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映画界を席巻した円谷は、新たに登場したテレビへの進出にも意欲を燃やし た。1963年4月に「円谷特技プロダクション」を設立して、テレビ向けの 企画を練り、1966年1月、円谷プロのテレビ映画第1号『ウルトラQ』を 世に放つ。それまで映画館でしかお目にかかれなかった怪獣が、お茶の間で観 れるようになったことは、革命的事件だった。『ウルトラQ』には、怪獣が登 場しないSF的なエピソードも多いが、子供たちの心を捕らえたのは、やはり 怪獣であった。 |
「週刊朝日」1967年4月7日号より |
そして、1966年7月に、伝説的巨大ヒーロー番組『ウルトラマン』が、デ ビュー。異星からの宇宙人という主人公の設定、モダンなデザイン、科学特捜 隊の未来的なメカの活躍など、すべてが型破りで斬新だった。しかし、もっと も重要なのは、なぜ巨大ヒーローなのか、という点である。いうまでもなく、 その答えは、ゴジラに端を発する怪獣人気にあった。毎週怪獣を登場させたい というテレビ局の強い意向に応えて、怪獣と対等に戦える強力なヒーローとし て創造されたのが、ウルトラマンだったのである。ウルトラマンは、円谷英二 が開拓した、ミニチュアと着ぐるみ怪獣を中心とした特撮技術を、最大限に生 かすために創られたヒーローだったといっても過言ではない。つまり、毎週登 場する怪獣はもちろん、ウルトラマンさえも、ゴジラの子孫なのだ。 |
「週刊朝日」1967年4月7日号より |
『ウルトラマン』は空前の大ヒットとなり、怪獣ブームの絶頂期が訪れた。 1967年には、あのお堅い『週刊朝日』までが、怒濤の20ページ総力怪獣 特集を組み、ガメラの解剖図や怪獣の足形まで掲載して「楽しいものを、子ど もだけにまかせておく手はないのである。」と結ぶ有り様だった。そして、 『ウルトラマン』はシリーズ化され、途中スランプに陥りながらも、35年以 上に及ぶ長寿テレビシリーズに成長した。 1970年に円谷英二が死去した後も、怪獣映画や巨大ヒーロー番組は生き 延びた。これらの作品は、軍隊タブーが浸透し、「防衛」の議論がまったく欠 落していた日本で、架空の戦闘を描き続けた。 そんな中、1999年3月に、あるビデオが完成した。 |
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