|
未だに残る精霊信仰。ジャワのマジャパイト王国からバリ島に移ってきた 民族は土着のアミニズムと融合しバリ・ヒンドゥ文化を開花させ、後にほ とんどの島がイスラムに改宗するが、なぜかバリ島だけはヒンドゥ教が残る。 国全体からみればヒンドゥ教徒の割合は少ない。 なぜバリにだけヒンドゥが残ったか? 土着の信仰とヒンドゥがぴったりと合ったから後から入ってきたイスラム は入りこめなかったという説が強い。 ブタッ・カラと呼ばれる低級な悪霊のはなし。ブラック・マジック、ホワ イト・マジック。 現代社会では考えられない神話の中に生きているようなところがあるバリ の人たち。 朝に、昼に、晩に供えられるチャナン。災いをさけ、無病息災を願う。 日本だと新年の形式くらいにしかされてないものが、毎日の暮らしの基礎 になっている。 毎日やっていればめんどうになるんじゃないかと、傍からみると思うけれど、 それがバリ人の共同体なのだから。バリ人がバリ人たる所以なのだから。 |
|
<<< プラウ・スリブ −1000の島々− プラウ・スリブ滞在記はこちら | |
インドネシアの国家哲学(パンチャシラ)・建国の五原則ひとつ、”神へ の信仰”の意味するものは、本質的に最高神への崇敬に向けられるという ことになっている。が、またこの最高神は多神論であれ、無神論であれ全 ての信仰を包括する能力があるということだ。 イスラムにとっては、ただ一つの解釈・アッラーのみが唯一の完全な神で あって精霊崇拝や、降神術と混同することは罪であり、考えられないこと だろう。 一つの解釈がある。”国家の基礎となっているのは「神への信仰」ではなく、 「神への信仰を承認することを基本」としていることだ。それにしてもイ ンドネシア共和国が一神論(イスラム)を基本とし、多神論に基づくもの ではないこと、更に無神論や神を信仰しないことを基本にしているのでは ないことはあきらかなのだ。” バリ・ヒンドゥというものは、インドネシアからすれば極わずかなもので、 他の民族からするとそのしきたりは窮屈なものに映るだろう。 電話すら、TVすらない山奥の村がある一方、観光都市部ではインターネ ット・カフェが続々と普及している。 大資本のリゾート開発がなされ、政府の方針のもと「アジアのリゾート」 となったバリ島。 ここはハワイ同様、この先何十年と世界の旅行者を魅了しつづけるだろう。 バリ・ヒンドゥと共に時代の変化を微妙に吸収しながら。 |
|