このレポートでは、首都高速道路のジャンクションの成就についてまとめる。
成就とは、1路線目の開通時にジャンクション接続準備をしていた箇所に、2
路線目以降が接続して、ジャンクションが完成することである。計画変更によ
り、準備をしていない箇所へ接続された箇所は対象としていない。準備とは、本
線(上部/下部構造)に分岐/合流部の専用構造物が準備されていることであ
る。ここで着目していない箇所は、後付ということである。
また、都市間高速道路との接続箇所も対象としない。あくまでも首都高速単独
のジャンクションだけに着目した。(ただし、東京湾アクアラインとも接続する
川崎浮島JCTは、複数の首都高速(湾岸線と川崎線)が接続しているので対象
とした。同様の論理で、与野JCT(大宮線と埼玉新都心線)も対象とした。)
制限の多い狭い用地内に複雑な構造物を成就させる困難を確認しているのだ。 |
◆表1
ジャンクション成就一覧(1)
最初の開通日が1962年12月20日から1978年1月20日までの分。
★ 留意
この一覧は、首都高速のジャンクション一覧ではなく、ジャンクション準備箇所
一覧である。 |
◆表2
ジャンクション成就一覧(2)
最初の開通日が1980年2月25から現在(2009年11月)までの分。 |
◆地図1
ジャンクション位置図
(東京線都心部は、地図1−Aを参照。) |
◆地図1−A
ジャンクション位置図
(環状線東北部は、地図1―Bを参照。) |
◆地図1−B
ジャンクション位置図 |
◆補足事項
1)分類項目における補足事項
・JCT名
現在開通している箇所は、現在使われている名称を記した。
未開通箇所は、仮称である。
・路線名、開通区間
現在開通している路線、出入口は、現在使われている名称を記した。
2)JCTにおける補足事項
1 新富町
環状線の新富町出口として開通しているが、新富町出口の先、築地まで掘り割
り内の路盤は準備されている。1962年の開通当初は湾岸線への到達までは計
画されていなかったはずである。築地から銀座までつないで、東京高速道路会社
線のような機能を果たす予定だったと考えられる。
手持ちの古い地図(1978年の武揚堂製)では、入船橋から佃島方面への分岐
線も記されている。いずれも実現の可能性はなくなったと思っていたが、
2009年2月11日の晴海線の部分開通によりジャンクション予定箇所に含ま
せた。開通時期は未定である。
12(岩本町)、13(飯田橋)、16 両国
いずれも内環状線の接続準備である。当初計画においても環状線1本では、重
交通に耐えられないと考えていたのだ。想定通り首都高速で環状線ネック渋滞が
多発するようになると、当初計画の甘さが批判された。東西方向を貫通する内環
状線が実現していれば、これらの渋滞はほぼ解消していたと考えられるので、決
して計画は甘くなかった。甘かったのは社会状況の変化予測である。
首都高速黎明期には河川空間を利用することが有効とされていた。環状線、目黒
線、池袋線、向島線、小松川線など多くの路線がこの空間を利用していた。内環
状線は神田川の空間を利用するものだった。時期を経て、水際環境に着目される
ようになり、河川上空を利用することが流行らなくなった。
現在でも内環状線ルートにおいては、昌平橋から御茶ノ水橋までの区間以外は、
問題なく建設できると思えるが、着工目処は立っていない。
内環状線の飯田橋以西は、大久保通りを進み中野区の山手通りに至り、ここで
は中央環状線と直結する予定だった。現在、このあたりの中央環状線は山手トン
ネルになっている。トンネル内では確認が難しいが、本線からは内環状線の接続
準備はしていないように見える。 |