ヒマヒマなんとなく感想文|

「容赦なき戦争」

(夏休み推薦図書3 - 常岡千恵子 2007.7)


<左>『War Without Mercy -Race and Power in the Pacific War』
<右>『容赦なき戦争』
 ジョン・W・ダワー/著 猿谷要/監修
平凡社ライブラリー 1600円

 日米両国が、太平洋戦争中にお互いをどう見ていたか、とくに人種という難しい切り口で研究した名著。

 2007年に入り、日米間の価値観の相違が顕著に表出し始め、日本が"価値観外交"なるものを振りかざすには無理があることが明らかになってきたが、今後米国とどうつきあうかという観点からしても、大いに参考になる研究書である。

 日本人は、海外の対日批判を"人種差別"と受け止め、強い拒否反応を示す傾向が強いが、逆に言えば、これは日本人の人種偏見への敏感さを示す現象だろう。

日本は明治以来、脱亜入欧で邁進し、欧米に対してコンプレックスを、アジアに対して差別意識を抱き続けてきた。
だからこそ、欧米からの批判に対しては、欧米コンプレックスを認めたくない気持ちで反発し、アジアからの批判に対しては、自尊心を傷付けられて反発する。

 いずれにせよ、外国からの批判に強く反発するのだが、あの大失敗は、自分のプライドばかり気にするという自意識過剰な性向が高じて招いてしまったものなのだから、もし国際政治に参加したいなら、じゅうぶんこの自己の性癖に留意すべきであろう。

  "現代日本人はアイデンティティを失っている"という論調が氾濫している今の日本にいると意外に思われるかもしれないが、国外では洋の東西を問わず、"日本人は外国嫌い"との定評があり、やはりどうしても"内輪でしゃんしゃん!"の心地よさを無自覚で求める島国民族かな、と感じてしまう。
要するに、異質なものを排除しがちな国民性なのである。

 米国でも人種問題は今尚難しい課題だが、本書のように自国の人種差別意識に深く切り込んだ研究書が米国人の間で高く評価されるのは、米国人が日本人よりこの問題を直視しようとしているからだと思わざるをえない。

 本書では、太平洋戦争当時の人種偏見に満ちた米大手メディアの報道を紹介しているが、現在では考えられないようなものが圧倒的に多い。
  つまり、米大手メディアは人種差別撤廃に向けて努力し、着実に進歩の跡を残してきたともいえる。

 それに引き換え、近年の日本のメディアの"ニッポン万歳!"風の報道は、あの時代への後退を物語る?

 米国の情報戦略もつまびらかにされているが、彼らが日本社会を研究し、天皇をプロパガンダ攻撃の目標にすると日本人の抵抗を強くするだけだと判断して、戦意高揚映画でも天皇攻撃を控えたこと、日系人収容所で日本人の人間関係や特性を観察したこと、そして主として敵である日本のイメージを宣伝したことなどが非常に興味深い。

 つまり、彼らは外に目を向け、敵を研究し、これを戦略的に利用することに熱心だったのだ。

 他方、日本の宣伝戦略は内向きで、ひたすら日本人の優越性と純粋さを強調し続けた。
  戦いとは相手があってのことだが、そんなことはお構いなしに自画自賛、目隠ししながら自己陶酔の世界に浸っていたわけである。

"純粋さ"の賞賛は、異質なものの排除へとつながり、排他的全体主義への道につながりやすい。
 
  これは現在の日本にも通じることで、どうも日本のナショナリズムは内向きに収斂し、内側から締め付けて感情の昂ぶりを鬱積させたのち、外に向かって爆発し、従軍慰安婦問題のように、結局墓穴を掘る傾向があるようだ。
  いわゆる"特攻精神"ともいうべきものだろうか。

 これは、外部との交流に不慣れな、内弁慶な島国気質の特徴なのかもしれないが、"内向きの愛国心"が高じて社会全体のバランスを失い、本来国家を守るべき軍隊が自国を滅ぼしてしまったのでは本末転倒もいいところ、お話にもならない。

そもそも、勝敗を見定めることが軍人の基本であるにもかかわらず、その基本すらわきまえぬ者たちを今だに英雄扱いとは、これいかに??

 内向きといえば、サマワ派遣に当たって、本来ならイラクの研究にいそしむべきところ、自国民監視に血道を上げてしまった自衛隊にも、"内弁慶"の伝統が引き継がれているのかもしれない。

そ〜いえば、かの有名な第一次イラク復興支援群長も、「旧軍から受け継いできた『武』の伝統」な〜んて、自慢げにのたまってたっけ。

>>弁舌さわやかなる第一次イラク復興支援群長

 

 だが、大手英米紙は、現地事情に疎かったり、現地の人々とのコミュニケーションにつまずく自衛隊の姿を報じた。
 
      >>ヒゲの佐藤先遣隊長も登場するサマワ奮戦記

      >>自衛隊の活動は一方的だとこぼすサマワの人々

 

 "内弁慶"の本質は、批判に対する恐怖、被害妄想などの精神的脆さであり、その繊細すぎるメンタリティで外に出ると、日本人より"優しくない"外国人との接触・交流において、ヒステリーに陥る可能性も高い。
  "精神"を唱えながらも精神的に脆いヒステリー軍人の恐ろしさは、わが国の歴史が実証済みだ。

 ヒステリーに陥らぬようにするには、まず相手を観察し、その文化や行動原理を理性的に理解することである。
  日本から一歩外へ出ると、国内のように"好き・嫌い"の感情でものごとを判断しない厳しい世界が待っているのだ。

 

 ところで、日本国内では、日本人は第二次世界大戦当時"世界征服"など目指していなかったのに欧米に誤解されたという日本被害者説が今でも大勢を占めるが、本書は、『大和民族を中核とする世界政策の検討』なる厚生省の報告書を分析し、当時の日本政府の意図を浮き彫りにしている。

これは日本政府の公文書であり、公文書にご執心の、さしもの現日本政府も、ぐうの音も出まい。

このことは、集団としての日本人が、情緒や雰囲気に流されがちで、自らの行為の意味するところを自覚しない傾向があることを示している。

 これは、前出の『失敗の本質』も指摘しているように、お互いに相手の気分を害することを極端に恐れ、事実をきちんと伝えない、つまり感情に左右されすぎて、集団として客観的な情報を共有できないことに起因するものであろう。

 集団を形成する各自が都合の悪い事柄に蓋をするために、集団全体の自己認識が、外部から見た客観的認識とは似ても似つかないものになってしまう。

 

錚々たるニッポンの大センセイ方も力説なさっているように、日本人はきわめて独特な感性を持つ。
この類希なる感性が、プラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともあるが、国際政治においては、どうもマイナスに陥りがちであることを素直に認め、その上で冷静に戦略を練ってほしいものだ。

それにはまず、世界における日本の位置を正しく把握することが緊要である。

 法的根拠のあやしい特殊部隊を披露する前に、彼我を的確に知ることに努めてはどうか。
  個人が夢を見ることは結構だが、国家の存亡がかかった安全保障を、夢やロマンや見栄で弄ばれてはたまらない。(自分の先祖の夢を実現するためのオモチャにするなど言語道断!)

 甘い認識は心地よいものではあるが、後で必ずツケが回ってくる。
  最後にモノを言うのは、正確な知識に基づいた冷徹な判断である。
  自衛隊の諸君、知は力なり。

 

     >>日本人の"孫子"の理解度

 

最後に、あの戦争の特攻作戦で逝った、戦艦大和の臼淵大尉の言葉をもって、戦後六十数年間、はたして我々は、先人の思いとあの戦争の本質に真摯に向き合ってきたのかを改めて問いたい。

 

  「進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ
    日本は進歩ということを軽んじ過ぎた
    私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた
    敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
    今目覚めずしていつ救われるか
    俺たちはその先導になるのだ
    日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」