バブル絶好調道の川柳・森川晃目黒区

首都高速ジャンクション成就物語4



35 与野JCT

 大宮線と埼玉新都心線の接続するジャンクションである。将来は、北には大宮
線が延伸して上尾道路につながる。上尾道路上空をさらに北上して熊谷、さらに
太田方面への延伸することもできる構造になっている。西には富士見、所沢方面
に核都市広域幹線道路の計画がある。東京外環自動車道と国道16号の間に位置
する東京の衛星都市群を結ぶ路線である。実は埼玉新都心線もこの路線の一部
で、この路線で唯一の開通区間になっている。

 与野JCTは、交差する2路線の4方向すべてに相互連絡するフルジャンク
ションである。現在は大宮線東京方向と、埼玉新都心線見沼方向しか開通してい
ない割に、派手なループ線形のランプ部を含む広大な道路用地を確保している。
過剰インフラに見えてしまう。埼玉新都心開発に莫大な投資をしていたようだ
が、道路の需要は明らかに北の上尾方向にある。

大宮線は与野JCTを設けず、そのまま北上させていれば、現在は国道16号西
大宮BP(バイパス)と接続する宮前ICくらいには至っていただろう。埼玉新
都心方向へは与野Rだけで十分まかなえる。現在、与野R(特に北行出口)は渋
滞が多発している。これは、与野JCT以北の区間が未開通のため、上尾方向へ
は与野出口が最終出口になるせいである。1車線の出口にしぼられ、一般道路
(国道17号新大宮BP)の手前で一旦停車が強いられる。典型的な終点渋滞で
ある。大宮線が宮前ICまで開通していれば、この渋滞は発生しない。

与野出口は埼玉新都心方面への出口になるので、ここが渋滞するようになってか
ら埼玉新都心線に着手すればよかったと思う。個人的なことだが、当方は与野出
口が渋滞し ているときは、新都心西出口から中山道で上尾方面に向かうルート
を選択している。
 現在は、大宮線の北進目処も立っていないので、与野JCTとしての成就は
「予定なし」とした。

◆写真4 与野JCT さいたま市中央区円阿弥1 首都高速大宮線東京方面から埼玉新都心線への接続ランプ部をのぞむ。 写真左側が与野JCTランプで、右側が与野出口である。その間のバリケード は、大宮線本線の延伸予定箇所である。撮影時も、埼玉新都心線方面はスムース で、与野出口は渋滞していた。さいたま新都心の開発を否定するつもりはない が、少なくとも首都高速は大宮線の北進を優先すべきだったと思う。 (2006年11月3日、著者撮影。)
◆成就時期

1)	都心整備期(成就まで9年以内)
2)	
1962年の初開通から1973年までの期間に成就した箇所に着目する。
1964年10月の東京オリンピック開催までは、オリンピックのために必要な
区間を開通させることに投資が集中し、ジャンクションの接続予定箇所もほぼ計
画通り準備されていた。当時はオリンピック特需が長く続き、オリンピック以降
も次々と開通区間を伸ばしていくと考えられていた。とにかく当初計画の全区間
を早期に開通させるかの勢いがあった。

ジャンクションの成就までの期間は、オリンピック関連路線についてはリミット
(1964年10月)が決まっていたので、最大でも2年8ヶ月で成就させてい
る。(8竹橋JCT:2年8ヶ月))
 オリンピック以降も高度成長は止まらない。首都高速の交通量は年々増大し、
路線も拡大していった。当初計画では、環状6号線以内での整備に止まっていた
が、都市間高速道路に直結させるべく東京の端部まで延伸することになった。
ジャンクションの成就までの期間は、接続路線の計画が頓挫しなければ、遅くて
も8年くらいで成就している。(6西銀座JCT、7神田橋JCT(8年7ヶ月))

◆地図2

首都高速路線図(1)
1964年10月開催の東京オリンピックまでに開通した路線。
オリンピック関連施設への利便性を優先して路線は選定されている。メイン会場
の国立競技場に近い新宿線外苑R、選手村に近い代々木R、それらを空港と直結
している。渋谷線の渋谷高架橋は、現在の上り線渋谷出口と、道玄坂の渋谷Rの
間の1.3キロである。明治通りをオーバーパスするだけだが、渋谷線が環状線
に接続するまでの3年ほど運用されていた。駒沢会場には少しは便利だったと思
われる。京橋JCTは開通していない。東京高速道路会社線は西銀座入口、新京
橋出口と汐留JCTまでの区間で通行することができた。また、初台Rは現在と
は連絡方向が逆になっている。
3)	中央環状、湾岸整備期(成就まで10年以内)

 1974年から1987年までの期間に着目する。
 東京都心はおおむね開通し、放射線が順次都市間高速道路に接続していった。
ジャンクションの多くは、放射線を結ぶかたちで整備される環状線に現れる構造
である。この期間に中央環状線と湾岸線が開通し始め、これらと放射線とのジャ
ンクションが出現した。高層ビルの林立する都心部ではなく、郊外や湾岸の広大
な道路用地に整備されていたせいか、都心整備期と変わらないペースでジャンク
ションは成就していった。

 特筆すべきは、前項(補足事項)でも記したように池袋線の早稲田出口の設置
による小成である。本線(2車線)が分岐する予定だった準備箇所を、本線の計
画頓挫により、出口(1車線)に転用している。ほかにも頓挫した路線のための
ジャンクション準備箇所はいくつかあるが、ほかの用途に転用することは珍し
い。晴海線が接続する新富町出口は、このケースに近いが、これは晴海線が後付
なので除外したい。道路構造物は高価な社会資本である。本線料金所跡のスペー
スをパーキングエリアに転用するだけでなく、あらゆるスペースをなんらかのイ
ンフラに転用し、有効活用してほしい。

続く