堂々と「バグパイプ奏者」と記しているのだ。ほかの作者のプロフィールと比べても違和感がある。事情を知らずにこの本を手に取った人は困惑するのではないだろうか。まあ、困惑してもれえればインパクトを与える面ではうまくいったことになるのだが。 2の本もある種のタブーに触れた本である。これまで、このシリーズはMOOKを含めて3冊(「帝都東京・隠された地下網の秘密」「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎(MOOK)」)刊行されている。いずれも洋泉社である。MOOKは秋庭俊編で、既刊の2冊の解説本である。それでは、2の本は本編の3冊目にあたるかと思いきや、本人による既刊の2冊のオムニバス版である。いくつかは新たな着目をしているが、おおむね1の本と同じように楽しめる。印象を整理するには都合が良かった。また、既刊本を読んでいない人にはトリビア本としても楽しめるようになっている。 さて、「帝都東京・隠された地下網の秘密」は本編2冊に対して、本人介入で2冊も解説本が発行されたことになる。当方は、本編3冊目を期待するが、解説本の需要があるということはやはり内容が難解である証左ではないだろうか。当WEBサイトにかつて本編1冊目の感想文として下記の拙文を投稿したことがある。 そこで、当方が強引に前提条件を仮定してみた。まず、地下交通ルートには鉄道と道路がある。鉄道は多くの供用区間がある地下鉄なので理解しやすいが、道路は地下道がわかりやすいかたちで供用していないため理解しにくい。 本編から地下交通ルートにはいくつかのタイプがあるようだ。大きく分けると鉄道(地下鉄)と道路(地下道)だが、これらが複合したかたちの存在もありそうだ。これが秘密裏に構築されたとすれば公開されている都市計画を示しても意味はないだろう。しかし、ほかに指針は見あたらないので、震災後に公開された都市計画を地下ルート想定のベースにする。 |
◆図1 東京市免許線(大正14年5月16日) (1982年発行「地下鉄ガイド」(JRR)から引用。) |
地下鉄計画は震災以前にも公開されているが、先述の論理により震災でリニューアルされたと考える。震災以前の計画線と震災後の免許線には重複区間が多いので、もし着工していたとしても大きなミスにはならないだろう。 つぎに、道路(地下道)だが、これは明確に地下道の構築を謳った都市計画は見あたらない。震災後の道路計画は、1927年(昭和2年)8月公開の「大東京道路網計画」が大規模な街路整備のベースになると思われる。 (「大東京道路網計画」は、東京都都市計画局のWEBサイト http://www.toshikei.metro.tokyo.jp/plan/pdf/pdf-07.pdf#zoom=100 の東京都市計画図(震災復興事業図)で閲覧できる。小さい図なので見にくいかもしれないが、震災被害の大きかった墨田区、台東区、江東区、中央区の道路網を再整備するものである。) この街路網のいくつかに地下道を併設すると想定すれば良いのだろうか。 さらに、地下鉄と地下道が2層構造になっている区間もあるらしい。 くだんの地下鉄免許線が戦前にすべて完成していたと想定して、2005年3月現在の地下鉄路線図にプロットしてみた。(◆図2を参照。) |
◆図2 東京市免許線(大正14年5月16日)を2005年3月現在の供用済み地下鉄路線図へのプロット図。 |
当時の路線は連続利用されていないが、ほとんどの区間が何らかの地下交通ルートとして利用されている。平面図において、かつての免許線が浮き彫りになるが、立体的に見ても案外つじつまが合う。現在利用されている路線はおおむね浅い地下を通過しているのだ。JR京葉線など深いものもあるが、本線トンネルまでの地下空間は駅や機械室などに利用されているので、これらの空間が既存と考えれば良いのだ。(◆表1を参照。) |
◆表1 東京市免許線(大正14年5月16日)を2005年3月現在の供用済み地下鉄路線図 へのプロット図における各路線一覧。 「現在利用されている路線」で水色の背景色になっているのは道路での利用である。 ただし、路線2における環状4号は、トンネル構造に見えるが高架構造の首都高速目黒線 の直下の側面に蓋をしたかたちのものである。厳密にはトンネルではないが、ある程度の 距離をもつ用地を確保していたということで敢えて載せた。 また、括弧のある記載は、2005年3月現在は工事中の路線である。 なお、区間はわかりやすいように近隣の既存駅や代表的な交差点を記した。路線5の終点 は東陽町よりも木場に近いが、木場よりも東陽町の方が洲崎のイメージに近い気がしたの で、東陽町とした。 |
地下道については、なかなか想定が難しい。大東京道路網計画の街路群のうち幹線には地下道も併設されていたと考えれば良いのだろうか。たとえば、中央通り、昭和通り、清澄通り、靖国通り、八重洲通り、晴海通りなどである。 また、地下鉄との併設区間については、くだんの地下鉄路線の上層に設置されていたとする。すると、山手線と隅田川に挟まれた、中央区、台東区のほとんどの幹線道路には地下道が設置されていたことになる。 ここまでは、公開された都市計画を元に最大限に想定した地下交通ルートの全貌である。 本編には、さらに拡大エリアにおいて地下交通ルートの存在を示唆している。これらは、非公開の都市計画に基づくものだろう。当方には情報不足で想定が難しい。 当方は1作目を読んだ感想として、当時の土木技術では短期間にトンネルを堀削するのは難しいと記したが、少し考えを変えている。シールドトンネルならば確かに難しいだろう。シールドマシンの性能だけでなく、トンネルの出入口からしか堀り進めないので、予算が潤沢でも工期は長くなってしまうのだ。しかし、オープンカットで一気に溝を掘り、地下構造物を構築して埋め戻す工法ならば何とかなりそうだ。ただし、この場合は、工事現場を衆人にさらすことになる。秘密裏に進めることは難しい。 鉄道については、断続的にいくつかの区間においてトンネルは完成していたかもしれない。しかし、連続した営業線として供用できるものではなかったのではないだろうか。丸ノ内線が完成していたというのは信じがたい。当方の想定した路線では、現在の丸ノ内線はまだ存在していない、地上区間の存在は秘密裏には決して完成させることができない証左になる。池袋と新宿を結ぶルートならば、路線5の東西線との重複区間で東京駅付近まで進んで、新宿通りを通過する路線4で新宿へ到達するルートならば可能かもしれない。 最後に、当方が気になっている構造物を示す。(◆写真1を参照。) |
◆写真1 中央区明石町 首都高速環状線新富町出口の先の未供用の堀割区間。 築地方面は首都高速晴海線のルートにあたる。佃大橋方面のトンネルは用途不明。 (2003年9月13日、著者撮影。) |
首都高速環状線の新富町出口の延長上の堀割区間である。かつて、新富町出口は新大橋通りの手前の堀割内においてヘアピンカーブでUターンして三吉橋に接続していた。首都高速の出口構造の変更に関係なく、堀割内の空間は4車線分の道路用地が確保されている。くだんの三吉橋だけでなく地表の街路に接続するランプ(出入口)も完成している。堀割街路は、築地の晴海通りまで完成しているが、これまで一度も連続的に供用されたことはない。明石町までは、首都高速出口以外には利用されていないし、その先はかつて駐車場に利用されていたが今は閉鎖されている。閉鎖と言うより、これまでオープンだった堀割に蓋をしてトンネル構造に変更して、そのトンネルを封鎖しているのだ。 将来、首都高速晴海線のルートに利用されると考えられるが、この区間は湾岸線方面への一方通行になるので、4車線分の道路用地は不要である。晴海線が供用しても堀割道路は全面的に有効活用されることはない。いかにも不思議な道路である。 しかし、ここまでは単に河川から水を抜いて道路用地を確保したが未使用だったということで理解できる。理解できないのは、明石町方面への封鎖されたトンネルの存在である。どこに通じているのだろうか。地表の都道473号は、この先は隅田川を越える佃大橋に至る。堀割のレベルから佃大橋の高架区間に至るには早めに地表に向かうランプ構造に移行しなければならない。都道473号の明石町地内は、佃大橋と連続する立体交差の高架路のアプローチが近接している。堀割のトンネル口から高架路までの距離は100メートル足らずである。構造上、トンネルから佃大橋に接続させるのは難しいのだ。 |
◆地図1 未供用の堀割区間の位置図。 現地街路(新大橋通り)の歩道に設置された案内板の写真である。 築地方面のトンネルはかつて堀割のまま、その空間を駐車場として供用していた。 現在は、そこに蓋がかけられて、蓋の上を公園と駐車場に利用している。堀割区間は トンネル構造になったが使用していない。このトンネルは首都高速晴海線のルートに あたるため将来は高速道路として供用されるのだろうか。 (2003年9月13日、著者撮影。) |
それでは、このトンネルはどこに通じているのだろうか。このレベルで都道473号の下に向かうと東京メトロ有楽町線のトンネルの上に到達する。有楽町線は日比谷線と隅田川をくぐるため深い位置を通過している。 有楽町線は実は2層構造で、上に地下道を併設しているのだろうか。 明石町の写真を撮影したのは2003年9月13日である。当方はこの日、撮影後に秋庭氏と対面している。1作目の感想文を当WEBサイトに公開したことにより対面を希望されたのだが、当時「怒られるのではないか」とビクビクしていた。決して、本編を否定していないし、重箱の隅をつつくような愚行もしていないつもりだったが、やはり恐れていた。実際に対面してみると、全くそんな素振りすらない、精密な調査をするプロジャーナリストだった。 |