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2006年正月、空前の大ヒットとなった邦画『男たちの大和/YAMATO』。 筆者個人の感想は、恥ずかしながら以前このサイトに掲載してもらった が、大手海外メディアもこの映画に注目しているようだ。 筆者の個人的感想文はこちら↓ >> なんとなく感想文 「男たちの大和/YAMATO」 海外メディアの視点は、ベタ褒めばかりの国内大手メディアの映画評と はずいぶん様子が異なるので、その認識のズレをご紹介したい。 とくに、前出の感想文にも記したように、あの戦争は、海外と国内の認 識のズレから発生したものと考えているので、この映画を素材に、あの戦 争についての認識のズレを検証することは、意義あることだと思う。 また、一映画ファンとして、日本の映画が停滞している理由は、大手メ ディアが批判を避け、正直な評価を伝えず、単なる宣伝媒体と化している ことにもあると感じるので、大手メディアで健筆を振るう映画評論家の大 先生がたにも、ぜひとも海外の忌憚ない映画評をご一読いただきたい。 摩擦を恐れて、すべてお手盛りシャンシャンの身びいきで済ませると、 その場は丸く納まるかもしれないが、結局は映画という媒体そのものを退 化させるという悲劇を招くことにもなりかねない。 また、以下の報道も参考に、再び日本が国際的に通用する作品を製作す る日を望んでやまない。 ちなみに、米国のエンタティンメント業界紙『デイリー・バラエティ』 (2005年6月15日付)は、『亡国のイージス』を「日本の領海外で は浮かない」と評した。 事実、『亡国のイージス』は、名門カンヌ映画祭で上映されたにもかか わらず、海外からの引き合いはトホホの様子。 それでは、まず、英大手通信社の報道の要約から。 。。。。。。。。。。。。。 ロイター通信(英) 2005年12月9日配信 −日本の"ヤマト"が戦時の犠牲の意味を求める 目的を失った任務における名誉と勇敢な精神のシンボルか、それとも意 味のない犠牲の典型か。 日本の巨大戦艦・大和は、敗戦60年後も存続する、痛ましい二面性を 具現化する。 日本の軍隊(自衛隊)の協力を受け、全長263メートルの戦艦の3分 の2のサイズのレプリカを駆使した、東映の『男たちの大和』は、新たな ナショナリズムと戦後平和主義が衝突する国における、一連の軍隊もの映 画の最新作である。 また、この作品の公開は、日本と中国・韓国の関係が冷ややかになった 時期と合致している。 中国と韓国では、日本の戦犯と250万人の戦没者が祭られている靖国 神社に、小泉首相が何度も参拝したことにより、日本政府による過去の侵 略行為の辛い記憶が燃え上がっている。 『男たちの大和』の製作者たちは、戦争や軍国主義を美化するのではな いかという問いにこわばる。 プロデューサーの角川春樹氏は、記者会見で、「反戦映画とはいいませ んが、メッセージは明確です。60年前の出来事を、再び戦争をしたくな いという思いを伝えるために描いているのです」と語った。 だが、鑑賞者は別の教訓を得るという者もいる。 東京大学助教授のスベン・サーラ氏は、「もちろん、この種の映画は戦 争を美化し、戦争の攻撃的な面とアジアの犠牲者について考えることを妨 げさせます。基本的なメッセージは、国のために命を捧げることは価値が ある、ということです」。 6万4千トンの大和は、日本人の戦後の精神において特別な地位を占め てきた。 多くの大人たちは、1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』を観て育った。 呉の大和ミュージアム館長の戸高一成氏は、「日本人は、悲劇的な終焉 に共感します。大和の歴史はあの戦争とともに始まり、終わりました。 太平洋戦争のひとつのシンボルです」と語った。 監督の佐藤純弥氏は、「大和の最後の任務は無駄で意味のないものだと、 ほぼ日本中で認識されていますし、日本史上もそうなっています。愚行で した」と述べた。 現代の設定で始まり、インド洋上の補給のための派遣から帰還した(海 上自衛隊の)乗員の姿も登場するこの映画は、戦争の原因についてごくご くわずかに言及するのみである。 大和の最後の任務の生存者が1952年に出した回想録を反映し、若い 士官たちが、すぐそこに迫った彼らの死の意味について議論するシーンが ある。 この感情的な議論は、ある士官が、新しい日本を再生させるために敗北 が必要だと発言して終わる。 何百万という日本の将兵たちの命が失われたことに対する意味づけを 求める苦闘は、ある意味、今なおあの戦争を受け止めきれていない日本を 悩ましている、と指摘する専門家もいる。 サーラ氏は、小泉首相やその他の日本の指導者たちの発言について、「あ れは無駄だったと言う人はいない。いつも、犠牲は無駄ではなく、今日の 繁栄はあの犠牲の上にある、と言われている」と述べた。 。。。。。。。。。。。。。 戦争とは、必ず相手があって、つまり外国との間で行うものだ。 佐藤監督は、「太平洋戦争の総括のきっかけ」となる作品にしたかった と述べているが、やはり外国人の目から見ると、戦争を描くにしては、あ まりにも内向き、の感は免れないようだ。 そしてもうひとつ、この映画の公開時期が、日本が東アジアで孤立して いる時期に重なっていることは、作品の内容以上に強い印象を放っている 様子。 しかも、製作陣は戦争の美化を否定しているが、外国人の目には、アジ ア人ならずとも、戦争や犠牲を美化している作品に映ってしまうようだ。 やっぱり、今の日本は、あの戦争勃発時同様、国際的なコミュニケーシ ョン能力が不足している? |
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