ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

名阪国道らしいアンバランス1



 名阪国道は、高速道路ではない。三重県四日市市と大阪市を結ぶ一般国道25
号の一部にあたる。四日市市から亀山までは、おおむね国道1号との重複区間
で、自動車専用道路ではないが、大型車が支障なく走行できるよう整備されてい
た。亀山で国道1号は鈴鹿峠を越えて滋賀県に向かうために北西に折れるが、国
道25号は伊賀方面にそのまま西進する。亀山から奈良県天理市までは山岳ルー
トで、二桁の国道とは信じがたい悪路だった。それでも、名古屋と大阪を結ぶメ
インルートではないためそのまま放置されていた。

 しかし、名古屋と大阪を結ぶ区間は、自動車による輸送の可能性を試すかのよ
うに、1964年9月6日に名神高速道路の愛知県一宮ICと兵庫県西宮ICの
間(名神ルート)が開通し、その1年後の1965年12月16日に国道25号
の亀山ICと奈良県天理ICまでが自動車専用道路として開通した。これが、名
阪国道(名阪ルート)である。名古屋と大阪の間は、国内初の高速道路である名
神高速道路だけでなく、一般国道の自動車専用道路もほぼ同じころに開通してい
たのだ。

 名阪国道よりも早い時期に開通した自動車専用道路は、1959年開通の横浜
新道、1960年開通の京葉道路(篠崎ICと船橋ICの間)、1962年の箱
根新道などいくつかの区間があるが、いずれも短距離で、73.3キロの名阪国
道の半分にも満たない。長距離輸送を担うものではなかった。開通当初は2車線
の対面通行で、名阪国道と称していても、名古屋にも大阪にも到達せず、大型車
のすれ違いが困難な山岳区間の代替ルートに過ぎなかった。名古屋と大阪の間は
名神高速道路が担い、名阪国道は名古屋と奈良、大阪と三重を結ぶ役割だった。

 1969年5月26日に東名高速道路が全通し、名神高速道路は東京と大阪を
結ぶ東海道幹線になり、交通量が増大した。名阪国道は、相変わらず名阪間の
ローカルルートのままで、東海道幹線とは言えなかった。ところが、1973年
4月1日に西名阪自動車道が開通し、名阪国道は高速道路と直結した。三重県と
大阪が自動車専用道路でつながったのだ。また、同じ日に東名阪自動車道の桑名
ICと亀山ICの間も開通した。自動車専用道路は名古屋まで、あと30キロと
いう位置まで到達している。1979年12月1日に名古屋西ICまで開通し、
名実共に名阪ルートになった。それでも名古屋西ICは名古屋市街の西端で、不
便だったため、名古屋と亀山の間は、名古屋市南部から伊勢湾岸を進む名四国道
(国道23号)が利用されていた。

 東名阪自動車道の交通量はあまり伸びることはなかった。1986年10月
27日、名古屋西JCTに名古屋高速5号万場線が接続した。名古屋都心への乗
り入れで名阪ルートの交通需要は急速に伸びた。それでも、名神高速道路には及
ばない。名古屋以東の交通が名阪ルートを利用するにはまだまだ不便である。
1993年12月3日に、東名阪自動車道は名古屋ICに到達し、東名高速道路
に接続した。この接続により名古屋以東から名阪ルートへの利便性は向上した。
それにより名神高速道路の交通量が約5%減った。わずかに5%だが、名阪ルー
トが名神ルートを補完する機能を担い始めたのだ。

 その後、伊勢湾岸自動車道の全通、新名神高速道路の開通により、名阪ルート
の東名阪区間の利用形態は大きく変わった。東名高速道路、伊勢湾岸自動車道、
そして東名阪自動車道の四日市JCTと亀山JCTを経て新名神高速道路を進む
ルートが新たな東海道幹線になってきたのだ。関東ナンバーの車両が迷うことな
く東名阪自動車道を走行するようになってきた。このように名阪ルートは、接続
する新ルートに多大なる影響を受けながら利用形態を変えている。

	◆地図1   名阪国道配置図。
  さて、名阪ルートは、巨視的に見れば単なる通過ルートなので、通過する土地
を意識する必要はないはずである。ところが、先述のように名阪国道と称される
亀山ICと天理ICの間は、一般国道の自動車専用道路として開通しているの
で、ルート内に多くの出入口を有している。亀山ICが1番で、昇順にナンバリ
ングされていて、天理ICは29番である。73.3キロの区間に平均で2.6
キロおきにインターチェンジが設置されているのだ。

 すれ違いのきつい山岳ルートのバイパスにそんなピッチでは、平坦な区間では
さらに短いピッチになる。この区間で、交通需要がありそうな都市は三重県伊賀
市だけである。もし、高速道路として施工されれば、伊賀IC、上野IC、針
ICくらいしか設置されなかったのではないだろうか。これで、ピッチは18キ
ロである。山間部の高速道路のインターチェンジ間隔としては一般的だろう。し
かし、2.6キロというピッチが一般国道たる所以で、交通量は少なくても、地
元の交通が利用しやすいかたちで整備されているのだ。 

名阪国道は、アンバランスな道路である。短距離利用の地元の交通を担うイン
ターチェンジの配置にもかかわらず、全区間を通過する交通が極めて多い実態が
ある。かつて、山陽線のローカル電車に乗って広島から岡山に向かっていた。4
人用のボックス席に靴を脱いで足を投げ出して、のんびりしていた。ところが、
広島を出発して三原駅に到着するとホームは人でごった返していた。そして、こ
のたかまりが車内に乱入し、席が埋まるだけでなく、通路もいっぱいになり、当
方は身動きができなくなってしまった。騒然とした車内のまま、岡山までの90
分を過ごした。

 山陽新幹線が架線に何かがひっかかった事故で運休になったようだ。三原から
乗車した人たちは新幹線の利用者なので、岡山まで降車するはずもない。それで
もローカル電車はむなしく各駅に止まりながらその都度ドアを開閉する。途中駅
の閑散としたホームの数人は混雑して乗れないことが信じられないという様子で
ある。新幹線の乗客は、岡山にいつ到着するのか、それを知りたい。そのため、
ここがどこなのか気にするが馴染みがない。停車ごとにいらいらが募る。それを
察した車掌は途中から岡山までの所要時間を連呼するようになった。本当は、停
車せずにノンストップで走らせたいのだろうが、さすがにそれは無理だ。

続く