まず、特撮マニアとして言わせてもらえば、特撮のメインがCGに移行した現在、 日本の特撮は すっかり基本の弱さを露呈するようになってしまった。
『ローレライ』、『亡国のイージス』もそうだが、海や空の質感や奥行きなど、大 自然の描写が まるでなっていない。
これも、部屋に篭ってPCいじりやプラモ作りばかりに熱中したオタク世代が特撮 を手がける ようになったせいだろうか。
CGとは、特撮の作り手の感性がむき出しになる、残酷なまでに鋭利な道具である。
ミニチュアワーク全盛時代には、特撮のかなりの部分が実在するミニチュアの個性 に左右され、 また、照明などによって偶然の効果や”ご愛嬌”が引き出される場合もあったが、す
べてが人工 的に作り出されるCGの世界では、偶然の産物が入り込む余地はなく、作り手が意図 したものしか 画面に表現されない。
つまり、CGは絵画に近く、すべてを作り手の感性に負う。
日本のCGが垢抜けしない理由のひとつは、日本人の空間の捉え方に起因する。
古くはレオナルド・ダ・ビンチに代表されるように、欧米人は、空間を遠近法や透 視図法で立体的 に捉えてきたが、日本人の空間の捉え方は平面的、つまり紙芝居的になってしまう。
その上、ホンモノの自然に接することが少ない人たちが特撮を手がけるようになっ たせいか、 日本のCGは、メカの個体はそこそこ描けても、そこに付随する自然の描写や、さら
にメカ同士の 遠近感がお粗末で、どうしても全体がチグハグしてしまう。
『男たちの大和/YAMATO』でいえば、海面や波の質感や色、敵機が飛翔する空、さらに 攻撃される大和を俯瞰した場面は、失笑を禁じえない。
いくら海上自衛艦”ひえい”を航行させて撮った波を合成しても、完成画面がこう も不自然なら、 それまでである。ただはめ込んだだけでは、波に重みが感じられない。
日本の特撮マンよ、PCやプラモを捨て、大自然のデッサンからやり直したまえ!
特撮の基本は、大自然の観察にアリ。
映画の内容については、佐藤純弥監督は、「単なる戦争映画で片付けてほしくな い」としている が、それにしては”なぜ?”という視点が不足しているのではないか。
加藤健二郎氏も指摘しているように、大和についての第一の”なぜ?”は、このよ うな巨艦を建造 するに至った経緯である。
なぜ帝国海軍がこれほど時代遅れの巨艦に固執したのか、そしてもちろん、設計技 術上のドラマ も欠けている。
佐藤監督自身、『週刊金曜日』2006年1月6日号で、ロンドン条約で米英日の 主力艦保有比率 を5・5・3に抑えられ、数を制限されるなら大きいものを作ろうとしたと語ってい
るが、このへんも、 触れるべきではなかったか。
ところで、このロンドン条約および1922年のワシントン条約について、日本で は英米の 一方的日本イジメと受け止められているが、英国の日本研究家、故リチャード・ス
トーリーは、 著書"A History Of Modern Japan"の中で、ワシントン条約が締結されなければ、米国
海軍は 日本や英国を凌駕する軍備増強を行っていただろうから、実際には日本に有利な条約 だったと している。
長い間鎖国してきた日本は、どうも被害妄想に陥りやすい傾向にある。
大和の建造は、明治時代に巨額の費用をかけて、全国各地に建造された要塞を彷彿 とさせる。
由良要塞の詳細はこちら↓
淡路島・由良要塞跡 1
淡路島・由良要塞跡 2
淡路島・由良要塞跡 3
個人的には、あの戦争は、旧植民地を含む外国との、そして日本国内の各部署間 の、コミュニケ ーションのズレから発生したと考えているので、佐藤監督がいうように、太平洋戦争
の総括の きっかけとなる作品にするならば、海外の認識とのズレも冷静に盛り込んでほしかった。
日本の軍部内ですら、いかにコミュニケーションが成立していなかったかは、『失 敗の本質』に 詳しい。
とくにこの問題は、現在の日本にまで及ぶ、重大な問題なのだから。
そして、これまた加藤健二郎氏も指摘しているレイテ海戦。
この時、大和はレイテ湾に突入するはずだったが、なぜか栗田長官を乗せて引き返 した。
日本のメディアはこの作戦方針の変更を「栗田艦隊・謎の反転」と呼ぶが、欧米の メディア だったら、ズバリ「栗田艦隊・敵前逃亡」と報じ、責任を追及したことだろう。
この「謎の反転」は、その後も解明されることなく、栗田長官は責任を問われてい ない。
『男たちの大和』の原作本には、この反転に対して異議を唱えた若い士官たちは、 呉に戻った あと、ほとんどが激戦地に送られた、と書いてある。
このあたりも、下の者には厳しい規律を押し付け、上層部は責任逃れをする旧軍の 体質をリアルに 描く、格好の材料となっただろうに。
前出のリチャード・ストーリーも、"A History Of Modern Japan"の中で、違反者を 処罰しない旧軍
の体質を幾度となく指摘している。
下は大真面目でも、上はちゃらんぽらん(本人には自覚がないかもしれないが)、 そのズレは、 深刻な悲劇よりも、辛辣なコメディのほうが向いているのかもしれない。
ドライなユーモア感覚溢れる英国人なら、建造から撃沈まで非合理的な運命を辿っ た大和の”なぜ?” に肉迫した、風刺の効いた作品を創造していたかも。
リチャード・ストーリーは、また、同書で、日清戦争も、日露戦争も、太平洋戦争 も、帝国海軍が 正式な宣戦布告前に攻撃したことによって開戦した、とも書いている。
1945年8月6日、江田島の海軍兵学校の生徒は古鷹山のおかげで被爆を免れた にもかかわらず、 その後、被爆者手帳をゲットした生徒もいたと聞く。
映画の最初のほうに、何の脈絡もなく海上自衛隊の艦艇が登場するが、帝国海軍の 悪しき伝統を 絶っていてくれと祈らずにはいられない。
それにしても、ゴジラがスクリーンから消えた今年、『ローレライ』、『戦国自衛 隊』、 『亡国のイージス』、『男たちの大和/YAMATO』と国産軍隊もの映画が目白押しだったが、
今後も、『バルトの楽園』、『日本沈没』、『俺は、君のためにこそ死ににいく』、 『出口のない 海』と、まるで戦時下であるように、勇ましい映画が花盛りだ。
勢いよく”ニッポンのぉ〜!”をやりすぎると、またぞろ”Nip!”って言われ ちゃうから、 気をつけてね。
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