八重洲トンネルの事故後、首都高速のすべてのトンネルにおいて緊急点検が実施さ
れた。タイル剥離だけでなく浮き、劣化も含めて2002年5月10日に箇所数一覧
を公開している。箇所数では、107箇所の八重洲トンネルが最大数で、1973年
以前に開通したトンネルには何らかの異常を見つけている。交通量や立地条件などに
もよるが、開通後30年というのが剥離の生じる時期ということだろう。
ところで、八重洲トンネルは1400メートルだが、渋谷トンネルはわずかに53
メートルである。異常個所数だけではトンネル全体の劣化がわかりにくい。単位距離
あたりの異常箇所数を求めてみた。
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◆八重洲トンネル及び同様なタイルのトンネルにおける緊急点検結果
2002年4月24日に実施された点検結果を首都高速道路公団が公開した一覧表。
「開通日」「箇所数/トンネル延長」は、当方が追記した。
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1キロあたりに換算した異常個所数では、飯倉トンネル、渋谷トンネル、信濃町ト
ンネル、青山トンネル、そして八重洲トンネルの順になる。飯倉トンネルは環状線外
回りだけのトンネルで、その直上には一般道路を挟んで高架構造で環状線内回りが走
っている。変則なダブルデッキで、トンネルと高架は一体構造になっている。このよ
うな構造上の無理があり、さらに開通して35年を経て劣化に至ったのだろうか。渋
谷トンネルは、トンネルというよりはアンダーパスに近い構造である。この区間は一
般道路が並走するかたちになっていて、トンネルも一体構造である。首都高速と六本
木通りの大断面のトンネルである。青山トンネルも同じ構造である。当時は大断面ト
ンネルが目新しい技術だったので、何らかの無理があったのではないだろうか。
ここまでは、一般的な評価である。(このあたりから憶測です。)1973年以前
に開通したトンネルの中では羽田トンネルの異常箇所数が著しく少ない。羽田トンネ
ルは開通してから39年を経ている。30年から35年というあたりが、剥離が生じ
る時期とすれば、39年でほとんど異常のない羽田トンネルが特異になってしまう。
トンネル延長が短くて、統計的に信頼度が薄いのだろうか。いや、300メートルも
ある。しかも海底トンネルである。最も異常が多くてもおかしくはないきびしい条件
におかれている。それならば、30年から35年で剥離が見られるほかのトンネル
は、完成時期と開通時期は合っているのだろうか。本当はもっと古い時期に完成して
いたのではないのか。
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トンネル点検の結果、トンネル1キロあたりの浮き、劣化箇所数が50以上のトンネ
ル位置図。
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さて、異常個所係数の高いトンネルの位置を検証してみる。すると、実に怪しい箇
所ばかりだ。東京以外の日本の都心には決して見ることの出来ない広いスペースが隣
接している。現在は官公庁関連施設や学校、公園だが、戦前は軍関連施設として利用
されていたものが多い。当時の施設名称ではなく、あえて現在の施設名称を記す。手
元に昭和16年の東京の地図があるので、施設名称はわかるが、用途まではわからな
い。それに、あまり深入りすると当方の役割が変わってしまうので、あしからず。
(1)飯倉トンネル
東側に外務省公館、ロシア大使館。
(2)青山トンネル、渋谷トンネル
南北両側に青山学院大学、南側に実践女子学園。
(3)信濃町トンネル、赤坂トンネル
赤坂トンネルは迎賓館の下を通過している。
信濃町トンネルは、南側に明治神宮外苑。
(4)北の丸トンネル
北側に北の丸公園(科学技術館、日本武道館)、南側は皇居である。
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◆画像8
首都高速(C1)環状線、北の丸トンネル(竹橋側)
(1982年5月9日、著者撮影。)
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地下自動車道があったとは言わないが、何らかの地下構造物が戦前に建設されてい
たとしても不思議はない。むしろ、防空対策でシェルター(防空壕)を設置するなら
ベストポジションと言える。飯倉トンネル以外は、1964年の東京オリンピックま
でに開通している。
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