ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

新規高速道路建設と交通量の関係 3



【首都高速の開通区間】
 1991年以降の首都高速の開通区間について分析する。
 大きく分類すると、湾岸線全通など湾岸線関連区間の充実、および埼玉方面への延 
長、中央環状線の整備である。それぞれについて交通量の変化を確認する。
1991年以降の首都高速道路の開通区間
(1)湾岸線関連

 1993年8月26日の11号台場線の開通により、主として湾岸線千葉方面から 
のアクセスが9号深川線と2ルートになり利便性が高まった。この年は、9月27日 
に空港中央まで開通し、東京都心と羽田空港、および成田空港と羽田空港のアクセス 
は格段に良くなった。ところが交通量は、これらの開通前後で全く変わっていない。 
1991年からの減少傾向を正常と考えれば、現状維持は事実上の増加とも言える 
が、それにしても既存路線の複線化の効果はなかなか現れにくいものだ
 1994年12月21日には大黒JCTまで延伸された。これで、東京と横浜の間 
も2ルートになった。横浜地区にとっては画期的な開通である。首都高速全線ではな 
く、神奈川線だけで交通量の変化を確認すると、1994年8月から翌年8月で1. 
12倍(243141台から273173台)になっている。案外少ないのには驚き 
である。神奈川線の交通量は、狩場線の全通により1990年には前年比で1.38 
倍(156710台から217634台)になったのに、狩場線より高規格の湾岸線 
の開通効果はいかにも少ない。

 横浜の湾岸線はさらに延伸し、2001年10月22日に横浜横須賀道路の並木I 
Cまで全通した。ところが交通量はほとんど変わらない。1995年以降、約27万 
台のままである。湾岸線の時短効果は絶大である。この利便性により、湾岸線へのシ 
フトがスムースに行われ、既存路線の交通渋滞を解消し、さらに一般道路を利用して 
いた潜在需要の高速へのシフトも行われるはずである。高速道路では、横浜横須賀道 
路や首都高速狩場線、羽横線などの渋滞回数は少なくなった。一般道路でも横浜市内 
の国道16号の交通渋滞は少なくなった。それでも首都高速の交通量は変わらない。
 
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首都高速(K6)川崎線
殿町R
2002年4月30日開通
(2002年6月12日
 著者撮影)
 
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川崎浮島JCT、浮島SA 完成模型
(「建設グラフインターネットダイジェスト」
 2002年11月分から引用)
(2)埼玉延長

 新大宮BP(R17)上を北進し、2000年4月17日までに新都心西に達し 
た。新都心西Rはさいたま新都心の中心地区までは到達していないので、与野Rまで 
開通した1998年5月18日が、事実上の全通時期である。美女木以北は埼玉線と 
して別料金になっている。交通量は開通年から2002年までに1.49倍(229 
36台から34388台)に増えている。これは徐々に増加したもので、2003年 
以降も増加すると考えられる。今のところ、新大宮BPの交通量に比べてあまりにも 
交通量は少ない。首都高速が高規格一般道路と重なっている区間では、そのほとんど 
が首都高速の方がはるかに交通量が多い。走行速度が速いため交通容量も大きいので 
当然である。埼玉線には7万台くらいは担ってもらわなければ健全な交通状況とは言 
えないだろう。

 首都高速の交通量は、東京線が減少傾向、神奈川線が現状維持、埼玉線が増加傾向に 
ある。東京線の交通量は首都高速全体の72.6%を占めるため、埼玉線だけが孤軍 
奮闘していても全体の減少傾向は食い止められない。統計処理の都合で、埼玉線から 
東京線へ直通したとき2台としてカウントされる。つまり、埼玉線を別料金にするこ 
とにより統計上の交通量は急増するはずだった。たとえば、名古屋高速の小牧線が開 
通したとき尾北区間として別料金化したため交通量は1.20倍になった。実体は名 
古屋区間への直通が80%である。つまり、交通量の増加は5000台程度で、倍率 
では1.07倍程度である。あまり厳格に分析するとわかりにくくなるので、ここで 
止めておくが、埼玉線と東京線を直通する車両を1台でカウントすれば、首都高速の 
全体交通量はさらに少なくなるはずである。
 
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首都高速(5)池袋線、東京外環自動車道
美女木JCT
1993年10月26日開通
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会 
1999年1月発行)から引用)
 
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首都高速(S2)埼玉新都心線
与野JCT、新都心西R
2000年4月17日開通
(「高速道路と自動車」
(高速道路調査会 
2001年3月発行)から引用)
(3)中央環状線の整備
 1991年以降の建設で最も大きな費用が投じられたのは中央環状線である。20 
02年までの開通区間としては湾岸線の横浜ルートが最長だが、この建設は1980 
年代から継続して、1990年代に実を結んだということになる。1990年代には 
工事は進行させたが、開通には至らなかった。2002年12月に王子線区間(7. 
1km)が開通するが、新宿線、品川線は2000年代後半以降の開通予定である。 
名実共に「中央環状線」になるにはまだ10年近くはかかるだろう。
 
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首都高速(C2)中央環状線
五色桜大橋
2002年12月開通予定
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会 
1997年5月発行)から引用)
 
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首都高速(C2)中央環状線
板橋JCT
2002年12月開通予定
(「首都高速道路出入口案内」
(首都高速道路協会 
2002年7月発行)から引用)
首都高速中央環状線の進捗状況については、編集部で取材継続中の「地下に1兆円を 
埋めるプロジェクト」「バブル絶好調」で確認できる。キャプションが少ないので土 
地感のない方には場所の特定は難しいかもしれないが、キーポイントの現地画像を時 
系列で見ることができるため資料価値は高い。

・中央環状王子線
2002.9.11 王子6
2002.9.10 王子5
2002.9.9  王子4
2002.3.14 王子3
2002.2.12 王子2
2002.2.5  王子1

・中央環状新宿線
2002.12.15続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 20 中井駅の南
2002.12.3 続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 19 東長崎地区の南側
2002.11.6 続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 18 60メートル駆け上がりトリプルスパイラル
2002.9.13 続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 17 元代々木本町〜初台
2002.8.21 続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 16 中野坂上の南側
2002.8.11 続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 15 東中野駅の南
2002.6.26 続地下に1兆円を埋めるプロジェクト 3 杭打ちバブル、南へ移動
2002.6.2  地下に1兆円を埋めるプロジェクト 14 流れがかわったところに杭打ちの隣
2002.5.16 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 13 東大駒場の裏
2002.4.24 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 12 東長崎にもバブルの余波
2002.4.5  地下に1兆円を埋めるプロジェクト 11 回転水平多軸掘削機

2002.3.26 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 10 流れがかわったところに杭打ちに追加
2002.3.24 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 9 蓋が開いた
2002.3.15 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 8 杭打ちバブルの要町
2002.2.21 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 7 流れが変わったところに杭打ち
2002.1.26 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 6 要町
2002.1.24 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 5 流れが変わった
2002.1.19 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 4 でっかい機械が来た
2002.1.18 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 3
2002.1.11 地下に1兆円を埋めるプロジェクト 2
2002.1.7  地下に1兆円を埋めるプロジェクト 1

続く