インフラ海外拠点インドネシア | 南の島

インドネシア・四方山話 <11>

プラウ・スリブ −1000の島々−

メルマガ*YOGYA滞在記 -ABADI- * vol.085 より転載



 ジャワ海に浮かぶ千の島々。JAL(日本航空)がリゾート開発を
し、一時注目された時期があった。アンチョールの港から高速艇で島ま
で行って一日遊んでくるというものだった。

 そのオプション・ツアーに私も申しこんだ。当時私は20才代前半
で、その頃、友人がモルディヴの海の蒼さを私に熱心に語ってくれたも
のだから、一度海外の”あおい海”なるものを見てみたかったのだ。

 ツアーデスクで申しこみ、出発の時刻・出発の桟橋の番号を確認す
る。No.は21。一日遊んでくるだけの簡単な荷物をバッグに詰め、
翌朝はやくにTAXIで港にむかった。安心のブルーバード・TAX
I.ジャカルタで1番信頼度が高いと聞いていた。そのウワサどうり運
転手のお兄さんは礼儀正しく好青年だった。港についてNo.21の波
止場はどこかと通がかりの人に訪ねると、指をさした方向に大きな船
が。「あ〜、アレかぁ」、”立派な船やわぁ”と感心する間もなく、私
は自分の目を疑った。数十m先に浮かぶ高速艇は、既に波止場からはな
れているじゃあないか!わたしの立っている場所から見ると波止場と船
の間には2cmほどのスキ間があいていたのだった。あれほど確かめた
出発時刻、時計をみるとちょうどその時刻だけれど、ずいぶん早いじゃ
あない。
 
 私はがく然としてしまった。ずっと期待していた”あおい海”なの
だ。またホテルに戻っても何をすればいいか思いもつかない。また明日
に、と言ってももう旅行の日程に余裕がなかったのだ。しばらくボーゼ
ンとしている私に声をかける人がいた。しばらく気づかなかったけれ
ど、

      −あぁ私に話しかけているのか、この人。−

 我に帰りよく聴いてみると片言の日本語で、私に ”どうしたんです
か?” と聞いている。”どちらに泊まっているんですか?オシゴトで
こちらへ?” 紳士的な態度だったが私は警戒していた。

 船に乗り損ねたことを話し、TAXIをよぶにはどうすればいいかを
聞こうとした時、そのお腹の出た紳士が ”よかったら私の島に来ませ
んか?” と言った。眼をまるくしている私に”日本の方もいます。私
は行きませんが女性のガイドが行きますから” と。私は決して冒険し
たいワケではないが、”この先に行ける、この話の先には何があるんだ
ろう?”好奇心のほうが不安感より勝った。 見てみたい、聞いてみた
い、この先の感触はどんなだろう、、、、。

 せいぜい10人も乗ればいっぱいになってしまう漁船のような船に日
本人男性とジャワ人女性のカップルがいた。申しこんだハズのツアーは
JALのリゾート島に行く豪華高速艇。それで行っていれば、島から張
り出された桟橋にまず最初の一歩をふみだすはずだった。クルーに手を
とられ、観光客として丁重に扱われたにちがいない。でも私が実際にふ
みだしたのは、藻がうちよせる海で最初の一歩はなまぬるい海水、波が
ひくと海草が足にからまりつき、バシャバシャと砂辺に上陸していった
のだ。

 私は思うのだが、飛行機や大型船や車などは部屋の窓から外を眺めな
がら移動するような体験だ。外とは別の空間に自分の身を置いている。
それと違って、小さな船やバイクは外にでて体ごと外の世界に入ってい
く体験だ。理屈や知識をこえて体験したものは、いつまで経っても忘れ
ない。太陽の光の強さだとか、匂いとか、風のつよさとか。

 日が暮れるころ漁を終え、もどってくる漁師たちの無駄のないひきし
まった腕や足。タライで洗濯をするおばあさんのジャワ更紗のサロンの
あでやかさ。夜になると消えてしまう電気。むき出しになっていたマン
グローブの森がゆったりと水面に浮かぶ時。具体的なきれ端が組み合わ
さって旅になり、その土地の現実が見えてくる。出会った風景はその時
はただただ、驚きだった。
 
 今思えば、風景の表面をなでただけで、その意味やその先にあるもの
を想像するには遠くおよばなかった。生身の人間と現実の世界に出会う
体験。どんなに小さな事からでも、その土地の文化や習慣、現実の生活
をみることはできる。リゾートの ”あおい海” だけがこの世界では
ないのだ。

 あの港で乗り損ねてガックリしていた私に声をかけてくれた、お腹の
出た紳士は名刺をもらっていたので後で高名なお医者サマだとわかっ
た。私の島というのは「出身」ではなく、「所有」している島という意
味だった。お礼の手紙くらいは出した気がするが、その後私とインドネ
シアの距離が少しはなれてしまったのでそれきりになってしまった。

 JALの高速艇の出発桟橋の番号はNO.21ではなく、No.12
だったそうだ。これはツアーデスクのミスで帰国してからお詫びの手紙
がブランドものの傘に添えられて送られてきた。いっしょに島に行った
日本人男性とジャワ人女性。カップルであることには変わりないが、
ジャワ人女性はいわゆる”現地妻”だった。

 もし、ツアーデスクのミスがなかったら、もしあの時、お腹のでた紳
士に声をかけてもらわなかったら、あの時、好奇心の方が勝っていな
かったら、、、、。


●Written by  長谷川 由利子

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続く