ほかにアンダーグラウンドが適用されるエリアとしては中央区の晴海通り、永代通
りに挟まれる銀座、日本橋が考えられる。くだんの書籍では、日比谷地下道について
触れている。また、「あのころは(すでに存在するトンネルの利用権を得るのは)早
いもの勝ちだった。」「街路の建設にしては、ずいぶん(掘り出した)土砂が多かっ
た。」という証言が記載されている。著者はこれらを地下鉄と結びつけていたが、地
下鉄という「線」ではなくエリア全体で考えてみる。
このエリアのすべての街路が2層構造でアンダーグラウンドが存在していたとする
と、地下1階にあたる浅い層を利用している区間が再利用と考えられる。これには地
下鉄銀座線、浅草線、日比谷線(晴海通り区間は除く)、道路では晴海通りの日比谷
地下道、昭和通りの一連の地下道および地下駐車場、それに八重洲地下街が該当す
る。地下鉄は駅にあたる箇所ではそのまま利用できないが、コンコースは利用できる。
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◆首都高速路線図、
および日比谷地下道位置図。
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◆画像11
日比谷地下道(アンダーパス)。
数寄屋橋交差点から晴海通り西行き、日比谷アンダーパス(UP)入口をのぞむ。
晴海通りをななめにオーバークロスする高架は、東京高速道路会社線。
(1984年5月12日、著者撮影。)
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◆画像12
日比谷地下道(アンダーパス)。
千代田区有楽町2、晴海通り銀座方向をのぞむ。
(1984年5月12日、著者撮影。)
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日比谷地下道は不思議な設定である。晴海通り西行きだけのトンネルで、数寄屋橋
から祝田橋までスルーできる。なぜ、東行きは建設されなかったのだろうか。西行き
だけに需要があるわけではない。さらに下には、地下鉄日比谷線があるが、垂直方向
での重なりなので、東行きトンネルを作れない理由にはならない。地下通路があるの
で余地がないのだろうか。それならなぜ、地下通路と道路トンネルを半端なかたちで
建設したのか。すでに4車線分の地下トンネルが存在していて、西行き2車線分を日
比谷地下道として、東行き半分を地下通路として再利用していると考えればよいのか。
このトンネルの存在は謎である。くだんの書籍でも納得できる説明はない。ただ、
晴海通りにアンダーグラウンドが存在していたとすればそれなりにつじつまが合う。
このように片方向だけの地下道には、第一京浜北行きから昭和通りへ連絡する新橋
地下道がある。新橋地下道については、第一京浜での右折交通の利便をはかるために
北行きだけを設置したと考えることができる。それでも、本町から三原橋まで、主要
交差点をアンダーパスで通過する昭和通りにおいて、第一京浜につながる肝心の区間
だけが片方向のアンダーパスになるのは理解しがたい。昭和通りにはアンダーパスの
ない区間には地下駐車場がある。
つまり、本町から三原橋までの江戸橋の川渡区間を
除くすべての区間に地下構造物がある。アンダーパスは中央の4車線だが、それをは
さむかたちで地下鉄浅草線が走っている。地平の道路幅員とほぼ同じ幅員の地下構造
物がある。昭和通りもアンダーグラウンドが存在していて、道路と地下鉄でそのトン
ネルを分け合ったのだろうか。
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◆画像13
新橋地下道(アンダーパス)。
中央区銀座8
昭和通り北行き、新橋アンダーパス(UP)出口、三原橋方向をのぞむ。
(1984年5月12日、著者撮影。)
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「帝都東京・隠された地下網の秘密」はユニークな本だ。とてもおもしろい。いか
なるかたちでも道路に関心を持っていただければそれだけでうれしい。惜しげも無く
多くのテーマを散りばめているので、著者にはターゲットをしぼってさらに詳細な追
求をのぞむ。ほかの視点からの追求でもおもしろいかもしれない。
ただし、市販地図に「暗号」が記されていて、誰かにトンネルの存在を示唆させて
いるという件は賛同できない。いかにもユニークな発想だが、あまりにも荒唐無稽で
ある。これは「トンデモ本」として取り扱ってほしいという罠なのだろうか。強面の
「ト学会」への挑戦とも読み取れる。こうした世界も嫌いではないが、少なくとも当
HPでの当方のスタンスはあくまでも「道路」なので、この報告では深入りできな
い。読み物として個人的に楽しませていただいた。
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