ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

東京アンダーグラウンド4



 首都高速には多くのトンネル区間が存在するが、一部の区間が既存の地下トンネル 
の再利用であると記している。これは事実だろうか。

◆画像2
 首都高速(Y)八重洲線、八重洲トンネルのタイル剥離現場。
(2002年4月24日撮影。首都高速道路公団のWEBサイトから引用。)

◆画像3
 首都高速(Y)八重洲線、八重洲トンネルのタイル剥離箇所(◆画像2の近影)。
(2002年4月24日撮影。首都高速道路公団のWEBサイトから引用。)
 2002年4月24日、首都高速(Y)八重洲線の八重洲トンネルでトンネル壁面 
のタイルが剥離し、その剥離タイルを踏んだ車両7台がパンクする事故が発生した。 
比較的交通量の少ない八重洲線の事故なので大事には至らなかった。汐留トンネルや 
赤坂トンネルなど交通量の多い区間でなかったのは不幸中の幸いだろう。トンネル壁 
面の剥離は、数年前に山陽新幹線の福岡県内のトンネルで話題になった。ある程度は 
劣化起因で仕方がないが、八重洲トンネルの場合は、3ヶ月前の2002年1月31 
日に同箇所の補修を行っている。補強時の配慮もれということで帰結させているが、 
果たしてそれが真因だろうか。(このあたりから憶測です。)八重洲トンネルは14 
00メートルで、南北両方向で2本のトンネルになっている。首都高速道路公団の報 
告書にはトンネルのどの位置で剥離があったのか詳細は記していないが、画像2から 
北行きの西銀座側の入口付近であることがわかる。


「首都高速道路の八重洲トンネルタイル剥離事故における事故原因調査結果について」
(2002年5月10日 首都高速道路公団発行のレポート)
<PDFファイル>

◆画像4
 首都高速(Y)八重洲線、
  北行き八重洲トンネル入口
 (西銀座側)。
(1984年5月12日、著者撮影。)
 八重洲トンネルは、外堀通りの地下を通過する。剥離箇所は、外堀通りと鍛冶橋通 
りの交差箇所、鍛冶橋交差点下付近である。この地下は複雑な構造になっている。八 
重洲トンネルは南北各方向で分離していて、南行きには北行きトンネルと立体交差し 
て鍛冶橋通りの二重橋方面への丸の内出口があり、出口ランプが分岐して地上に到達 
している。さらにその下には、JR京葉線の東京駅がある。正確には鍛冶橋交差点の 
西側に位置しているが、鍛冶橋交差点下では4本の鉄道路線が並ぶ広い地下空間が広 
がっている。

 東京地下駅は、1972年に総武線が乗り入れたときに丸の内口下に完成してい 
る。以降、1980年に横須賀線が開通して、地下トンネルは南に延びた。このと 
き、横須賀線と直交する京葉線の東京駅も同時に建設したと言われている。京葉線の 
開通は1990年3月10日だが、実はこの路線は京葉線として計画されたのではな 
い。成田空港と東京駅を結ぶ成田新幹線の路線だった。京葉線の東京駅は、成田新幹 
線の東京駅なのである。

 成田空港は1978年に開港しているが、それは諸事情によ 
り開港が遅れたせいで、インフラのほとんどは1970年ころには完成していた。こ 
のインフラには成田新幹線も含まれる。成田空港の開港当初は、空港ターミナルに鉄 
道は直行していなかった。近隣の駅からバスに乗り換えていた。実は、空港ターミナ 
ル直下にはすでに地下駅は完成していた。路盤も数キロ完成していた。その先は着工 
の目処すらつかない。それでもいずれは新幹線を通そうと考えて、長らく地下駅は放 
置していた。しかし、あきらめて在来線を接続させて総武線経由のNEXを走らせて 
いる。(京成線も乗り入れている。)

 東京駅も同じではないだろうか。1972年の総武線東京駅完成時にはすでに成田 
新幹線東京駅は完成していた。成田駅が完成していたのだから、東京駅が完成しても 
不思議はない。首都高速の八重洲トンネル区間は1973年2月15日に開通してい 
る。総武線東京駅の開業と八重洲トンネルの開通時期はかなり近い。1972年から 
73年にかけて、東京駅を囲みこむ地下構造物がまとめて完成している。偶然だろう 
か。成田新幹線の東京駅も完成したとすれば、1967年に開通した地下鉄東西線を 
含めて、東京駅を完全に囲んでしまう。これらは、いにしえの財産の再利用なのだろ 
うか。

◆画像5
 首都高速(C1)環状線、(Y)八重洲線、神田橋JCT。
 神田橋JCT分岐合流部から(Y)八重洲線、八重洲トンネルをのぞむ。
(1982年5月9日、著者撮影。)
 八重洲トンネルが開通して約30年、劣化によりタイル剥離が生じても不思議はな 
い。京葉線東京駅が1990年の開業に合わせて建設されたとしたら、開通後20年 
を経ている八重洲トンネルの下を掘り起こすことになる。何らかの歪が生じても不思 
議はない。1980年代には京葉線東京駅の工事により長期間にわたって、鍛冶橋通 
りは制限された。それが完成した地下駅の掘り出しか、新規に掘り起こしているのか 
はともかく、公道で大規模な工事が行われていたのは事実である。中央環状新宿線の 
工事により、山手通りでは何度も通行帯が変更されている。これと同じことが鍛冶橋 
通りでも実施された。首都高速八重洲線南行きの丸の内出口だけは構造上、通行帯を 
変更できないので、出口ランプで地上に達した直後に曲折させるような無理な制限も 
行われていた。また、ランプ部の側壁崩壊を防止するため、狭いランプの路肩には矢 
板が打ち付けてあった。
 本当のことは知らない。下記のいずれか、当方には適切な選択はできない。
(1)すべて75年前に完成していた。
 八重洲トンネルも東京地下駅もすべて75年前に完成した地下トンネルの再利用 
で、コンクリート構造物の寿命を迎えて崩壊している。※1
(2)75年前に完成していたトンネルの補強、または埋め戻し後、新たにトンネル 
を掘削した。
 現在は使用されていない古いトンネルが崩壊して、そのトンネルと接する現トンネ 
ルが崩壊している。
(3)開通年次にあわせてトンネルは掘削された。(古いトンネルは存在しない。)
トンネルの下にトンネルを追加したときの無理が生じただけである。または、開通後 
30年の劣化のせいである。

※1 八重洲トンネル
 八重洲トンネルは外堀通り直下にある。外堀通りは、飯田橋や市ヶ谷では外堀の脇 
の道路になっているが、八重洲では本当に外堀だったところを埋めて道路にしてい 
る。本当に埋めたのだろうか。外堀に蓋をしただけなら、八重洲トンネルを含む地下 
空間が生み出される。この付近の外堀通り8車線分の広幅員だが、なぜか中央分離帯 
のないのっぺりした構造になっている。一般的には植樹を配置した築堤を設置して、 
東京駅という玄関の景観を良くしようとするのではないだろうか。丸の内口の景観に 
比べると、八重洲口はあまりにも殺風景である。

◆画像6
 首都高速(Y)八重洲線、南行き八重洲トンネル出口(西銀座側)。
 左側のコンクリート塊は、北行き八重洲トンネル入口アプローチ部。
 八重洲トンネルの西銀座側は南北各方向でトンネルはセパレートになっている。南 
行きの方がわずかにトンネル区間が長い。
(1984年5月12日、著者撮影。)

◆画像7
 首都高速(Y)八重洲線、東京高速道路会社線、西銀座JCT。
 千代田区有楽町2、交通会館から西銀座JCT、および外堀通り有楽橋交差点をの 
ぞむ。
(1984年5月12日、著者撮影。)

続く