もう一つ、厳密にはジャンクションではないが、インターチェンジの連接した
かた ちの矢吹ICを紹介する。東北自動車道の国道4号に出入りするダブルト
ランペット 型で供用した矢吹ICに、福島空港、将来は磐越自動車道の小野
ICに連絡するあぶ くま高原道路が接続した。あぶくま高原道路の矢吹ICは
シングルトランペット型で やや西にずれた位置の国道4号に接続した。シング
ルトランペット型のインターチェ ンジが連接するかたちになり、さらにあぶく
ま高原道路と東北自動車道との直通ラン プが設置されて、国道4号において全
方向に連絡するフルセットになった。
一般的に 直通ランプの線形がなめらかになるように設計されるが、なぜか矢
吹ICではおまけ のようなかたちで取り付けられた。東北自動車道からあぶく
ま高原道路へは直進ルー トで連絡しているが、逆方向は国道4号への螺旋状の
ランプを経て1回転して東北自 動車道に至る。福島空港から郡山方面に行くと
きは、さらに東北自動車道本線への螺 旋状ランプを経るためもう4分の3回転
しなければならない。高規格道路の連続利用 で、このような線形を経るのは珍
しい。(◆参考地図3を参照。)
インターチェンジの改造例をあげたが、いずれも地方で、改造は難しいもので
はな いだろう。インターチェンジ周辺に道路用地を確保するのは必ずしも容易
というわけ ではないが、少なくとも交通量は多くない。2004年5月の交通
量は、いよ小松J CTが1日あたり2669台、加治木JCTが10394
台、矢吹ICが4093台 である。いずれも本線の交通量ではなく、ジャンク
ションのランプを通過した交通量 である。
改造に伴う交通規制も大胆な手法(全面通行止めを含む規制)を採用しても
問題はない。需要からの強い要求で実施したというよりも長期的展望で大系的な
ネッ トワークを構成するための改造と言える。
需要からの要求が強いのはやはり交通量の多い都市部が際立つ。東京外環自動
車道 は本線の開通よりも複数の放射高規格道路との直通による分散効果が大き
い。ジャン クションの設置は道路用地の難しさや現交通の確保など諸々の事情
により理想型には ならないことがある。信号制御のある美女木JCTの不合理
や、大泉JCTの線形起 因の交通容量減少(東京外環道から関越道方面への螺
旋状のランプのこと)など、道 路構造の脆弱さが事故や渋滞、走行速度の低下
を招き、本来の高速道路の効果を発揮 していないケースも認められる。
都市部のインターチェンジ改造は需要に応じるための十分な施工が難しいの
で、確 保済みの道路用地の範囲で順次施工されることが多い。これは需要の変
化によるもの ではなく、沿道住民に施工を認可された路線から順に接続してい
くのである。道路の ような社会資本は需要よりもやや供給が先行するくらいが
バランスの良い状態だが、 都市部ではいくら供給しても需要に追いつかない
し、地方では遠慮して供給してもな かなか需要が追いつかない。前者は税金を
つまらないことに使わずに道路建設に回せ と言われ、後者は税金の無駄遣いと
言われる。いずれも税金の使い方の悪さが指摘さ れるのだ。
本報告では、西名阪自動車道、阪神高速14号松原線、近畿自動車道、阪和自
動車 道の4本の高速道路が接続する松原JCTの建設経緯についてまとめた。
(位置は、 ◆地図(広域)を参照。)
西名阪自動車道(西名阪道路)が松原まで開通したのは1969年3月21日
であ る。次に阪神高速松原線が1979年3月1日に直通するようになった。
そして、1 988年3月17日に近畿自動車道、1989年3月29日に阪和
自動車道が接続し た。4本が接続するまでに20年を経た。ところが、これで
完成ではない。近畿自動 車道と阪神高速松原線とのランプの追加が残っている
のだ。このランプが開通する時 期は明確ではないが、阪神高速松原線から分岐
する阪神高速大和川線が開通する時期 と同時になると考えられる。これで松原
JCTが完成する。仮に2010年に完成し たとすれば、完成までに41年を
経たことになる。(経緯は、◆表1を参照。)
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