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小泉ニッポン!"東アジア一人ぼっち"劇場 13

(報告:常岡千恵子)


 お次はオーストラリアの新聞に掲載された、フリー・ジャーナリストに
よる論評の部分訳をご紹介したい。

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『キャンベラ・タイムズ』(オーストラリア) 2005年12月29日付
     −嘘を生きる:なぜ歴史の歪曲は決して賢い戦略ではないのか
                         ;グウィン・ダイヤー筆


 アラブ世界では、ほとんどの書店で、『シオン賢者の議定書』が悪意あ
る反ユダヤ主義の偽造文書であることを知らされることなく、その翻訳を
購入できる。

 そして日本の学校では、1890年から1945年の間の、自国のアジ
アにおける帝国主義的拡張の血塗られた歴史を、不幸ではあるが基本的に
近隣諸国との一連の善意の誤解として描く歴史教科書を見つけることが
できる。

 未来を形作りたい者は、しばしば過去を作り直そうとすることから出発
するものだ。

 少なくとも、日本では、まだ上層部で歴史の書き換えに抵抗する人たち
がいる。
 アキヒト天皇は、72歳の誕生日を迎えるに当たって、先週木曜日に、
1927年から1945年までは「ほとんど平和な時がありませんでし
た」と国民に呼びかけ、世界と交わっていく上で、彼らの国の歴史を正し
く理解しようと努めるべきだと述べた。

 これは、日本の天皇が決して使わないような率直で明瞭な言葉に置き換
えると、現代人の知るところでは、日本が数千万人もの無実の人々の命を
奪って、中国をはじめとするアジア全般を征服しようとしたことを日本国
民は心に留めておくべきだ、ということだ。

 この体験について、天皇も以下のような捕捉ができたかもしれないが、
この体験は、日本の近隣諸国の間に、いまだにくすぶり続ける憤りと、か
なりの緊張を残しており、小泉首相の再三の靖国戦争神社参拝はまったく
利益にならない。
 だが、これほど率直に語るのはまったく日本的ではないので、天皇はそ
のような発言はしなかった。

 アキヒトの言葉は、日本のナショナリズムを復活させ再び軍国化を進め
ようとしている保守政治家への、前代未聞の叱責だった。
 アキヒトの動機は、ほぼ確実に、日本が巨大な隣国、中国との軍事的対
立に漂流していく(米政府によって奨励されている)のを阻止することに
あったが、彼がこの発言を行ったちょうどその日に、麻生外相がまたして
も、中国の軍事力がかなりの驚異になりつつあると警告した。

 ドイツ人は、他のヨーロッパ人がいかにナチに苦しめられたかを認識し
ているが、もし今日の日本人がドイツ人同様、過去の日本の支配下で他の
アジア人が経験した恐怖を全面的に認識していたならば、日本人は現在彼
らに仕掛けられている(日本の軍国化を推進するための)威嚇戦術にこれ
ほど踊らされなかっただろうし、近隣諸国との本当の和解に対してもっと
オープンだっただろう。

 だが、権力の座にあるデマ屋はそう望んではおらず、というわけで日本
の学校の歴史教科書は、大東亜共栄圏の旗の下に起こったことに関して、
どんどん曖昧になっている。

 ホロコーストを否定するアラブ人たちは、これと大きく相違している点
がある。
 アラブ人たちは、自らの歴史ではなく、他国の歴史を偽造しているのだ。
 これは比較的最近の現象で、従来、中東のムスリムは、ともに住んでい
たユダヤ人を寛容と敬意をもって接していた。

 事実、ヨーロッパのユダヤ人を何世紀も大虐殺と追放に処し、ヒトラー
の民族抹殺計画から彼らを救えなかったキリスト教徒より、はるかによか
った。
 しかしその後、パレスチナの地が紛争の種となった。

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 上の論評は、同日にオーストラリアの『ジ・エイジ』、2005年12
月28日にインドネシアの『ジャカルタ・ポスト』、2005年12月
31日にニュージーランドの『ニュージーランド・ヘラルド』、2006
年1月6日にカナダの『ウィニペグ・フリー・プレス』の各紙にも掲載さ
れた。


 さて、お次は、小泉首相がWTOで日本をアピールするために寄稿した、
国際的な英経済紙の社説、すなわち、新聞としての見解の要旨をご紹介す
る。

  小泉首相の寄稿のおさらい↓
    ・小泉ニッポン!"東アジア一人ぼっち"劇場 11

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『フィナンシャル・タイムズ』(英)    2005年12月29日付
     −ライジング・サン、再登場
          日本の経済は乗りまくっているが、外交は心配
		  


 中国の近代化とインドの成長、米国の驚異的な復元力の興奮の渦の中で、
投資家たちは、世界第二の経済大国が停滞とデフレの泥沼から脱出するた
めの勇敢な努力を無視しがちだった。

 しかしながら2005年、日本はレーダーの捕捉範囲内、そしてトレー
ディング・スクリーンに戻ってきた。

 かつては日本についての悲観が誇張されたが、今日はその反対で、独り
よがりに陥る危険をはらんでいる。
 しかし、4年間のノロノロ運転の成長を経て、日本経済は本当に快方に
向かっているようだ。

 この経済的好転は、中国と米国からの日本の輸出需要の増加をはじめと
する、いくつかの幸運な要因が重なって生み出されたものだ。
 たとえそうでも、小泉首相と、日本の金融改革の先頭に立ち、現在郵政
民営化に取り組んでいる竹中総務相は、賞賛に値する。

 小泉氏は、経済改革を実行するより、語るほうが上手だ。
 だが、振り返ってみると、予算削減で政府の負債を減らすという初期の
約束にこだわらなかったのは、正しかった。

 もっとも重大な彼の遺産は、政治の分野にある。
 9月の総選挙で郵政民営化を争点に絞り、圧勝したことで、彼は経済改
革という概念、実行ではないにしろ、を価値のあるものにした。

 小泉氏と日本がふじゅうぶんなのは、外交政策だ。
 自民党は、日本の自信回復と"普通の国"になる願望を反映するために、
戦後の平和憲法を改正しようとしている。
 だが、小泉氏の靖国神社参拝に激怒した中国が、日本の国連安保理常任
理事国入りを阻止し、アジアで日本政府を孤立させる運動を始めた。

 この感情的な問題は、島国気質の日本人にとって、中国人が気にするほ
どの問題ではなく、中国が最大の貿易パートナーになることを止めようと
もしなかった。
 
 しかしながら、熱い経済的関係と凍りついた外交という、不安定な組み
合わせを維持することはできないし、もし安倍官房長官のようなナショナ
リストが小泉氏の後継者になった場合に、うまく扱うのが難しくなる。

 ドイツが過去の侵略を後悔し、ヨーロッパの中心でフランスと和解に達
したように、日本は東アジアで中国と手を取り合うために、歴史を直視す
る必要がある。
 それが実現するまで、日本は普通の経済を持っても、普通の国にはなれ
ないだろう。

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 お次は、シンガポールの新聞による日中米印関係の分析の要旨をお伝えする。

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『トゥディ』(シンガポール)       2005年12月30日付
   −経済的に結びつき、政治的に疎遠;
      増大する中国の力を抑えるべく、
               日本は米国とインドに目をつけるだろう
				 


 日本の小泉首相は、水曜日に、2006年には中国と温かい関係をつく
ると宣言したが、中日関係のアナリストたちは、すでに過去数十年間で最
悪の関係が、来年はもっと冷え込むだろうと予測する。

 専門家たちは、長年アジア経済を主導してきたパワーハウスである日本
は、1990年代半ばから始まった中国の急激な台頭に、いまだに折り合
いをつけられないでいる、という。

 中国は、二桁の成長を誇るだけでなく、世界最大の人口と、強力な軍隊、
そして強いナショナリスト感情を誇示するリーダーシップを持つ。

 アジア・ウォッチャーたちは、日本で人気のある小泉政権は、この地域
の発展のための正しいステップを踏んでいないという。

 政治アナリストは、小泉首相の靖国神社参拝を挙げる。
靖国神社には、日本が第二次世界大戦で負けるまでに行った、中国と朝
鮮半島と、アジアの大半の地域の侵略と植民地化に対して責任のある日本
の戦犯たちが祭られている。

 中国と韓国は、小泉首相が靖国神社を参拝するたびに、彼の行動は過去
に対する日本の反省不足の現われだと、激しく反応する。
 小泉氏は彼らの主張を否定し、参拝を強調し続けている。

 小泉氏が9月に退陣した後、おそらく彼の後継者になるであろう安倍晋
三氏が、保守派にとっての戦争のヒーローの参拝を続けることになる。

 小泉首相は先週、日本の戦没者の慰霊について外国に指示されることは
許さない、と述べた。

 ある中国ウォッチャーは、このようなボルテージの高い発言は、小泉氏
が、日本が活発に地政学的役割を果たすことを目指し、中国にこれを認め
させたいことを示している、という。

 新しい日本の目標のひとつは、中国からの挑戦に応じるための、米国と
の堅固な同盟である。
 アナリストたちは、この政策の結果は来年明らかになる、と語る。

 東京在住の韓国人アナリストのチジュンクワン氏は、米政府との関係で
すでに自信をつけた日本は、さらに中国の台頭に対してバランスを取るた
めに、インドに手を伸ばしている、と語った。

 もう一人の強硬派、麻生外相が、来週、インドとパキスタンを訪問する
予定になっている。

 小泉氏は、クアラルンプールでの東アジアサミットで、インドのマンモ
ハン・シン首相と会談した。
 二人は、東アジアと国連安保理改革で協力しあうことで合意した。

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 そして、2005年の大晦日には、日本国内で大きく報道された、上海
の日本の外交官の自殺事件が、ニュージーランドにまで伝わった!!
 外務省による中国への抗議が、はたして南半球における日本のイメージ
アップに貢献てくれたかどうか、その報道の要旨をご紹介しよう。

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『ニュージーランド・ヘラルド』(ニュージーランド)
                    2005年12月31日付
     −言葉の戦争が、新たな敵意を煽る
   脅迫とスパイとスキャンダルが、日中関係を緊張させる



 昨日、日本政府が、中国のスパイのせいで日本の外交官が自殺したと非
難し、中国と日本の歴史的ライバルが、言葉の戦争に突入した。

 昨年5月、上海の日本総領事館が、中国の諜報員にカラオケ・バーのホ
ステスとの関係をネタに脅迫されていたという遺書を残して、自殺した。

 この事件は、水曜日に、日本の外務省の報道官によって明らかにされた
が、中国政府が激怒し、昨日、中国のイメージを貶める言動だ、と日本の
外務省を非難した。

 この騒動は、中日関係をさらに低下させる恐れがある。
 中国は、日本が第二次世界大戦における行動を謝罪しないことに怒りを
抱き、日本は中国の軍事費増加や、豊富な天然資源のある島の領有権に神
経を尖らせ、今年のアジアの二大大国間の摩擦を激化させた。

 中国と日本の間の緊張は、先週、日本の麻生外相が、中国を北東アジア
にとっての"かなりの脅威"と非難したことで、すでに限界点に近づいて
いた。
 麻生氏はまた、軍事費を増加させている中国が、この地域に恐怖を広げ
ている、と主張した。

 これに対し、中国政府は、彼の発言が「非常に無責任」だと応酬した。

 日本のメディアの報道によれば、死亡した外交官は上海総領事館で通信
を担当していた。
 彼は非常に微妙なポストに就き、東京の外務省に送信する機密情報を暗
号化する仕事も担っていた。

 外交官が残した遺書のひとつには、カラオケ・バーのホステスとの関係
をネタに、中国の諜報エージェントから、機密文書を東京に送る航空便の
詳細や、総領事館のスタッフの情報を渡すよう圧力をかけられた、と書か
れていた。

 彼は、「国を売ることはできない」とも書いていた。
 そのかわり、自殺を選択した。

 日本の自殺率は、先進諸国の中で最高だ。

 中国では、4月に、1937年に日本陸軍が30万人の中国一般人を殺
害した南京大虐殺などの悪名高い事件に対し、謝罪しない日本に対しての
怒りが沸点に達した。

 第二次世界大戦中の日本の行動に対する中国の怒りは、日本の小泉首相
の再三に渡る靖国神社参拝で、さらに煽られた。
 靖国神社には、日本の戦没者だけでなく、戦犯も祭られている。

 中国は、日本の国連安保理常任理事国入りを支持することを拒否し、日
本が台湾を"共通の安全保障の懸念"と発言したことに、激怒した。

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 そして、本連載の2005年のトリは、東アジアの一員であるシンガポ
ールの新聞報道の要約に務めてもらおう。

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『ストレーツ・タイムズ』(シンガポール) 2005年12月31日付
      −勝利に浸る



 日本では、今年は、9月11日の選挙での小泉首相の圧勝が記憶される
年になるだろう。

 この勝利は、63歳の指導者に、物議を醸した郵政民営化推進の新たな
負託を授け、彼の自民党に衆議院の3分の2を超える議席を与えた。

 だが、彼が毎年、戦没者とともにA級戦犯14人が祭られている靖国神
社を参拝していることで、中国と韓国との関係を悪化させ続けている。

小泉氏は、スキャンダルのにおいで知られる。

彼は慶応大学受験に2度失敗し、入学後は遊び人だったといわれている。

 1967年、大学4年生の終わりごろ、ロンドン大学に送り出されたが、
これはレイプ事件を起こしたためとされている。
 彼自身は、国会でこの疑惑を否定した。

 2年後、彼は死亡した父親の横須賀の選挙区を継ぐために、急遽帰国し
た。

 だが、若き小泉氏は、地元の郵便局長がライバル候補を支持したため、
初選挙で落選した。
 この"裏切り"に復讐するため、彼は郵政民営化に固執し、長年の努力
の末、ついに10月に実現した。

 世論調査で人気があるにもかかわらず、彼の私生活はほとんど知られて
いない。

 1982年、わずか4年の結婚生活ののち、妻の佳代子は彼の元を去っ
た。

 自民党は、議員が家族を秘書とすることをやめさせようとしているが、
小泉氏の秘書は、姉の信子だ。
 彼女は亡き父の秘書も勤め、政界で"女帝"と呼ばれていた。

 彼女は実質的に、小泉氏の生活と資金を仕切っており、女性閣僚の採用
も彼女の助言によるものだとされる。

 彼に最も批判的な人々は、彼の元妻に対する冷たさを繰り返し指摘する。

 離婚の理由は公にされたことがなく、このとき彼女は、彼の3人めの子
どもを妊娠していた。

 離婚後、彼女は、2人の息子たちと会わせてもらえなかった。
 小泉氏は、離婚後に生まれた3人目の息子に会うことを拒んだ。

 数年前、三男が小泉氏に会おうとしたが、秘書に追い返された。
 この日、小泉氏は、公の場で次男とキャッチボールをすることを選んだ。

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 かくして、波乱の敗戦60周年が幕を閉じた・・・


続く