日本が低欲望社会になっていることの分析と解釈はなかなか細かくそして広い 分野において行われている。カトケン自身の低欲望化とも整合性が取れる記述が多く、さすがは大前研一さんだ。
しかし、残念なことに、大前研一さんは、低欲望社会を敵視し、また高望+ 大志の時代にもっていくのが良いと考えていること。ここまで低欲望社会を分 析し理解しているのになぜ、低欲望社会の良さや 夢、可能性を見つけられない のか、と感じるほどだ。結局、大前氏が提案している方向性は、高度成長期〜 バブル期の昭和の夢を見てる老人の考え方で、大前氏自身が批判している政界 財界のおじさんたちと同じだ。
まず、低欲望なのが、若者などを中心とした世代=低欲望世代、としているの が大きな間違いだ。カトケンのように、スケールでかいもの大好きだった人間でさえ、戦争屋から離脱して楽器奏者に転向している。世界中に行きまくっていた 友人知人にも、日本で身近な楽しさをエンジョイする人生に なってる人は 多 い。つまり、世代ではない。同じ人間が、低欲望側に変化している。なぜ、 低欲望側に変化したか。それは、低欲望の良さを見出したから。
本書の中で大前氏が若者たちに述べている「内向き・下向き・後ろ向き」も、 大きな間違いだ。上から目線でしか世の中を見れない偉い人の寂しさともいえる。少なくとも「後ろ向き」は、過去を夢見てる大前君自身だ。若者は後なん て向いてない。下向きなのも若者ではなく、大前君自身だ。若者は下を向くほど 高いところを経験していない。内向きは、まあ、あるかも。しかし、カトケンが 外向きだった時代を思うと、内側の魅力や大切さに気づかず外側に尖がってたと いうだけかも。
カトケンの周囲にも、大前さんを尊敬し影響された優秀な友人は多い。しか し、その優秀な大前さんの本だからこそ、「老害」というものが見えやすいとも感じた1冊だ。
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