活動活動報告

ネービークラブ21・防衛庁へ 2



市ヶ谷記念館は、元は本館にあった大講堂(東京裁判のあったところ)と、旧陸軍大臣室、
旧便殿の間(天皇の休憩所)を移設合体したものだ。ホールの床板7200枚も、どの位置に
あったものか(歪んだの以外)すべて記録されて復元されている。
旧軍人たちの残した一言集を見るのは、永野海軍軍令部総長の娘さん。
ホール前方(左画像)の玉座と後方(右画像)。玉座よりも後方の2階席を低く見せるため
遠近法を駆使している。例えば、ホールの床は後方で上り傾斜が付けられ、玉座からは、
実際より遠くにあるように見えるのだ。
玉座の床は箱根から招いた職人たちが、この場で細工し、組み上げた組木細工。
壁は皇室の壁と同じ川島織物製。これで帯を作ってもらうと4800万円?
そこまで工夫を凝らした玉座に、女子高生が勢ぞろい。
2階では、ギャルが説明してくれる。
説明してるのは、昭和9年の大訓練での、天皇を上から撮影した珍しい記念写真。
このガラス板(この大きさ)に直接焼き付けられた。並び方も写ったときに長方形に
なるように、最前列は40人最後列は120人だった。3800人全員にピントがあってる。
大講堂の設計といい、撮影法といい、遠近法が大活躍だ。

ここでは、東京裁判や市谷台の歴史を、よーく教えてくれた。では、いよいよ
今の防衛庁の説明か・・・・・?

続く