【ウエストサイドハイウエイの崩壊】
◆広域図1のAにあたる区間は、かつては高架構造で高速道路が開通していた。1
946年(◆航空画像1)には道路用地は確保しているが、まだ高架道路が開通して
いない。1963年(◆航空画像4)には開通している。この時点でハドソン川左岸
のウエストサイドハイウエイは全通していて、71ブロック以北のヘンリーハドソン
パークウエイと連続してI95や北部の都市間高速道路に接続する。
◆航空画像4の
右下で平面交差によってブルックリン・バッテリーTN、FDRドライブに接続して
いる。ウエストサイドハイウエイの出入口はセンターランプになっていて、本線は南
方向に延長できるようになっていた。接続する道路はFDRドライブもすぐにバッテ
リーパークをアンダークロスするトンネルに進入するので、高架構造の本線を延長し
たとしてもかなりきつい勾配でトンネルに直結する斜路になったはずである
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◆画像6
ウエストサイドハイウエイ。
(「高速道路と自動車」(1981年10月発行)から引用。)
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ところが、ウエストサイドハイウエイは南端の接続部を完成させることなく崩壊し
た。メタル構造だったため海岸地帯の潮風により錆付いたということである。ハドソ
ン川の多数の突堤(バース)を結ぶかたちの高架道路は、阪神高速3号神戸線の京橋
R(ランプ)からハーバーランドにかけての景観に似ていた。
阪神高速道路の当該区
間はコンクリート構造で保守が行き届いていたため現在でも問題ないが、ウエストサ
イドハイウエイはあっけなく通行禁止になった。本線の床が落下したのだ。アメリカ
はおおらかな国なので、落下した箇所(車線)だけ通行止めにして通行させていた。
これはニュージャーターンパイクでも実施された規制で、決して全面通行止めにはし
ない。しかし、落下箇所が増えてきた。しかも下部には一般道路があるので危険極ま
りない。そのため全線通行止めになった。
通行止めにしてからの対応にはかなり時間がかかっている。まず、すべての構造物
を撤去するか補修するかという選択では、簡単に前者に決まった。メタル製の高架構
造物として当時はパイオニア的な存在で、現在の基準に比べて甘い脆弱な構造だった
のだ。
◆画像6は、撤去される前の通行止めの期間の高架構造物だが、6車線の高架高速
道路にしては細い橋脚であることがわかる。日本の高架道路は地震対策のためかなり
太くなっているが、それでもウエストサイドハイウエイの橋脚は細すぎる。また、梁
の部分もかなり薄い。
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◆俯瞰画像1
ウエストサイドST
ワールドトレードセンターから北方向をのぞむ。
(1990年9月14日 著者撮影。)
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高架構造物は撤去された。かつての広い平面道路が現れて、当分はこの道路でマン
ハッタン西部の交通を担うことになった。
◆俯瞰画像1は、その時期のウエストサイ
ド通りである。6車線の平面道路がハドソン川左岸を北上している。
◆俯瞰画像2 は、1と同様にワールドトレードセンターからの南方向の画像である。右側の空地は
マンハッタン最南端のバースを埋め立てて造成したバッテリーパークシティで、その
左側の通りの先にあるトンネルがFDRドライブのバッテリーパークをアンダークロ
スする区間である。高層ビルを隔てて左側のトンネルがブルックリン・バッテリーT
Nである。この付近の道路構造は、ウエストサイドハイウエイの崩壊前後で何ら変わ
りがない。かつては、ウエストサイド通りとブルックリン・バッテリーTNアプロー
チがT字交差だったが、バッテリーパークシティの造成により変則十字路になったく
らいである。平面交差であることには変わりがない。
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