インフラ海外拠点インドネシア | 南の島

インドネシア・四方山話 <1>

JAKARTA−ジャカルタ−



JAKARTA−ジャカルタ−
 どこの国のどんな都市なのかよく知らない昔から、このジャカルタという
 響きが好きだった。
 エキゾティックで少し野性的な響きがする。
 きっと、TVかなにかの旅行番組やニュースから少しづつ私の頭に入ってきて
 いたのだろう。
 ここの空港が好きだった。
 生まれて初めての海外旅行のトランジットで、何時間かスカルノ・ハッタ空港で
 過したことがある。
 何時間も待たされるワケだからイヤになるはずなのだが、なにしろ生まれて
 初めての海外旅行なワケだ。
 10日間旅行してきた場所とは全く違う気候、匂い、人々、建物。
 空港から出てみたい−−−広いスカルノ・ハッタ空港をブラブラ歩き、
 熱帯の空気を吸い、咲き乱れるブーゲンビリアの花を見つめた。
 ここから旅立つ人々を何時間も眺め、外を眺め、コーヒーを飲み、、、、。
  空港内に人目を引く置物があった。
 その頃は知らなかったが、それはガルーダ、ヴィシヌ神の乗り物・鳥神ガルーダだった。
 一目で気に入ったというか、惚れたというか。
 何なのだろう、ここの国は、、、割と近代的な空港に思えたのに、そう、日本で
 いうなら片田舎の土産物屋にあるような、なまはげ?てんぐのお面?的な置物
 が、レストランの入り口にドーンと置いてある。
 成田空港内の喫茶店・入り口に天狗の置物がおいてある、、と想像してもらえば
 いいだろうか?
 旅行してきた国は西洋文化の地だったので、余計にこのガルーダの間が抜けた
 感じがよかった。
 後になり、この空港は建築士でもあった初代大統領スカルノ自身の設計で
 建てられた空港であると知ったが。
 神話にでてくるガルーダを国営航空会社のマークに使っているのも私は気に入った。
 そんな国、他にないだろう、、、おそらく。

 それから数年後、初めての一人旅。JAKARTAへ。
 世はまだバブル期。私も何万もするスーツを着て(現在からは考えられないのですけど)
 慣れないパンプスを履き、満員電車にゆられて通勤する日々を送っていた頃です。
  現地人のガイドでジャカルタの国立博物館やバティックを売るお店など、お決まりの
 コースを観光しました。
 今でも覚えています。博物館の中庭から流れてきたジャワ宮廷音楽。
 躍動的なバリ島ガムランとは対象で、ゆるやかな麗しい宮廷ガムラン。
 その音で違う世界に足を踏み入れてしまった気がしました。博物館の中をすすむと
 ジャワ原人から始まり、その時はわからなかった多種の民族の顔が描かれた大きな
 パネルの前で私は釘付けになりました。
 ひんやりした館内で身震いしたのを覚えています。なぜかはわからないけれど、
 ギリシャのパルテノン神殿やローマのコロッセオ、ルーブル美術館や、神の手で造られた
 というミケランジェロのピエタ像を観て感激したのとは全く別物の、もっと自分の中か
 涌き出るものでした。
 遠くを見つめる民族の顔。ひとつひとつ見ていくとハッキリと親しみを覚える顔と
 一瞬で違う っと思う顔がありました。
 親しみを覚える顔、遠い、遠い、遠〜い記憶。懐かしいような踏み入れてはいけない
 ような複雑な思いになりました。
 そのパネルの前でガイドの方に写真をとってもらいましたが、やはりそんな複雑な顔を
 した十数年前の私が写っています。
 
 バリ島の美術館でもこれと同じような感覚にとらわれることがあります。
よくよく思い出してみるとジャワ王族の夫婦の肖像画です。見たことがある方
も多いでしょう。
この夫婦の肖像画を見ると、私はきまって古い親戚にでもあったような気持ちになります。
絵にむかって話しかけたくなるくらい。
  ”あぁ、やっと来たよ。”とか ”どこかで会ってますよね?” なんて具合に。
 アブナイ人と思われては困るので心の中でこっそりと話しかけますが。
	  
 「マタラム王朝」この言葉もわたしには響くし、ロンボッ島の「チャクラネガラ」という通りの名前も
サンスクリット語で私の中ではとても合点のいく一つです。
むかーし、むかし私はジャワで暮らしたことがあるのかもしれない。
なぜかはわからないけれど、心惹かれる場所ってありますよね?

続く