ところで、莫大な費用のかかる大規模道路建設は政治の道具にされる運命にあ
る。革新的首長により飛躍的に推進される期間もあれば、反対に保守的首長によ
り凍結される期間もある。首都圏(特に東京)の道路建設は1964年の東京オ
リンピックによる派手な建設ラッシュ以降長い期間に渡り、建設は緩やかに進ん
だ。しかし、1990年のバブル景気以降、進行が早まる傾向になってきた。石
原都政の影響だろう。
これまで建設途上で放棄されていた区間が順次開通していった。環状3号の港
区六本木6と南青山の区間では、麻布トンネルをようやく有効活用できるように
なった。さらに六本木ヒルズの開発に併せて六本木通りと環状3号麻布十番方向
のランプも追加された。環八通りは、練馬区、板橋区の2区間の開通により全通
した。
環状2号の通称マッカーサー通りも着工している。2016年の東京オリン
ピックは逃したが、環状2号の汐留から豊洲6までの区間の建設が凍結するとは
思えない。高速道路では、首都高速中央環状新宿線の開通だけでなく、品川線も
着工した。東京外環自動車道では、三郷南ICから高谷JCTまでの区間の開通
目処がたっている。いずれも数十年前に計画された路線で、費用面だけでなく技
術的にも難工事が伴うプロジェクトであるため着工が見送られてきたものばかり
である。大英断と言える。
首都高速を利用していて、以前よりもずいぶん走りやすくなったと感じないだ
ろうか。現在は部分開通ではあるが中央環状新宿線の開通効果は極めて大きいの
である。景気低迷により全体交通量が少なくなっているのは事実だが、それでも
中央環状線のない状態では、深刻な渋滞は解消されないはずである。都心環状線
の各ジャンクション、および両国ジャンクションの合流部では、これまでは基本
的に2車線同士のまま合流させていた。危険で、交通量が増えすぎた場合制御不
能になるリスクはあるが、最大交通量をさばく形態を採用していたのだ。
しかし、交通量が少なくなった現在では、可能な箇所から順次、手前で1車線
にしぼってから合流させるようにしている。さばける交通量は少なくなったが、
事故は激減している。もちろん、この交通制御によって渋滞発生回数が増大して
いるわけではない。2010年、中央環状線は大橋JCTで3号渋谷線に接続す
る。4号新宿線との西新宿JCTと違い、全方向に連絡するフルジャンクション
なので、都心方向における迂回効果は絶大と考えられる。
一般道路においても全体にスムースになっているはずである。道路状況の把握
は路線が複雑に絡み合っていて容易ではないが、かつては慢性的渋滞が多発して
いた水戸街道(国道6号)、川越街道(国道254号)、環八通り(瀬田と谷原
の間)、環七通りなどでも渋滞発生回数は少なくなっている。先述の新規開通区
間への分散により交通量が少なくなっているせいである。当方は数年前までは首
都高速以外のルートで東京を横断することは考えたことすらなかったが、その後
は時間に余裕があるときは、さまざまな一般道ルートで横断を試みている。
最近では京葉道路の篠崎ICから靖国通り、白山通り、環八通り、川越街道を
経て埼玉県和光市まで抜けたが、平日昼間で所要時間は60分程度だった。埼玉
県草加市から日光街道、昭和通り、第一京浜、山手通り、中原街道を経て川崎市
中原区に抜けたときも60分程度である。スムースに走行できたときの首都高速
ルートの2倍程度で通過できるのだ。もちろん、著しい速度超過をしているわけ
ではない。常時60分で通過できるとは言えないが、通過できる時間帯が増えた
印象はある。
交通渋滞は東京だけでなく、名古屋、大阪、広島、福岡、全国のどこにでも見
られる現象である。しかし、東京とそれ以外の渋滞では格が違っていた。渋滞距
離は同じでも通過時間に著しい差異があった。現在でも東京の渋滞は高水準であ
ることに変わりはないが、ずいぶんほかの都市における渋滞水準に近づいてき
た。東京における道路インフラの整備は効果を発揮しているのだ。
東京における数千億円から兆におよぶ大規模道路整備は、環状2号(マッカー
サー道路)、中央環状品川線、東京外環自動車道(三郷南ICと高谷JCTの
間)が鋭意進行しているが、その次は、外環道の東名高速から関越道までの区間
(世田谷JCTと大泉JCTの間)と考えられていた。全線大深度地下トンネル
構造で、おそらく東京では最後の大プロジェクトになるだろう。
(新宿と築地を直結させる都心新宿線の構想はあるが、あくまでも構想なので、
実現には解消すべき問題が山積みである。このレポートでは、実現目処がたって
いる路線とは考えない。)
現在整備中の路線の費用が膨大で、この外環ルートの着手はまだ早いかと思っ
ていたが、数年前から大深度地下の法整備や、構造見直し、沿道住民への説明な
ど地道に準備を進めていた。
ところが、霞ヶ関の政権交代により雲行きが怪しくなってきた。外環ルートの
整備費用は東京だけでまかなえるレベルではない。国家プロジェクトレベルであ
る。したがって、霞ヶ関の判断には従わざるを得ない。永遠に施工されなくなっ
たわけではないが、開通時期が遅延したことは間違いない。たとえば、2005
年に開催された愛知万博において道路だけで約1兆円が名古屋圏に投入された。
そのうち86%が東海環状自動車道(美濃関JCTと豊田東JCTの間73キ
ロ)の建設に費やされた。
費用分配の都合で万博開催には間に合わないが、東名阪自動車道の名古屋南
JCTと高針JCTの間(12.7キロ)の建設も鋭意進行させていた。名古屋
圏の交通需要だけに着目すれば、東名阪自動車道の整備を優先させるべきだが、
万博会場に直接関係する東海環状自動車道の方が優先された。
当方の私見だが、東海環状自動車道はこのような機会でもなければなかなか着
手できないが、潜在需要の大きい東名阪自動車道はいつでも建設できると考えて
いたのかもしれない。そして、万博閉幕後、日本道路公団民営化を含む道路行政
の見直しが実施され、このとき東名阪自動車道の建設は中断されてしまった。そ
の後、少ないながら建設予算をひねり出してゆっくりしたペースで建設を進めて
いる。当該区間は2010年度に開通する予定である。ちょっとした判断により
万博から5年たってしまった。ちなみに万博開催に間に合わせた東海環状自動車
道は、このとき東半分が開通したのだが、その後、2.9キロ西に延伸しただけ
で、残りの区間の開通見込みはたっていない。
外環ルートが棚上げになり、開通見込みがたたなくった。2016年の東京オ
リンピックを逃した今、進行を再開させる目処すらたっていない。
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