【6 阪神高速松原線】
阪神高速松原線は環状線から阿倍野Rまでは1970年3月13日に開通したが、
阿倍野Rから松原JCTまでは1979年3月1日に開通した。阪神高速道路の放射
線では新しい方である。※
※阪神高速放射線の開通時期
1970年 3月14日 11号池田線(池田Rまで)
1971年10月 4日 12号守口線(守口R(寝屋川BP)まで)
1974年11月21日 13号東大阪線(長田Rまで)ただし、法円坂と森之宮の
間は1978年3月25日
1979年 3月 1日 14号松原線(松原JCTまで)
1970年 3月13日 15号堺線(堺Rまで)
1989年 3月14日 16号大阪港線(天保山JCTまで)
(1981年6月27日) 3号神戸線(第二神明道路まで)
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◆航空写真9
阪神高速(14)松原線
(松原市三宅中8)と三宅JCTの間
阪神高速大和川線
三宅JCTと(松原市天美北7)の間
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阪神高速14号松原線の松原JCTと三宅JCTの間は6車線で完成している。こ
の区間は大和川線と重複するため交通容量を大きく設計しているのだ。松原線のみが
開通している現在は、4車線分だけ利用している。なお、環状線方面への上り線は未
使用の路面を利用して三宅パーキングエリアが設置されている。本格的なものではな
く、ミニパーキングエリアと呼ばれている。大和川線開通により撤去されると考えら
れる。
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◆地図2
三宅Rにおける大阪第二環状線の線形。
現在は東側と北側に延びる松原線が本線で、出入口の三宅Rが南北に延びている。大
和川線が接続すると東西方向が本線になり、松原線が分岐線のような構造になる。大
和川線は大阪第二環状線に含まれるので、この構造で問題はない。ところで、三宅R
が三宅JCTになっても松原線環状線方面と大和川線の亘り線はない。
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大阪泉北線の
計画が頓挫しているので、この計画に頼らず、三宅JCTに亘り線を設置してなるべ
く早く、環状線方面と大和川線との流動を確保した方が良いと思う。三宅Rは大和川
線のクリアランスを確保した高い高架構造で複雑な橋脚で線形を構成している。
さら
に亘り線を追加するのは容易ではないが、決して不可能ではないだろう。
現在は松原線の三宅Rだけが完成しているが、構造物には大和川線とのジャンクシ
ョンを追加する準備が施されている。松原JCT方向からの松原線本線は中央に4車
線分の直進部分を挟むかたちでセパレート構造になる。環状線方面からの下り本線は
高架橋の高さにほとんど変化はないが、松原JCT方面からの上り本線は、高くせり
上がり右にカーブして、さらに高い高架橋の三宅R出口とアンダークロスして大和川
TBに向かう。せり上がりは、直進する大和川線の高架橋をオーバークロスするため
である。
この構造は、石橋方面の本線が開通する前の西湘BPの早川JCTに似ている。
また、三宅Rの出口は松原線本線をオーバークロスするために、高くせり上がる。
入口は、出口ほどではないが高くせり上がる。三宅Rは大和川線をオーバークロスす
る構造になっている。
大和川線が開通して三宅Rは、三宅JCTに変わる。三宅JCTは松原線の環状線
方面と大和川線の三宝方面が分合流する機能としてはシンプルな構造で、松原線環状
線方面と大和川線を連絡する亘り線は追加しない。
松原線環状線方面から大和川線へは、亘り線が設置される大阪泉北線を利用せよと
いうことである。しかし、大阪泉北線が頓挫しているので、早期に利便性を高めるた
めには、松原線環状線方面と大和川線を連絡する亘り線がほしい。(◆地図2を参照。)
先述のように三宅JCTは、すでに大和川線の接続を意識した構造で、三宅Rが上
空を通過するため複雑な構造になっている。しかもほとんどがコンクリート構造で、
追加改善を阻む。
くだんの亘り線を追加する場合、大和川線から松原線環状線方面へ
は容易だが、反対方向は難しい。三宅R出口を利用して途中で右カーブの亘り線を追
加すると、三宅R入口のクリアランスが確保できない。三宅R出口が大和川線をオー
バークロスした先でループ線を描いて大和川線に接続する方法も考えられる。しか
し、三宅Rの交通量は多いので、専用の亘り線を大和川上から分合流させるかたちが
良いと思う。
大和川線には、三宅JCTのすぐ西側に松原JCT方面へ相互連絡する三宅西Rが
設置される。三宅西Rは松原JCTまでの短区間しか利用できない。果たして利用し
てもらえるのだろうか。運用が気になる。大和川線西行きの本線TBは、三宅西Rの
さらに西の天美R付近に設置されるので、有料だとしても特定料金(安価)に設定さ
れるだろう。粋な計らいで無料にすればなお良いと思うが、果たしてどうなるの
だろ
うか。
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