ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

新規高速道路建設と交通量の関係 2



【交通量、開通延長の経年変化】

 1991年までは、開通延長と交通量は比例関係にあった。開通延長を延ばすごと 
に交通量も増えていった。この傾向は、国内のすべての都市高速道路に見られる一般 
的な傾向である。高価な都市高速道路を交通量が増えないのに建設するはずがないの 
である。ところが、首都高速道路と阪神高速道路、北九州高速道路においては、19 
91年以降交通量は増えていない。開通延長にほとんど変化のない北九州高速道路は 
除外して、首都高速道路と阪神高速道路について詳細に分析する。
各都市高速道路の各年8月の交通量
 1991年の交通量を100とすると、2002年の交通量は、首都高速が10 
0.9、阪神高速が112.7、名古屋高速が175.9、福岡高速が214.2、 
北九州高速が90.6である。(広島高速は1997年10月開通※のため分析対象 
外とする。)名古屋高速と福岡高速は開通延長を延ばすごとに順調に交通量も増えて 
いるが、同様に開通延長を伸ばしている首都高速と阪神高速の交通量は増えていな 
い。名古屋高速、福岡高速ともに高速道路空白地帯を結ぶ区間が順次開通しているの 
で、潜在的な交通需要が十分である。したがって、この傾向は納得できるものである。

 首都高速、阪神高速も1991年くらいまでは同様の傾向が見られた。1991 
年以降、首都高速、阪神高速ともに既存路線のバイパス的効果のある路線が順次開通 
している。そのため、如実に効果が現れることはない。ところで、こうしたネット 
ワークの最大効果は、既存路線を含む関連路線の走行性向上である。高速道路は、走 
行速度が高くなれば、より多くの交通をさばくことができる。これは、既存路線の交 
通需要が容量をオーバーしているケースに成立する論理である。首都高速、阪神高速 
の既存路線は慢性的な交通渋滞が発生していたが、2本目の路線を建設するほどでは 
なかったということだろうか。

※広島高速の開通
 1997年10月、既設の一般有料道路「安芸府中道路」が広島高速道路に格上げ 
された。これが、広島高速道路公社として初の開通区間になった。ただし、安芸府中 
道路としては1986年3月に開通していた。開通当初は2車線の交互通行で、広島 
高速格上げ時もそのままだったが、1998年に4車線化され(一部線形改良)、名 
実共に高速道路化された。
首都高速道路の開通延長と各年8月の交通量
阪神高速道路の開通延長と各年8月の交通量
 1991年の開通延長を100とすると、2002年の開通延長は、首都高速が1 
24.5、阪神高速が140.1である。総延長は、それぞれ273.9km※、2 
21.2kmに達している。ほかの都市高速道路に比べて突出している。(名古屋高 
速の全開通延長は49.6km、広島高速は11.2km、福岡高速は38.7k 
m、北九州高速は49.5kmである。)
 
※2002年12月開通予定の首都高速(C2)中央環状線の板橋JCTと江北JC 
Tの区間(7.3km)は含まれていない。
首都高速道路、阪神高速道路の
単位延長あたりの各年8月の交通量

各都市高速道路の
2002年8月の単位延長あたりの交通量

 やや乱暴な分析だが、交通量と開通延長から単位延長における交通量を求めた。開 
通延長に対して、交通量が追随しているか判定する目安になる。また、交通密度(走 
行性能)の目安になる。この値が大きいほど効果的であり、交通需要が大きいと言え 
る。逆に小さいほど、走行性能は高いが過剰供給と言える。2002年8月では、名 
古屋高速が最大値で、阪神高速、首都高速が続いている。首都高速、阪神高速につい 
て1983年以降の単位交通量の経年変化を見ると、首都高速が1992年、阪神高 
速が1988年をピークに減少傾向にあることがわかる。ピーク時の交通量は、それ 
ぞれ5127台/km、5619台/kmで、2002年最大の名古屋高速の428 
9台/kmを大きく上回る。

 ピーク時にすべての建設をフリーズすれば、最小供給で最大需要をまかなう最も健 
全な経営を維持できるのだろうか。これは、交通量と開通延長以外の情報をカットし 
たデータによる偏向意見である。それはわかっているが、ピーク以降の供給が10年 
以上も効果を発揮しないと、一概に否定できないような気もしてくる。

◆阪神淡路大震災
 1995年1月17日の阪神淡路大震災の被災状況は、阪神高速道路の交通統計に 
も如実に現れている。神戸線などの長期に渡る通行止めにより交通量が著しく減少し 
た。そのため単位交通量も少なくなる。その後、順調に復帰して以前の交通量に戻っ 
ていった。ただし、復帰後も1991年以降の低成長時代が継続していた。1995 
年の突出した値を飛ばしてグラフにすると、震災前後で何ら傾向が変わらないことが 
わかる。つまり、強烈なインパクトのあった震災は、低成長傾向には加速も減速もも 
たらさなかった、全く影響しなかったということである。災害復帰とは、「元に戻 
す」という、ただそれだけの意味しかなかったのだろうか。

続く