ヒマヒマなんとなく感想文|

「八月の砲声」

(夏休み推薦図書2 - 常岡千恵子 2007.7)


<左>『The Guns of August』
<右>『八月の砲声』上
 バーバラ・W・タックマン/著 山室まりや/訳
ちくま学芸文庫/上下各1500円

 お次は、日本人に馴染みの薄い第一次世界大戦に至るまでの経緯と開戦
後1ヶ月間の政治と軍事の全体像を検証・分析した、1963年米ピュー
リッツァー賞受賞の名著。現在も、米軍将校の間で愛読されている。

 1980年代前半出版の『失敗の本質』がいまや自衛官に忘れ去られて
しまった点をみるだけでも、日本人の健忘症体質がわかるというものだ。

 長い間鎖国し、明治に入って突然海外進出を始め、調子に乗って唯我独
尊状態に陥り、第一次世界大戦から教訓を学ぶことなく第二次世界大戦に
突入したわが国だが、62年前の敗戦以来、安全保障を考えることなく高
度経済成長を遂げたのち、付け焼刃の国際情勢認識で"国際政治への進出"
をぶち上げている現状は、健忘症悪化と見るべきか?

 第一次世界大戦は、世界の潮流を変えた戦争であり、その研究なくして
国際情勢を認識できないほどの大事であったにもかかわらず、大半の日本
人はこれを"対岸の火事"としか受け止めず、第二次世界大戦敗戦後今に
いたるも、この近代史の大事件を学ばないままでいる。

 第一次世界大戦への無関心による基礎知識の欠如は、今尚、日本人の世
界観をいびつにし、マユツバの石原莞爾状態に置いているといっても過言
ではないだろう。

 本書を読むと、安全保障とは、多国間のさまざまな関係によって成立し
ていることが実感できる。
  昨今の安全保障ブームでは、"ニッポンの防衛!!"のみに固執した、
自分から半径3メートルに以内しか目を向けていないような議論が目立
つが、国際情勢の全体像に目を向けずにそのような視野狭窄に陥って大失
敗したのが、あの戦争である。

 また、本書には、各国がいかに自国が道義的に悪くみえないように腐心
しながら開戦に踏み切ったが、克明に描かれている。

 たとえば英国は、自国参戦を道義的に正しいものとして国内外に説明す
るために、ベルギーが侵略されるまで動こうとしなかったし、フランスは、
ドイツがベルギーを侵略するまで、国境から兵を10キロ引かせ(敵軍と
の接触を口実に、上の許可も取らずに勝手に戦線拡大した、どこぞの軍と
は大違い)、ベルギーもドイツが確実に侵略してくるまで他国に援助要請
しなかったし、悪役のドイツでさえ、ロシアに宣戦布告する必要もないの
に宣戦布告し、その前にベルギーに自国軍を通過させるよう説得しようと
した。

 宣戦布告前の先制攻撃など、もってのほか!!
  日本は、日清・日露・太平洋戦争で宣戦布告前の先制攻撃を繰り返した
が、すでに第一次世界大戦当時においてさえ、非常識な行為だったのであ
る。

 英海軍も、宣戦布告後の開戦を厳守したため、ドイツの軍艦を逃したが、
もし宣戦布告前に先制攻撃していたら、英国が悪者にされていただろう。
  英海軍も、その恐ろしさを熟知していたからこそ、目前の敵への攻撃を
控えたのだ。
  戦争の重みを理解しているからこその、エチケットである。

 ちなみに、日清・日露・太平洋戦争を通して宣戦布告前の先制攻撃をや
らかしたのは、英海軍から指導を受けたはずの、わが帝国海軍だった。

 これに対し、欧米の列強各国軍のトップは、政治や道義や外交が軍事に
勝ることを心得ていたともいえる。

 加えて、当時から敵の暗号解読は当たり前で、こうしたことが国際政治
の表舞台で大問題にされることはない。
  あくまでも政府の公式の行動をもってして、自らの政治的道義的正当性
を訴えるのが、国際社会で立ち回る上での基本エチケットである。

 "米国は真珠湾攻撃を知っていたのにわざとそうさせたから、日本は悪
くない"という主張が、いかに幼稚かつ些末な言い訳で、国際的に通用し
ないものであるか、を考えさせられる。

 日本人は裏面史や秘密の類は熱心に研究するが、細部に固執するあまり
感情的に引きずられ、大局を見失う傾向が強い。
太平洋戦争開戦の責任者は、まぎれもなく当時首相だった東條英機であ
るにもかかわらず、"東條さんはいい人だったから悪くない"というよう
な情緒的かつ腸ねん転的議論が最近注目されているのも、この本末転倒傾
向を如実に物語る現象であろう。

 また、日本軍が苦手な"統率"の観点からも、本書は重要な示唆を与え
てくれる。
  第一次世界大戦では、各国将軍による暴走もあるが、一応上に打診して
いたり、黙認を取っているケースが多く、佐官連中の下克上暴走が花盛り
の日本軍とは、かなり様相を異にする。
これも、欧米の軍隊のほうが組織としての大前提を守り、本末転倒に陥
りにくいことを示唆している。

 そして、各国軍がボロ負けした後に、失敗を認め、失敗から学んで改善
を行っていたことも注目に値する。
日本軍の組織的特性については、前出の『失敗の本質』に詳しいので、
本書と併せ読めば、欧米軍と日本軍をより比較できる。
  今の日本政府は、失敗を認めることが苦手のようだが、これは日本にと
って不吉な前兆?

 さらに本書は、ドイツのベルギー人虐殺についても詳述しているが、当
時から戦争犯罪が大きな国際問題とされていたことを物語っている。
この"人権"という概念も、日本が第一次世界大戦時から今日に至るま
で、ほとんど学んでこなかった重要課題のひとつである。
  イラク戦争や従軍慰安婦問題を見てわかるように、実戦の場では人権問
題がつきまとう。(ちなみに米軍では人権教育を行っている。)

>>日本に都合の悪い"人権"を隠してしまう日本のメディア

 

 要するに、第一次世界大戦時から、日本と世界の間の意識にはこれだけ
のギャップがあり、しかもその後の流れで国際的規範はさらに厳しくなっ
たのに、日本はまったく無頓着で、掟破りの侵略を繰り返した。

 日本は、新参者であることを忘れ、基本エチケットすらわきまえずに独
善的に勝手に舞い上がって爆走し、大顰蹙を買ったのである。
  このへん、バブルで驕り、一人あたりGDPが世界18位ぐらいにまで
下がった現在も自信過剰のメンタリティーが抜けず、周囲の視線に無頓着
なまま、ソックリ返っている今の日本と重なる部分が多いのではないか。

 日本人によって記された第一次世界大戦本もあるが、日本人の視点から
のみの理解しか提示されていないものが多く、国際的見地からの理解がし
たためられているかどうかは、疑わしい。
  とくにここ数年、日本国内では、"国際性"を装いながらも、およそ国
際的に通用するはずもない軍事の珍説が大手を振って出回っている。

 "安全保障の桧舞台"へデビューしたい現在、欧米の戦争観、とりわけ
これから交流が増えそうな米軍将校の視点をのぞいてみることも、面白い
のでは?


続く