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小泉ニッポン!"極秘オーストラリア攻防戦"劇場

(報告:常岡千恵子)


 2006年8月15日、小泉首相が6度目の靖国神社参拝を行った。

これまでご紹介した小泉ニッポン報道から推測できるように、海外メ
ディアの集中砲火を浴びたことは、いうまでもない。

 その規模たるや、「つくる会」の教科書採択と日本の敗戦60周年で
大いに盛り上がり、日本の戦争責任を追及する報道が世界中を飛び交っ
た2005年夏をはるかにしのぎ、悠にその5倍を超えるものであった。

 2005年夏からすでに転落していた日本の評判は、2006年6月
の小泉首相のメンフィス訪問以来、2006年7月のミサイル危機への
対応と、この靖国神社参拝でキリモミ急降下、今や、第二次世界大戦後
最悪の奈落の底に突っ込んだ。

 小泉首相のメンフィス訪問とミサイル危機対処の国際的評判↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_23.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_25.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_26.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_27.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_28.html


 この先、どこまで堕ちるかは、神のみぞ知る。
 だが、この事実を知らず、浮かれはしゃぐは日本国民ばかりなり、と
いう65年前の状況が再現されていることだけは、確かな様子。

 海外英文メディア(中国と韓国は除く)の小泉首相の靖国神社参拝批
判の内容は、これまでご紹介してきた報道とだいたい同じだが、ほぼ次
期首相確実の安倍氏を警戒し、あるいはタカ派だからこそ関係改善を果
たせるのではないかと逆説的に注視している点、そして首相の靖国神社
参拝に反対した加藤紘一氏がテロに見舞われたことに触れている点が、
2005年夏の報道との際立った相違であることをご報告しておく。

 また、"ブッシュ大統領が止めても行く"という小泉首相の発言を報
じた有力メディアも複数あった。


 ところで、いよいよ残り時間わずかとなった小泉内閣は、親分の小泉
氏をはじめとする、何人かの"スター"を擁したが、ひときわ海外メデ
ィアの注目を浴びたのが、日本外交の顔、麻生外務大臣であった。

 日本外交の顔として大活躍の麻生大臣↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_10.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_17.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_18.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_19.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_20.html
 

 次期首相とされる安倍官房長官が、"ダブルA"の"二人三脚外交"
でミサイル危機を乗り切ったと頼りにする麻生大臣だが、実は、またし
ても海外では騒ぎになったが国内でほとんど知られぬ、とある事件を引
き起こしていた。

 この事件は、日本政府の"人権意識"が、他の民主主義先進諸国の標
準から、いかにかけ離れているかを顕著に示す事例であり、今後"国際
政治に進出"と意気込む諸センセイ方も、最低これぐらいの国際常識は
わきまえておかれたほうがいいのではないかという老婆心から、ご紹介
させていただきたい。
 
 それでは、この件に関する報道の要旨を以下に続々ご紹介する。
 
。。。。。。。。。。。。。

『ジ・オブザーヴァー』(英)       2006年5月14日付
     −日本の大臣が、英国の戦争捕虜の奴隷労働の主張を無視
	  


 これまでも叩かれてきた日本の麻生外相は、英国の戦争捕虜から、第
二次世界大戦中に彼のファミリー企業の炭鉱で、奴隷のような条件で強
制労働させられたとして、糾弾されてきた。

 『ニューヨーク・タイムズ』が「不快で煽動的」と記した彼の態度に
は、米政府から中国政府にいたるまで、厳しい批判が寄せられているが、
彼は、これまで関係企業の奴隷労働を認めてこなかった。
 日本政府も、奴隷にされた多数の労働者やその遺族に対して、補償を
支払ったことがない。

 麻生氏の企業と強制労働への関連を伝えられた、88歳の英国人元捕
虜、スティーヴ・ケアンズ氏は、「とんでもなくスキャンダラスだと思
う。麻生氏は謝罪以上のことをするべきで、炭鉱で苦しんだ者に償いを
するべきだ」と語った。
 ケアンズ氏は、4年間の日本での奴隷労働下で被った傷で、いまだに
苦しんでいる。

 日本強制労働収容所生存者協会会長の84歳のアーサー・ティザリン
トン氏は、「まったくの恥知らずだが、まぎれもなく首相以下、日本の
政治家の典型的な態度だ。麻生太郎が、この上なく偽善的なのは明白だ。
これは、日本人にとってあたりまえのことなのだ。彼らは、まったく、
何も認めようとしない」と語る。

 だが、日本が驚き、苛立つことには、今や、この問題や解決されない
戦争犯罪に対する日本の沈黙と無関心が、アジアの近隣諸国との良好な
関係構築において、主要な障害となっている。
  
 名門出身の麻生氏は、1973年から1979年までの政界入り前の
一時期、現在"麻生グループ"と呼ばれるファミリー企業を率いた。
 この期間、麻生氏は、元捕虜たちの苦情に対応しなかった。
 彼は、今もこの企業と近い関係にある。
 
 ナチによるヨーロッパの強制労働者に60億ドルの補償を支払って
きたドイツ政府の当局者は、ドイツ国民は、家系的なつながりだけでは
公職から排除されることはないが、償いや和解を示す義務がある、と語
る。
 だが、麻生氏は日本の残虐非道な朝鮮と台湾の植民地化を弁護し、日
本の戦前のファシスト時代を想起させるような、人種差別的発言を行っ
た。

 しかしながら、日本では議論も起こらず、大手の新聞も麻生氏と奴隷
労働の関わりを無視している。
 奴隷労働は、今も国際的に基本的人権の著しい侵害とみなされている。
 
 強制労働の問題について、本紙は麻生氏と(日本の)外務省に質問し
たが、いずれからも回答を得られなかった。

。。。。。。。。。。。。。

『ジ・オーストラリアン』(オーストラリア) 2006年5月26日付
     −日本の大臣が、オーストラリア兵に栄誉を捧げる
		  


  最近、日本の麻生外相のファミリー企業が、第二次世界大戦の戦争捕
虜を搾取したと非難されているが、その麻生外相が、オーストラリア兵
30人を含む、捕虜収容所で死亡した戦争捕虜に栄誉を捧げる予定だ。

 日本の大物政治家として、前例のない姿勢を示している麻生氏は、大
阪郊外の仏寺で行われる戦争捕虜への慰霊祭に、マクリーン駐日オース
トラリア大使も、招待する予定である。

 小泉内閣のもっとも声の大きなナショナリストで、次期首相候補でも
ある麻生氏は、7月3日に、大阪と神戸の収容所で死亡した1086人
が慰霊されている重願寺を訪れることになっている。
 捕虜慰霊祭には、米国、英国、オランダの各国大使も招待される。

 東京に11年間在住し、日本人女性と結婚しているケヴィン・デムプ
スター氏は、「日本では、捕虜が死んだことは国家機密のようだ。これ
は、日本のあの戦争での本当の行為を認めることであり、この地域で他
国が日本を見る目がなぜこうなのか、日本国民が理解する助けにもなる
と思う」と語った。

 (麻生)外相は、日本と近隣諸国との"歴史問題"についての露骨な
発言で、中国と韓国の政府や『ニューヨーク・タイムズ』、そして一部
の日本国民の反感を買った。

 だが、彼は、現在"麻生セメント"と改称したファミリー企業が、九
州でオーストラリアと英国の戦争捕虜に強制労働させたという報道に、
反応を示していない。

 日本のPOW研究会の田村佳子氏は、戦争捕虜の遺骨は戦後この寺か
ら移された、という。

。。。。。。。。。。。。。

『サンデー・エイジ』(オーストラリア)  2006年5月28日付
     −企業によるオーストラリア人強制労働を無視



 すでに批判にさられている日本の麻生外相が、彼のファミリー企業が
第二次世界大戦中にオーストラリア人戦争捕虜を奴隷のような条件で
強制労働させていたとして、新たな批判を受けている。

 記録によれば、麻生氏の炭鉱で、戦争の最後の俊に199人のオース
トラリア人捕虜が強制労働させられ、2人が死亡した。

 オーストラリアの元情報アナリストで、現在、南山大学教授のロビ
ン・リム氏は、『ジャパン・タイムズ』のコラムで、この件は日豪関係
の障害となる可能性があると主張し、(オーストラリアの)ダウナー外
相の父親が、シンガポールで日本の戦争捕虜だったことを指摘した。

 リム教授は、「冷戦は終結した。オーストラリア人は、日本がドイツ
と異なり、第二次世界大戦の問題を解決できないことに、もはや目をつ
ぶる必要はない」と記した。

 また、東京の軍国主義的靖国神社の博物館は、1万6000人の連合
国捕虜の命を奪った泰緬鉄道のエンジンを展示していると付記した。

 日本の小泉首相は、日本の戦犯を祀ったこの神社を5度参拝し、国際
的に批判されてきた。

 ヴィクトリア元戦争捕虜と遺族会会長のビル・フラワー氏は、日本の
収容所のオーストラリア人生存者たちは、日本による補償や公式の認定
をとっくに諦めている、と語る。

 解決されない戦争犯罪への日本の無関心は、とくに日本の残虐行為を
もっとも被った中国と北朝鮮と韓国をはじめとする、アジアの関係を破
壊した。

 麻生氏は、日本の残虐非道な朝鮮と台湾の植民地化を弁護し、日本の
戦前のファシスト時代を想起させるような、人種差別的発言を行った。

。。。。。。。。。。。。。

『アイリッシュ・タイムズ』(アイルランド) 2006年5月30日付
     −戦争の亡霊が、日本の来る選挙の主役に

		  


 誰が小泉首相を継ぐかを決定するカウントダウンが始まり、自民党の
中から2人の有力な候補が現れた。

 誰がこの世界第二の経済大国を支配するかの議論は、東京の中心にあ
る10平方キロメートルの土地をめぐる論争に流れる危険がある。

 2001年の就任以来、小泉首相は靖国神社を5度参拝した。
 これはナショナリストの支持者には歓迎されたが、外交的破壊をもた
らした、政治的儀式だった。

 神社には、日本の短期間ではあるが凶暴なアジア植民地時代のA級戦
犯14人が祀られているが、小泉氏は自分の参拝は戦没者を"個人的に"
追悼するものであり、軍国主義を公的に認めることではない、と頑迷に
主張し続けてきた。

 問題は、韓国と、急成長中の隣国である中国が、この主張に納得して
いないことだ。

 現在まで、米政府は、この論争の脇に控えてきた。
 小泉氏の支持者の間では、彼の参拝は、1948年に米国が主導した
戦争犯罪の裁判をもみ消す行為だとみなされていることを考えると、奇
妙な態度である。

 だが、小泉氏の訪米を来月に控え、米国の有力議員のヘンリー・ハイ
ド氏が、この論争に割り込み、痛烈に批判した。

 麻生外相は、最近、アマチュア歴史研究家が彼のファミリー企業の書
類を発見してから、集中攻撃を浴びている。
 この会社は、戦争中に、数多くの朝鮮人、中国人、そして英国やオー
ストラリアの戦争捕虜を奴隷のように働かせていた。

 靖国参拝を支持する麻生氏は、一度も生存者に謝罪や補償を行ったこ
とはない。

 小泉氏の後継者として浮上しているのは、"親アジア"とされる穏健
なベテランの福田氏と、小泉氏が推すタカ派の安倍氏である。

。。。。。。。。。。。。。

 上の記事で伝えられている麻生大臣への"集中攻撃"を、大半の日本
国民は知る由もなかった。

 さて、海外メディアの日本批判が高まると登場するのが、例によって、
外務省による抗議の手紙である。

 外務省の活発な広報活動のおさらい↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_28.html
 

 この件でも、在オーストラリア日本総領事の加来至誠氏が、前出の
2006年5月28日付『サンデー・エイジ』(オーストラリア)の記
事に対して同紙に手紙を送り、掲載された。
 その要旨をお伝えする。

。。。。。。。。。。。。。

『サンデー・エイジ』(オーストラリア)  2006年6月18日付
     −日本、反論す



 「企業によるオーストラリア人の強制労働を無視」(5月28日付)
は、日本政府の見解をほとんど無視して書かれたものである。

 第二次世界大戦中のいわゆる強制労働については、日本政府は否定し
ておらず、日本が多くの人々に耐え難い苦しみを与えたことを深く遺憾
に思う。
 過去については、日本政府は何度も謝罪してきた。

 靖国神社参拝については、小泉首相はその目的は戦没者の慰霊と、平
和への誓いを新たにすることだと、明白に述べている。

 日本政府による補償については、日本はサンフランシスコ平和条約に
忠実に従ってきた。

 このように、日本政府はこれらの問題を法的に解決してきた。

 麻生外相が、日本の韓国と台湾の植民地化を弁護し、人種差別的発言
を行ったという記述は、根拠がない。

加来至誠 日本総領事

。。。。。。。。。。。。。

 しかしながら、民主主義先進国のメディアは、こんなことではヘコま
ない。
 
 その後もどんどん続いた報道の要旨をご紹介する。
 オージー・メディアの面目躍如!!

。。。。。。。。。。。。。

『シドニー・モーニング・ヘラルド』(オーストラリア)
                           2006年6月26日付
     −日本の儀式が、連合国戦争捕虜への侮辱とみなされる
		  


 東京の歴史家やアナリストによれば、戦没者を侮辱するプロパガンダ
工作にオーストラリアが乗せられているという。
 その糸を引いているのは、日本の野心的な右翼外相だ。

 麻生氏と、政府当局者たちは、死亡した戦争捕虜の慰霊祭を計画し、
ーストラリアと英国、オランダ、米国の大使を揃えて絶好の写真撮影
の機会を作ろうとしている。

 だが、連合国兵士の遺骨は、この慰霊祭を主催する仏寺から、第二次
世界大戦の終結とともに、360キロ離れた公の戦争墓地に移された。

 麻生氏は、彼のファミリー企業が、徴用された労働者やオーストラリ
ア人も含む戦争捕虜を奴隷のように働かせたという、屈辱的な報道のの
ち、この儀式を準備した。
 この炭鉱で財を成した麻生家は、一度も謝罪していない。

 7月3日の慰霊祭は、外務省が主導している。

 各国大使の招待については、外務官僚が、東京の記者たちとのプライ
ベートなランチの席でリークした。
 この官僚は、これが"いい記事になる"とほのめかし、親切にも、こ
の儀式を主催する寺の名前を書き出した。

 先週金曜日、東京高等裁判所は、補償を求める中国人強制労働者の訴
えを、企業の非は認めながらも(補償は)有効ではない、と退けた。

。。。。。。。。。。。。。

 慰霊祭をセットしておきながら、堂々と正式に発表せず、プライベー
トな席でコソコソと情報をリークする外務省の"広報活動"の実状にま
で踏み込んだ報道だ。
  尚、この記事は、同日、オーストラリアの『ジ・エイジ』にも掲載さ
れた。

  ちなみに、2006年4月にコソコソと靖国神社を参拝し、その事実
を堂々と認めない某氏の行為も、外国人に、真珠湾攻撃の"Sneak Attack
(だまし討ち)"のような印象を与えちゃうかも!!
  日本人は、また陰でコソコソ、信用できないゾ、って感じで。

。。。。。。。。。。。。。

『ザ・タイムズ』(英)           2006年7月1日付
     −戦没者の慰霊祭が、奴隷労働をめぐる論争で裏目に出る



  それは、5カ国の大使が日本の外相とともに、大阪の寺で連合国の元
捕虜1000人の魂を慰霊するという、国際的な理解と寛容さの感動的
な時になるはずだった。

  だが、月曜日に予定された慰霊祭は、昨日、麻生外相が戦争捕虜団体
からの圧力に屈し、(各国大使の)招待を取り消したことで、茶番に陥
った。

  家族の戦時の過去を詮索されることを怖れたこの右翼政治家は、重願
寺での儀式に、ほとんど一人で参加することになった。

  麻生氏のファミリー企業は、第二次世界大戦中に、英国人をはじめと
する外国人戦争捕虜を、炭坑で奴隷労働させた。

  招待を取り消されたのは、英国とオーストラリアとカナダの大使たち
だ。
  米国とオランダの大使たちは、以前から麻生氏に欠席を伝えていた。

  麻生氏は、日本の戦時の過去を全面的に認めないことで、ますます苦
境に陥っている日本政府が、その苦しみをかわすために大使たちを招待
した、と広くみなされていた。

  小泉首相が、戦没者とともに戦犯を祀った靖国神社参拝を始めてから、
険悪なムードが劇的に増大した。
  とくに、日本軍に占領された中国と韓国は、この感情が強い。

  日本政府当局者は誰も露骨に口にしないものの、麻生外相の慰霊祭参
加には、明らかに、小泉氏の靖国神社参拝で日本が受けた外交的ダメー
ジを相殺する意図があった。

。。。。。。。。。。。。。

『デイリー・テレグラフ』(英)               2006年7月1日付
      −日本の戦争捕虜をめぐる"曲芸"を、外交官たちが中止させる
	  


  昨日、日本のナショナリスト外相が提唱した、日本で命を落とした戦
争捕虜の慰霊祭に、連合国側の大使たちが参加しないことが明らかにな
り、慰霊祭は瓦解した。

  麻生外相のファミリー企業が、第二次世界大戦中に英国人とオースラ
リア人の戦争捕虜を奴隷労働させていたことから、月曜日に大阪の重願
寺で開催される予定の慰霊祭には、英国、オランダ、オーストラリア、
米国の各国大使が招待されたことになっていた。

  だが、昨日、彼の事務所が、招待を撤回した。
  この行事が真の後悔を示すものではなく、彼のタカ派イメージを和ら
げ、9月の自民党総裁選に向けた運動を高めるためのものと糾弾された
ためのようだ。

。。。。。。。。。。。。。

『オタワ・シティズン』(カナダ)          2006年7月1日付
       −大臣が捕虜収容所と関連づけられ、儀式が非難される:
             高官たちが連合国兵士慰霊行事への"招待を撤回"される



  日本で戦争捕虜として死んだ、23人のカナダ人と数百人の他国の連
合軍兵士を慰霊する国際的儀式が予定されていたが、この行事をめぐる
論争のため、麻生外相は、カナダ大使館の総領事を含む、外国の高官た
ちの招待を取りやめた。

  麻生氏は、彼のファミリー企業が所有していた炭鉱で、連合国の戦争
捕虜の多くが奴隷のように強制労働させられていたという事実が浮上
してから、7月3日に大阪の寺での慰霊祭の準備をしたことから、非難
された。
 この仏寺は、かつて戦争捕虜の遺骨を安置していた。

 65歳の麻生氏は、この儀式を彼のファミリー企業の過去の罪を薄め、
小泉首相の後継レースでの低迷を脱出するために利用していると、国内
外から告発された。

 駐日カナダ大使館の外務報道官は、6月23日に招待を受けたが、昨
日、麻生氏の事務所から彼の訪問は「公式行事」から「個人的でプライ
ベートなものになった」ことを告げる2通目の書簡が届き、「その結果、
外国の高官の出席は適切ではなくなった」と語った。

。。。。。。。。。。。。。

  尚、上のカナダ紙の記事は、翌日に、カナダの『エドモントン・ジャ
ーナル』にも掲載された。

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『ジ・オーストラリアン』(オーストラリア)  2006年7月1日付
           −大阪の戦争捕虜のどんでん返し



 麻生外相は、日本の労働収容所で死亡した1086人の戦争捕虜の慰
霊祭に、東京のオーストラリア大使をはじめとする海外の外交官を招待
したが、直前になって撤回した。

 昨日、彼の事務所が、麻生氏は外相としてではなく、一般市民として
行事に出席することになったので、大使たちに各国を代表してもらうこ
とは不適切になったと説明し、招待を取り消した。

 本紙『ジ・オーストラリアン』が5月26日にこの予定行事を報道し
て以来、一部の外国のコメンテーターや戦争捕虜生存者や遺族が、麻生
氏の動機に疑問を投げかけてきた。

。。。。。。。。。。。。。

『ジ・エイジ』(オーストラリア)      2006年7月1日付
     −日本での戦没者慰霊祭が、広報の大失敗に



 批判者たちがプロパガンダ工作と述べた、仏寺で開催予定の戦没者慰
霊祭が、麻生外相によってキャンセルされた。

 月曜日の慰霊祭には、オーストラリア、英国、米国、オランダの各国
大使が招待されていたが、東京の各国大使館に招待の撤回と、麻生氏は
この慰霊祭を「個人的でプライベート」なものにすると告げる手紙が届
いた。

 今週前半、本紙『ジ・エイジ』は、歴史研究家や政治アナリスト、退
役軍人の代表者たちからの批判の声を報じた。

 彼らの批判の中核をなしていたのは、野心的な右翼政治家である麻生
氏が、日本の戦時の行為に対する真の後悔を欠き、この行事を日本の次
期首相となるためのキャンペーンに利用するのではないかという疑惑
だった。

 この行事が広報の大失敗に陥っていると感じた各国大使館が、(大使
よりも)低いランクの外交官のみを派遣するようにしたことから、ギリ
ギリに招待を撤回したとみられる。

 8ヶ月前にサプライズ人事として外相に起用された麻生氏は、韓国や
中国からの日本の残虐な戦争行為についての批判に対して、公に冷淡だ
った。
 徴用された労働者やオーストラリア人を含む戦争捕虜を使用した彼
の家族は、一度も謝罪や補償を行ったことがない。

 彼は、今年に入ってから、アキヒト天皇が、戦没者の追悼施設かつ日
本最強のナショナリストのシンボルである靖国神社を参拝するべきだ
と述べて、批判された。

。。。。。。。。。。。。。

 上のオーストラリア紙の記事は、同日、オーストラリアの『シドニー・
モーニング・ヘラルド』にも掲載された。

 またしても、広報の大失敗!!
 いつになったら、学ぶのやら。
 
 これまでの広報の大失敗のおさらい↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_28.html


 ここで、またまた登場するのが、日本の外交官の手紙である。
 以下に、上のオーストラリア2紙に掲載された、外務副報道官による
手紙の要旨をご紹介する。

。。。。。。。。。。。。。

『ジ・エイジ』(オーストラリア)             2006年7月3日付
           −戦争捕虜の魂の供養
		   


  日本国外務省のスポークスパーソンとしてではなく、昨年夏の外務省
入省前に、亡くなった戦争捕虜の魂が供養されている、大阪の無名の寺
のことを知った一個人として、申し上げる。

  6月26日付の貴紙の報道は、麻生外相の(この寺への)訪問予定を
政治的動機によるものとする、悪意ある描き方をして喜んでいるようで、
悲しくなった。

  この寺には、戦後も長い間、戦争捕虜の遺骨が安置されていた。
  後に、英連邦兵士の遺骨は東京近くの墓地に移されたが、外務省は毎
年の慰霊祭に代表者を参加させている。

  それでも、この寺には大切なものがある。
  住職の永久の善意の泉と、日本の宗教が永遠に尊重する、死者の魂だ。

  住職と信徒に感謝を捧げ、亡くなった戦争捕虜の魂の前に深く頭を下
げることが、麻生氏が終始一貫して望んだことだ。
  彼は、ファミリー企業の戦争捕虜の扱いがメディアに取り上げられる
前の、昨年の時点から、これを行うことにしていた。

                                           谷口智彦  東京  日本

。。。。。。。。。。。。。

  一個人として投稿したいんなら、わざわざ自分の勤務先と役職名を書
かなくても……。

。。。。。。。。。。。。。

『シドニー・モーニング・ヘラルド』(オーストラリア)
                                   2006年7月3日付
          −遺骨はないが、寺に思い出は残っている
		  


  6月26日付の貴紙の報道は、麻生氏の仏寺訪問予定を政治的動機に
よるものとして描いている。

この寺に連合国戦争捕虜の遺骨が安置されていないことから、麻生外
相の訪問は死者に対する侮辱だと示唆しているが、寺には住職の永久の
善意の泉と、日本の宗教が永遠に尊重する、死者の魂がある。

  オーストラリア人と日本人は、長い道程をたどってきた。
  時間が多くの傷を癒した。

                                                 谷口智彦  東京

。。。。。。。。。。。。。

 "時間が多くの傷を癒した"と決めるのは、加害者じゃなくて、被害
者のほうだと思うんですけどぉ。
 
 ところで、これで一件落着かと思いきや、今度は別のオーストラリア
紙が、ドカ〜ンと火を噴いた!
 まるで、ゲーセンのモグラ叩きの様相。

 以下にその報道の要旨をお伝えする。

。。。。。。。。。。。。。

『ジ・オーストラリアン』(オーストラリア)   2006年7月4日付
          −祈りは亡霊を葬れない
		  


  日本の強制労働収容所で死亡した連合国戦争捕虜1086人の慰霊
祭で、麻生氏が日本政府からの最高位の参列者となった。

  日本の外相である麻生氏は、オーストラリア大使を含む、8人の大使
を昨日の大阪の寺での行事に招待したが、最後になって一個人として出
席することにした。

  だが、85歳のミック・キルディ氏は、不満だ。
  彼は、19世紀に創立された麻生氏のファミリー企業が所有する炭鉱
で奴隷労働に耐えた、少なくとも9人の生存者の一人だ。

 彼は、ナショナリスティックな見解と戦時の先祖の過去について批判
されてきた麻生氏に、炭鉱で何が行われたかを伝えたい、と語る。
 重願寺の行事への出席を予定していた複数の戦争捕虜遺族も、出席を
取りやめた。

 (オーストラリア大使の)マクリーン氏への招待は、多数のメディア
がこの件を報道してから、撤回された。

。。。。。。。。。。。。。

『ジ・オーストラリアン』(オーストラリア) 2006年7月4日付
     −日本の恥



 日本の麻生外相がオーストラリアを再訪したら、彼の父親の炭鉱で働
いていたときの体験を、彼に語りたい男たちがいる。

 この元労働者たちは、1945年に、19世紀に創立された麻生氏の
ファミリー企業の炭鉱で、奴隷さながらの状態を耐えるよう強いられた、
オーストラリア人戦争捕虜である。

 麻生氏の会社で働いた、シドニー在住の85歳のジョー・クームズ氏
は、「あそこで何が起こったのか、彼の部下たちがわれわれをどのよう
に扱ったのか、彼に話したい。殴打、飢餓、過酷な重労働。そして、彼
に謝罪させたい」と語った。

 昨日、外国人戦争捕虜の遺骨を安置していた重願寺の慰霊祭に個人と
して参加した麻生氏は、今までに彼のファミリー企業の戦時中の強制労
働を認めたことがない。
 麻生氏は1973年から1979年まで、この会社の社長だった。

 日本政府は、被害者に謝罪したことも、1セントも支払ったこともな
い。

 法的には、日本は戦後の条約によって、補償を支払う義務を免れてい
るが、これらの条約は、日本の戦争犯罪の全容が明らかになる前に締結
されたものだ。


 アジアでの戦争犯罪の補償と賠償の欠如は、日本と近隣諸国の正常な
関係への主たる障害となった。
 最近では、麻生氏のファミリー企業が朝鮮人の奴隷労働だけでなく、
連合国戦争捕虜との関連も明るみに出て、麻生氏個人を巻き込んだ。

 87歳のジョン・ホール氏は、「12時間のシフトで、月に2日の休
日以外は、日の光を見ることはなかった」と振り返る。
 ホール氏は、戦争捕虜として過ごした3年半の間に25キロやせた。

 ビル・リーチ氏は、麻生氏に会いたいと願っているが、「彼らは謝罪
しないし、われわれにまったく敬意を抱いていないだろう?」、「彼らを
許せないし、忘れることもできない。麻生氏は、なぜ事実を認めないの
だ? せめて謝罪ぐらいはあってしかるべきだ」と語った。

 85歳のミック・キルディ氏は、「麻生氏に私の気持ちの一端を与え、
何が起こったかを伝えたい。どのようにして半殺しになるまで殴られた
か、飢えたかを」と語る。

 小泉内閣で、もっとも大胆な発言を行うナショナリストの、65歳の
麻生氏は、その右翼ナショナリストの見解と、日本の帝国主義の過去に
対する無反省な態度を、激しく批判されてきた。

 彼はまた、戦時中の日本による中国人や朝鮮人や連合国人の強制労働
の詳細を暴こうとする学者や歴史家やジャーナリストたちに、敵意をも
って対応してきた、極右の日本会議に関わっていることで知られる。

 日本の外務省には、麻生氏のコメントや事実確認などの要望が頻繁に
寄せられたが、外務省は黙したままだ。
 外務省のスポークスウーマンは、麻生家と戦争捕虜の強制労働に関す
る最近の報道を知らないと言い張った。

 ナチスによる奴隷労働の被害者に対して60億ドルもの補償を支払
ってきたドイツでは、(戦争犯罪者との)家系のつながりだけでは国民
を公職から排除しない。
 だが、家系のつながりのある者は、補償や償いを差しのべることにな
っている。

 駐日ドイツ大使館員は、もしこれがドイツ政府ならば、麻生氏は、自
らが明らかにしたその見解を理由に、公職から外されるだろう、と語る。

 しかしながら、日本では議論も起こらず、大手新聞も麻生氏と奴隷労
働の関わりを報じない。

 日本の戦時の残虐行為は、日本が捕えた戦争捕虜の死亡者数が、連合
国のそれをはるかに上回るという倫理上の問題のほかに、もっと直接的
な金銭的補償の問題が残っている。

 数千人の連合国捕虜と、それを上回る数の朝鮮人や中国人の強制労働
に対しては、賃金が支払われることになっていた。
1946年、米国の占領当局は、雇用主が少なくともアジア人被害者
に支払わなかった賃金を国庫に預金するよう命じた。

 九州大学の米国人学者、ウィリアム・アンダーウッド氏は、このカネ
の行方を追跡してきた。

 彼は、少なくとも総額200万ドルに上り、インフレや利率を考慮す
ると、今日では20億ドルに近い金額になると確信している。
 だが、60年を経ても、このカネはいまだに日本銀行に眠り、日本政
府はしぶしぶその存在を認めながらも、議論することを拒んでいる。

 しかしながら、次の世代がこの戦いを引き継いでいる。
 ホール氏の7人の子どもたちもそうで、娘のマリリンが父親に代わっ
て麻生氏に手紙を書いている。
 ホール家をはじめとする彼らのメッセージは、シンプルだ。

 あなたのお父さんが、私たちの父から騙し取ったお金を、返してくだ
さい。

。。。。。。。。。。。。。

  オーストラリアは、キビシイなぁ〜。

  外務省から手紙をもらった後も、全然メゲないオージー・メディア↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_27.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_28.html


  中国ラブラブのオージー↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_25.html


  この慰霊祭に大使が招待されていたもうひとつの国で、元従軍慰安婦
が日本政府を訴えたオランダの報道ものぞいてみたいところではある
が、悲しいかな、筆者の語学能力が至らず、誠に残念ながらご紹介する
ことができない。
  東長崎機関の愛読者の皆様に、深くお詫び申し上げます。


 連合国側は、今も日本による残虐な捕虜の扱いを忘れていない。
そして、日本の大手メディアが60年以上もこの件をほとんど黙殺し
続けてきた事実に、呆れているのが実情だ。

 "バターン死の行進"を忘れていない米国人記者↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2005_06_z03_01.html


 英国はロンドンの帝国戦争博物館を訪れると、対日戦争において英国
人がもっとも強烈な印象を受けたのは、日本側の、人権を無視した、過
酷な捕虜の扱いだったことがわかる。

 よもや日本が、捕虜はおろか、自国兵士の食糧すらまともに用意せず
に戦争に突入したとは、想像だにしなかったに違いない。
 つまり、日本は国際常識を著しく逸脱していたのである。

 シンガポールの収容所にいた、ある英国人戦争捕虜は、収容所で床に
座らされて食事を強いられたことがトラウマとなり、帰国後もずっと床
に座って食事をしたという。
 これは、英国人の生活基準からすれば、基本的日常生活も行えない悲
惨なPTSD状態だといえる。

 また、とくに女性や子どもの扱いが酷いこと、そして、とりたてて理
由もないのに行進させたりする日本兵の非合理性が、不気味に思えたそ
うだ。

ロンドンの帝国戦争博物館の冊子より
ロンドンの帝国戦争博物館の冊子より


  近年とみに、日本国内を席巻している"ニッポン、チャチャチャ!"
に慣れきった読者の方々は、これまでご紹介した海外メディアの論調に、
アレルギー反応を起こされたかもしれない。
  しかしながら、戦後61年間、こうした報道が、程度の差こそあれ、
常に日本を取り巻いていたのだ。

  これまで大半の日本国民がこの事実を知らなかったのは、あの戦争時
同様、日本のメディアの責任であろう。

  しかしながら、民主主義国家のメディアというものが、その国の市場
原理で動き、国民のニーズの産物であることを考えると、この無知と無
関心は、やはり、われわれ日本国民が自ら招いた失態だと認めざるをえ
ない。


  天皇制を日本の統治に利用した米国はともかく、ヨーロッパでは、い
までも日本の天皇制の存続そのものに疑問を投げかける論調が多い。

 ヨーロッパの厳しい論調を紹介した『正論』2006年1月号↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_09.html


  それもそのはず、いまだにナチスの責任を追及しているドイツはもと
より、戦勝国のフランスでさえ、第一次世界大戦の救国のヒーロー、フ
ィリップ・ペタン将軍が、ヴィシー政権の首相として親ドイツ的政策を
実施したかどで、第二次世界大戦後に死刑宣告を受けた(その後、高齢
を理由に無期禁固刑に減刑され、流刑地のユー島で死去)。

 国際社会において、戦争責任とは、かくも重きものなのである。


  昨今、"勝者の裁き"という言葉が流行っているが、われわれ日本人
は、"負けた"という自覚が不足しているのではないか。
 故・後藤田正晴氏は、反動的歴史観を抱く者たちに対して、「負け惜
しみはやめたほうがいい」と述べた。


  現実に負けておきながら、"負けた"ことの意味すら理解できぬ者、
すなわち、戦争の本質の何たるかをまったく心得ぬ者に、軍事を語る資
格があるのだろうか?
  それは、"先制攻撃"の意味も知らずして、安全保障を論ずることに
等しいのかもしれない。

  "先制攻撃"の意味も知らずに安全保障を論じている人たち↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_25.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_26.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_27.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_28.html


 とくに日本は、日清・日露・太平洋戦争で、いずれも宣戦布告前の先
制攻撃を行っており、日本が"先制攻撃"と発言すると、ギョギョギョ!
と来ちゃう、世界各国の対日政策を担う知日派外国人も多い。
 

 とかく"日本の歴史・伝統"を重視していらっしゃるとのたまうセン
セイがたほど、このような歴史的事実や、国際社会の対日観をご存じな
いのか、あるいは忘れてしまわれたのか、いずれにせよ、日本のイメー
ジを貶める傾向にあるようだ。
 
 日本のイメージを向上させるには、まずこのような歴史的背景や、国
際社会の対日観を深く理解したうえで、広い視野をもって状況を判断し
対処すべきであるのに、どうも現状は、メディアも含め周囲の状況をま
ったく無視して、自意識過剰気味に遮二無二"ニッポンのぉ〜!"と猪
突猛進し、自爆しがちな感じ。

 自意識過剰な"集団的猪突猛進"の例↓
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_23.html
 http://www.higashi-nagasaki.com/e_pub/EE2006_06_z01_24.html


  幼稚な感情や独善的な虚栄心を排し、国際情勢を客観的に把握し、現
実を冷徹に見据えることで得られる、等身大の認識に基づいてこそ、"危
険保障"に陥らぬ、真の安全保障を論ずることができるのだ。

  われわれは、二度と再び、集団的誇大妄想に陥ってはならない。



続く