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『ゴジラ』の成功は、以降の怪獣映画というジャンルの方向性を決定づけた。 つまり、人間が着ぐるみの中に入った巨大怪獣がミニチュアの街を壊すという、 世界で類を見ない手法が確立したのである。円谷英二は『ゴジラ』の企画段階 で、コマ撮りアニメ方式を検討していたともいわれる。彼は、1933年に米 国で公開された、コマ撮りアニメの巨獣『キングコング』に傾倒していた。だ が、コマ撮りアニメには膨大な時間と予算がかかる。そこで採用したのが、着 ぐるみとミニチュアの組み合わせであった。円谷は、戦後も様々な映画に参加 し、ミニチュア技術の腕を磨いていた。そして『ゴジラ』で、欧米映画には見 られぬ、着ぐるみ怪獣という独創的な手法を開拓したのだ。その伝統は、CG が幅を効かせている現在も、脈々と受け継がれ、日本独特の温もりのある怪獣 ワールドを構築している。 その後ゴジラはシリーズ化され、また、モスラやラドンなどの人気怪獣も次 々と生まれた。円谷は、怪獣映画の特撮を担当するかたわら、戦記もの映画の 特撮も数多く手がけた。怪獣映画も、戦記ものも、軍隊が欠かせない。彼は、 軍隊の存在が否定されていた戦後日本で、軍隊の活躍を描き続けたのだ。 |
もっとも、怪獣映画では、旧日本軍そのものを描いた戦記ものより、遥かに 軍隊の存在感は薄い。しかも怪獣映画の主人公は、なぜか科学者をはじめとす る民間人で、軍人ではなかった。このへんに、戦後日本の軍隊に対する微妙な 感情が伺える。戦記ものはあくまでも過去を舞台にした作品であり、怪獣映画 の時代設定は現代か近未来である。戦後日本では、軍隊は日陰者でありタブー なのだ。とはいえ、1958年公開の『大怪獣バラン』や、1966年公開の 『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』では、自衛隊の活躍が目ざ ましい。さらに1963年公開の『海底軍艦』は、戦記ものとSFが合体した 異色作だ。太平洋に没したムウ帝国の地上攻撃に太刀打ちできない国連が、旧 日本海軍の一派が秘密裡に建造した万能戦艦に出撃を要請するという、驚愕の ストーリーを堂々映像化! |
そして、1993年、湾岸戦争で小切手外交を批判された日本が、国連PK Oに初参加し任務を完了したこの年に、ついに『ゴジラvsメカゴジラ』で、軍 人が怪獣映画の主役の座に輝く。国連傘下の対ゴジラ精鋭部隊の隊員が主人公 なのだが、この時期何かと話題にのぼった国連の軍事活動を意識したのであろ うか。ともかく、この作品以降、怪獣映画の”軍人タブー”が崩れ、次々と軍 人を主役に据えた作品が登場。それは、冷戦の終結に呼応するかのような動き でもあった。 中でも、1996年公開の『ガメラ2 レギオン襲来』は、ほとんど自衛隊 の作戦行動シミュレーション。徹底したリアリズムを売りにした作品だが、ス トーリーも社会の描き方も、元祖『ゴジラ』と比較すると浅薄で緊迫感に欠け る。やはり、戦争という修羅場を体験したことのない、戦後世代の作り手の限 界といえようか。2000年公開の『ゴジラXメガギラス G消滅作戦』では、 打倒ゴジラに執念を燃やす女性自衛官が主役。ここに、怪獣映画史上初の、女 性戦士の主人公が誕生した。2001年公開の『ゴジラ・モスラ・キングギド ラ 大怪獣総攻撃』も、「防衛軍准将」とテレビ・リポーターである彼の娘を 主役に据え、軍事作戦とマスコミの動きに焦点を当てた。 しかし、怪獣映画の黄金期といえば、何といっても1960年代であった。 海外でも大人気を博し、1966年には、日本映画の輸出を推進するために設 立された社団法人「日本映画輸出振興会」が、財政投融資のワク内で、怪獣映 画製作に融資するほどだった。つまり、外貨を稼ぐための映画として、政府が 間接的な補助を与えたのである。1966年公開の『大魔神逆襲』、1967 年公開の『ガメラ対ギャオス』、『宇宙大怪獣ギララ』、『大巨獣ガッパ』は、 すべてこの融資を受けた作品。ゴジラをはじめとする、怪獣界の大御所が見当 たらないが、すでに大スターたる彼らは、人様の施しなど必要としなかった。 |
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