ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

松原ジャンクションの変遷5




◆地図1
1970年の松原IC付近の地図。
あまり精密な地図ではないが、松原ICがシンプルな線形であることがわかる。
(「大阪市区分地図」大阪昭文社発行(1971年2月)から引用。)

◆航空写真1
1974年
(国土地理院WEBサイトから引用。)
 西名阪道路が開通して約1年を経た1970年3月、千里丘陵で万国博覧会が
開催 された。松原ICから万博会場までは大阪中央環状線で一直線である。こ
のころから 交通量が漸増するようになった。
 西名阪道路は1973年4月1日に高速自動車国道西名阪自動車道に格上げさ
れ た。特にインターチェンジの線形に変化はない。

【1979年】
 1979年3月1日、松原ICに阪神高速14号松原線が接続した。接続当時
は西 名阪自動車道方面との直通のみで、阪神高速からは一般道路を含めほかの
路線への出 入口は設置されなかった。大和川の北側の三宅R(ランプ)と松原
ICの間は西名阪 自動車道直通のみに利用される区間である。西名阪自動車道
との接続は本線の内、中 央4車線がそのまま阪神高速道路につながっている。
(◆模式図2を参照。)

◆航空写真2
1979年、阪神高速松原線接続直前の松原IC。
写真の手前が西名阪自動車道、奥が阪神高速松原線である。右は大和川だが、す
でに 近畿自動車道北行き本線の構造物が松原JCT手前まで迫っている。南行
き本線は、 敷地を大阪中央環状線南行きが使用している。

◆模式図2
1979年3月1日時点の松原JCTの路線模式図。
西名阪道路は、1973年4月1日に高速自動車国道(西名阪自動車道)に格上
げさ れている。
阪神高速松原線の接続は、1969年3月21日の西名阪道路開通時から本線を
延長 できるかたちに準備していた。阪神高速から大阪中央環状線方面への出入
口は設置さ れずに、西名阪自動車道直通の本線だけが開通した。この接続によ
り、松原ICは、 「松原IC&JCT」になった。

続く