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小泉ニッポン!"東アジア一人ぼっち"劇場 3

(報告:常岡千恵子)


 お次は、シンガポールの新聞の社説の要約をご紹介する。

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『ストレーツ・タイムズ』(シンガポール)2005年10月20日付
     −小泉の無謀な行為


 日本の異端首相・小泉純一郎は、平和を守るために靖国神社を参拝する、
と主張し続けてきた。
 先の戦争での日本の痛ましい記録を考えれば、これは、文字通りの意味
において、指導者たちが抱くにふさわしい心情である。

 だが、靖国神社は、失われた純粋さや消えた日々だけに捧げられた追悼
施設ではない。
 戦争犯罪人の軍国主義者の魂も祭られた、この民間の神社に参拝すると
いうことは、本質的な神聖冒涜的行為だ。
 これらの軍人は、太平洋戦争中に、中国、韓国および東南アジアでなさ
れた凶悪行為の責任者であり、これらの国々が深く反対している儀式をご
まかすことは、まさに不快である。
 だからこそ、小泉氏の再三に渡る参拝は、無謀な行為なのだ。

 首相就任後、毎年参拝する彼の献身ぶりは感心するが、対米関係以外の
日本の外交に対するコストはいかなるものか。
 
 彼の参拝の翌日、100人に上る自民党国会議員も、参拝した。
 安倍晋三自民党幹事長代理が、来年9月の小泉首相退陣後の、自民党総
裁(首相)候補だという予測もある。
 彼は、靖国参拝常連を自認し、現職の首相は靖国を参拝する義務がある
と感じている。
 靖国神社の日本政府における影響力は強く、近隣諸国は、日本が過去と
決別するときが訪れるのか、定かではないと感じている。
 
 このうんざりするようなサイクルは、続かなければならないのか?
その出口は、自民党が無宗教の追悼施設の創設を真剣に働きかけること
にある。
 永遠の平和探求者である小泉氏は、(首相辞任後)自民党の長老として、
新たな追悼施設で永遠の平和的理想を祭ることに反対する党内の抵抗者
の説得に、エネルギーを注ぐことができるはずだ。

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 次は、あの櫻井よしこ氏が、その昔アシスタントとして働いていた米紙
がどう報じたか、記事の要約を、お楽しみいただきたい。

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『クリスチャン・サイエンス・モニター』(米) 2005年10月21日付
     −小泉の参拝が議論の的の歴史観を後押しする


 今週、小泉首相が5度目の靖国神社参拝を行い、アジアの怒りの抗議を 誘発した。  東京の下町の厳かな森に囲まれたこの神社は、紫や黄色の菊に満たされ、 アジアの怒りや日本の軍国主義の争点とは無関係にみえる。  小泉氏は、参拝は心の問題で、他者は関係ないという。  彼のアドヴァイザーの中にも、小泉氏が参拝し続ければ、世界はこの問 題に飽きて忘れるだろうと感じている者もいる。  しかしながら、この願いが叶わないだろう第一の理由は、小泉氏がコイ ンを投げ入れて祈った場所からわずかな距離の、神社の敷地内にある。  "日本近代史に新しい光を当てる"という目的を公言している、"遊就 館"と名づけられた博物館だ。  実際、この博物館は、日本の20世紀の軍事行動とアジアにおける役割 の極端な物語を、正式なものにしようとしているようだ。  この新しい史観は、日本をアジアの殉教者かつ救世主として描いている。  その無反省なナショナリズムと天皇崇拝、軍隊の美化は、なぜアジアの 人々が戦後日本が"学んだ教訓"について懸念を抱くのかを、生々しく示 しいる。  今週、小泉氏が参拝した後、何千人もの日本人が10ドルの入場料を払 って遊就館を訪れた。  彼らは、日本がロシアの共産主義やヨーロッパの帝国主義からアジアを 守るために中国と朝鮮を支配した、と見聞きした。  彼らは、日本はルーズベルト大統領の"謀略"で真珠湾攻撃を"強いら れた"、と教えられた。  日本による大虐殺や慰安婦、拷問にかけられた戦争捕虜たちについては、 何も言及されていない。  ホノルルのアジア太平洋安全保障センターのリチャード・ビッツィンジ ャー氏は、「10年前のあの博物館は、日本人と外国人の失われた命につ いて、ある程度、遺憾と反省を含んでいた」と言う。  そして、「当時は、あの戦争について物語を語ろうとする努力はなされ ていなかった。今は、リビジョニスト(史観)だ。糊塗だ。日本と外国の 多くの命が失われた大きな戦いを、単に"作戦"とか"事件"と呼ぶ」と 語った。  そのひとつ、1937年に10万人もの(中国の)民間人が殺されたと 考えられる"南京事件"については、服従を拒んだ市外の人たちだけが傷 つけられた、と示唆している。  ビッツィンジャー氏は、「南京は、非常に瑣末な、兵士が多少ハメを外 したどんちゃん騒ぎのように扱われている」と述べた。  ヨーロッパの戦争についてのパネルでは、ヒトラーが"第一次世界大戦 で失った土地を奪回しようとした"だけだとされている。  600万人のユダヤ人虐殺や、その他の文脈は言及されていない。  学者たちは、この新しい歴史観が、とにかくこれまでも正直な説明を知 らされていない日本国民に、潜在的に摺り込まれている、と指摘する。 教科書や学校は、戦争の原因や日本の行為をほとんど教えない。 さらに、この国の人気のある首相の靖国神社参拝が、"日本は無罪"派 に正当性を与えている。  ある外国の外交官は、「国民は、この極端な歴史観に日常的に接してい る。小泉氏があの神社に行けば、確かにこれを肯定しているように受け取 れる」と語った。  もちろん、現代の日本はコスモポリタンで多様性があり、全般的な政治 文化は穏やかで、愛国日本の本格的復活が差し迫っていると見る専門家は、 ほとんどいない。  だが、多くの日本人が、中国の台頭を心配している。  慶応大学の添谷芳秀教授は、「国内だけを考えると、日本人はこの種の イデオロギーを受け入れない。だが、中国に対する懸念で、こういうもの が現れる。悲しむべきことに、多くの中国人が、靖国神社の考え方が大多 数の日本人のそれを代表していると信じている。そうではない」と述べた。  それでも、日本は、1950年代に生まれた旧体制が崩れたものの、新 たな方向性を明確に見出していないという、転換期にある。  日本は誤解された殉教者であるというテーマは、終戦時にまでさかのぼ る。  1964年、林房雄の『大東亜戦争肯定論』が、これを明確に打ち出し た。  一部の(遊就館の)展示にこの説が現れはじめた1990年代前半まで は、まだ多少おかしな説だと考えられていた。  今、それが、首相が"私的"参拝した場所で、洗練されたフォーマット として現れている。  前出の外国の外交官は、「この歴史観は、日本は何も悪いことしていな いとする。(日本人にとって日本の罪を認めることは)つらすぎるのだ」 と述べた。 。。。。。。。。。。。。。  2006年に入って、ようやく日本の大手メディアも遊就館が問題にさ れていることを大きく伝えはじめたけど、東長崎機関の愛読者の皆さんな ら、2005年から海外メディアの標的にされていたことをご存じのはず。    2005年の遊就館報道のおさらい↓ ・海外メディアの"靖国神社"報道2海外メディアの"靖国神社"報道3海外メディアの"靖国神社"報道6海外メディアの"靖国神社"報道8  それにしても、こういう海外の論調に精通しているはずの櫻井よしこ氏 が、なぜ強硬論を連発するのか、謎である。  日本だけが突っ張っても、70年前みたいに、世界の壁はものすごく厚 く、あの戦争を忘れないことをよ〜く知ってるはずなのに・・・。  イケイケドンドン強気なことを言えば、日本のメディアで引っ張りだこ みたいだし、無責任に安易なカネ儲けに走っているのだろうか。  でも、それじゃあ、あの戦争時に"大活躍"した言論人の先生方みたい。  それはともかく、以下、各国の新聞の社説と論評の要約を、続々ご紹介 しちゃおう。 。。。。。。。。。。。。。 『ザ・フレスノ・ビー』(米)      2005年10月21日付    −苦い歴史の教訓:           日本の指導者が第二次世界大戦の記憶の嵐を誘う  日本の小泉首相がよく承知しているように、政治家の選挙公約は、彼ら 自身を悩ませる。  小泉氏の自民党の圧勝の数週間後、彼が公約を守ったことで、日本はア ジアの近隣諸国から激烈な批判に直面し、苦しめられている。  小泉氏の参拝は、外国を怒らせただけではない。  多くの日本人、とくに経済界は、近隣諸国からの疎外がもたらす結果を 恐れている。  今年の参拝は私的なものだという小泉氏の発言も、説得力がない。  彼は、公用車を使用したのだから。  小泉氏の参拝が、彼自身の過去に対する見解を反映するものなのか、単 に政治家として大切な選挙民を懐柔するためのものなのかは、さだかでは ない。  とにかく、日本の近隣諸国は、かつて彼らに残虐行為をはたらいた、豊 かで強大な国を恐れたままでおり、この感情は、より強硬な外交政策を後 押しする日本のナショナリストの存在によっても増強されている。  今日、多くのアジア人は、数十年前に大日本帝国がなぜ彼らを抑圧した より、現在の日本の指導者の行為が示すものを懸念している。  こうした恐れは誇張されているかもしれないにせよ、かつてないほど世 界で重要な役割を担うようになってきている地域を乱し続けている、この 問題の重要性を低下させるものではない。  だからこそ、この争いは、すべての国に関わるものだ。とくに、この地 域全体に大きな利害関係のある、日本の第一の同盟国、米国にとって。

続く