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14(江戸川橋) 池 袋線の飯田橋Rと護国寺Rの間に位置する神田川上空のジャンクション予定箇所である。当初は、池袋方面に向かう本線から分岐して、神田川上空から新目白通 り上空に移り、新宿区西落合1交差点から新青梅街道上空に移り、練馬区上石神井で東京外環自動車道に接続する予定だった。この計画は頓挫したが、池袋線下 りの分岐準備部だけを転用して早稲田出口とした。 早 稲田出口のわずか600メートルの神田川右岸区間はおおむね当初計画のルートである。下部橋脚は、川岸から逆L字状に神田川上空に林立している。その気に なれば、対岸に同じ構造の橋脚を立てれば、神田川の全面を覆う高架構造物を架橋できそうだが、それは考えすぎ。単に神田川内に橋脚を立てない構造にしただ けだろう。このジャンクション予定箇所は半分だけ有効活用しているので、状況は「小成」とした。 |
◆航空写真2 |
20 熊野町 池袋線と中央環状線の接続 するジャンクションである。1977年8月19日、池袋線開通時に熊野町JCTの準備は施されていた。分岐/合流部だけでなく、熊野町JCTから板橋 JCT間での区間の本線は3車線に拡幅されていた。このときは2車線だけ解放していた。その後、1981年3月27日に熊野町JCTの接続箇所を利用し て、高松Rまでの0.6キロが開通した。中央環状線本線ではなく、池袋線の高松Rとして開通したのだ。 運 用上はジャンクションではないが、構造はジャンクションそのものである。そのため、このときに「成就」と分類した。成就までに3年8ヶ月(1316日)か かった。ちなみに、高松R以南が開通して中央環状線本線が接続したのは2007年12月22日である。山手トンネルの開通である。このときに成就したとす れば、成就までに30年5ヶ月(11082日)かかったことになる。 このレポートでは、あくま でもジャンクションにしぼったので、高松Rの先の本線延長における「成就」は含まれていない。本線の延長準備に着目すると、高松R以外に成就までの期間が 長い箇所や、永遠に成就できない(失敗)箇所もいろいろ見つかる。別の機会にまとめてみたい。 |
◆写真2 熊野町JCT 首都高速の下には山手通りの(川越街道をくぐる)熊野町アンダーパスが設置されている。山手通りの平面を含めて4層に道路構造物が重複している。 2008年8月3日のタンク ローリー横転事故は、上から2層目の池袋線下り、中央環状線との合流部で発生した。最上層の床版を破壊し、事故現場の池袋線下りだけでなく、上下線のすべ てが通行止めになった。橋脚にも被害があれば山手通り平面やアンダーパスの通行も規制されただろう。高度利用の道路構造物の構築は、都市部においては極め て合理的ではあるが、大きなリスクを持っているのだ。 (2008年9月15日、著者撮影。) |
28(本木) 上野線が延伸して、ここに 接続する予定がある。荒川左岸上空の中央環状線は、おおむねシングルデッキの4車線だが、足立区本木ではダブルデッキ構造になり、上下線ともに南側に分岐 /合流準備が施されている。江北JCTと同じような構造物を容易に接続することができる。上野線の延伸は、現時点で目処が立っていないので「予定なし」と した。 30 生麦 生麦JCTは、横羽線と大黒 線と横浜環状北線の接続するジャンクションである。横羽線は1968年11月28日に開通したが、生麦JCTの準備はしていない。この一覧に記しているの は1989年9月27日に開通した大黒線に着目したせいである。こちらには横浜環状北線との接続準備が施されている。 32(中村橋) 狩場線の板東橋Rを挟むか たちで分岐/合流部が準備されている。掘割川上空を経て、湾岸線に接続する磯子線の接続準備箇所である。容易に建設されるかと考えていたが、湾岸線の着工 が始まってもなかなか磯子線には着手しない。2001年10月22日に湾岸線が全通してもその状況は変わらない。それどころか、開通した湾岸線には磯子線 の接続が準備されていない。さらに、2004年12月22日、湾岸線金沢方面と狩場線を連絡する本牧JCTが開通した。元々、本牧JCTは狩場線と湾岸線 東京方面だけを連絡する構造になっていたが、フルジャンクションに計画変更されたのだ。これにより磯子線の必要性はなくなってしまった。 |
◆写真3 狩場線は河口から中村川上空を進み、花之木Rの手前、吉野橋あたりまでダブルデッキ構造が続く。石川町JCT、板東橋Rと双方向連絡の分岐/合流が続くので、この構造は有効である。もちろん、磯子線との接続も、この構造を採用した理由になっているはずである。 写真は狩場方向の磯子線接続準備箇所だが、背後には石川町方向の準備箇所が見られる。 (2004年2月11日、著者撮影。) |