活動ゴジラ・怪獣関連特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観+α

特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観

『スター・ウォーズ』サーガの変節と米帝国主義の肥大 2-1



 ところが、16年の中断を経て1999年から復活した新三部作は、旧三部作とは、
似て非なる作品群であった。

 新三部作は、一世代前に遡り、ルークの父、アナキン・スカイウォーカーの
生い立ちと、彼がいかに暗黒面に転落してダース・ヴェイダーとなったか、ま
た邪悪な帝国がいかにして形成され人々を苦しめる圧政を敷くようになったか
を辿る作品群だ。
 従って、旧三部作のような、純粋な理想主義を掲げた明るい映画にはなり得
ないことは、承知している。しかしながら、その点を差し引いても、強い違和
感を覚えてしまうのだ。
 暗い展開だからこそ、人の心の闇に迫る重厚なドラマを構築することができ
るはずなのに、まったく逆の方向に進み、傲慢で退廃的な薄っぺらい紙芝居に
退化してしまった気がする。
 CGをふんだんに駆使した新三部作は、映像技術の点では、旧三部作など足
元にも及ばない。CG信者のルーカスは、旧三部作製作中から、将来は人間の
俳優を起用せずに、すべてCGでサーガを作りたいと語っていた。
 現時点においては、さすがに人間をCGに置き換えることはまだ叶わぬ夢だ
が、すべてCGというカットも可能になった。確かに近年のCG技術の進歩は
目ざましく、かつては実現不可能だった表現が、どんどん可能になっている。

 だが、CGは万能ではない。CGが作り出す映像は、滑らかで美しく、ほぼ
完璧に近いが、厚みや深さに欠けることがある。また、感触や温もりのような
ものは、まだ表現しきれていない。要するに、見た目は華麗だが、軽いのだ。
CGの過信は、危険である。
 ルーカスは、最先端のCG技術と引き替えに、大切なものを失ってしまった
感じがする。
 興味深いことに、新三部作では、特撮以外の分野でも、CG技術がもたらす
弊害と同じような現象が、随所に見受けられるようになった。つまり、設定に
しても、ストーリーにしても、演出にしても、皮相的で浅薄な印象がするのだ。
 1984年から1999年を振り返ると、冷戦が終結し、米国は一人勝ちの時代を迎
えた。とくに1990年代半ばからは、IT産業に牽引された好景気に湧き、米国
社会全体が慢心と退廃へと突き進んでいったような感じさえする。

 たとえば、米メディアも次第に享楽的になり、国外の重大ニュースより、O.
J.シンプソンの殺人疑惑や、クリントン大統領のセクハラ疑惑を重視していた
フシがある。たとえば、ある有力紙の外報ページは、政治や経済などのおカタ
いネタより、気楽に読める、オモシロおかしい異文化ネタを好んで掲載するよ
うになった。

つづく