ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

東京アンダーグラウンド6



 首都高速道路は、世界に例のない画期的なシステムだった。当時の世界の高速道路 
事情は、欧米ではほぼ現在のかたちのネットワークが完成したが、これは日本では高 
速自動車国道にあたるもので、決して首都高速のような都心部の高度に市街化された 
エリアを縫うように建設されたものではない。基本的には、低い盛り土や浅い掘割に 
建設されている。橋やトンネルという構造物はなるべく作らないかたちだった。全区 
間構造物という高速道路は世界初である。都心部に高速道路が入り込んでいる都市は 
あったが、東名高速道路がそのままのかたちで渋谷や霞ヶ関に到達しているような、 
あくまでも道路主体で都市が成立していた。

 このようなかたちにしていたのは、やは 
り建設費を抑えるためである。構造物は高価である。条件によって相当差異はある 
が、単位距離あたりの都市高速道路の建設費は都市間高速道路の10倍である。これ 
は、1960年代も現在もあまり変わらない。首都高速の羽田から代々木までの建設 
費と東名高速道路全線の建設費には大差がない。しかも占領軍の管轄下から逃れてか 
らオリンピックまでは10年足らず。工期も短い。やはり、多くのトンネル区間はす 
でに完成していたのだろうか。

◆画像9
 首都高速(C1)環状線、霞ヶ関ランプ(霞ヶ関トンネル)模式図。
(財団法人首都高速道路協会発行(2002年7月)の「首都高速道路出入口案内」 
から引用。)
 地下自動車道は存在していたのだろうか。
 首都高速というシステムですら世界に例はなかった。地下自動車道は、さらに困難 
なシステムではないのか。くだんの書籍では、キーワードとしては何度も登場する 
が、システムは説明していない。地下鉄にしては示唆させる一文はあった。もし存在 
したとすれば、どのようなシステムだったのだろう。

 1920年代にはアンダーグラウンドという考えはあった。これは、都心部の既存 
街路の真下に同じように地下街路を建設し、隣接する建物の地下1階に連絡するもの 
である。シカゴのアンダーグラウンドは有名だ。1980年に公開されたUNIVE 
RSAL映画「ブルース・ブラザース」(主演はJOHN BELUSHI、DAN 
 AYKROYD)にはアンダーグラウンドのローワーワッカー通りを爆走するシー 
ンがある。これはワッカー通りという地平の道路の真下に建設された地下区間で 
「ローワー(lower)」と付加されている。

 なお、このシーンの直前ではマコーミック 
プレイスで待ち構えるバリケードを突破して、そのまま北上し、ローワーワッカー通 
りにパトカー軍団を引き連れて侵入している。走行ルートに矛盾がない。B級映画で 
はこのあたりは撮影しやすい場所を選んで無理やりつなげたりするが、さすが映画へ 
の思い入れの強いアメリカは、このあたりのごまかしはいないらしい。一般車両を排 
除して撮影したとは思うが、よくあんな幹線道路での撮影を許可したものだ。※2
 アンダーグラウンドは、日本ではあまり例がない。新宿副都心の街路が近いかたち 
になっているくらいだ。

 くだんの書籍に記されている地下自動車道とはアンダーグラウンドのことではない 
だろうか。1本の街路だけに設置しても単なるアンダーパスだが、格子状に複数の街 
路に設置すればアンダーグラウンドとして機能する。
 首都高速(C1)環状線の霞ヶ関トンネルは、溜池から三宅坂までの区間で、途中 
にフルセットの霞ヶ関R(ランプ)がある。霞ヶ関Rは全方向ともセンターランプ形 
式で、それぞれ2車線ずつ。本線は2車線のトンネルが霞ヶ関Rをはさむかたちにな 
っている。つまり、本線とランプで合わせて8車線分のトンネル、およびトンネルへ 
のランプになっている。この幅員は、ほぼ地平の道路(六本木通り)の幅員と一致す 
る。もし、この区間がすでに存在しているトンネルの再利用とすれば、そのトンネル 
はアンダーグラウンドだったと言える。

※2 ブルース・ブラザース
「ブルース・ブラザース」は名画である。揶揄するつもりは全くない。ただ、どうし 
ても道路が映るシーンになると、どこの道路か気になってしまう。そのためほかの 
(主として車の走行シーンの多い)映画でも、実は道路の視点で語ることができる。 
映画評論は確立された分野で多くの知識人が関わる聖域である。この分野に当方のよ 
うな無粋なものが関わるのはまずいが、もし機会があれば案外関心を持っていただけ 
るかもしれない。新しい映画では「スピード」「タクシー」で走っている道路の説明 
なんかが良いかもしれない。まあ、映画は芸術の世界ですので、やはり当方なんかが 
関わるのはまずいかな。

◆画像10
 首都高速(C1)環状線、霞ヶ関トンネル溜池側アプローチ部。
 千代田区霞ヶ関3、内閣府下交差点から溜池方面をのぞむ。
(1983年11月11日、著者撮影。)

続く