中央ルートは縦断曲線において東名ルートとは比較にならない負い目がある。普通
車やバス、保冷車などは自動車の性能向上により走行速度は低下しないが、やはり燃
料消費は多くなる。貨物車においては不利なことこの上ない。それでも、恵那山特別
区間が普通区間化されて、通行料金が同じになれば相当な分散効果を発揮するだろう。
本来、中央自動車道は、高井戸ICから現在の中央ルートを経て小牧JCTから名
神高速道路を経て西宮ICまでの区間なのである。決して、東名高速道路と名神高速
道路で一組ではない。東名高速道路は第一東海自動車道であり、あくまでも中央自動
車道の補助ルートとして計画された。
東名ルートと中央ルートはほぼ同時に着工して
いるが、計画者から見れば中央ルートを贔屓目に見てしまう。ところが、東京と先行
開通した名神高速道路を早期に接続するには、いずれかのルートに絞らなければなら
ない。平野部の多い東名ルートが選択されたのは仕方のないことだろう。中央ルート
の初開通は、1967年12月15日の調布ICと八王子ICの間だが、東名ルート
は1968年4月25日の東京ICと厚木ICの間である。中央ルートの方が4ヶ月
早かったことが、なんとなく計画者の心意気のように思える。
しかし、このルート選択は明治期の鉄道計画と全く同じ経緯をたどっている。東京
と下関を連絡する鉄道のうち名古屋までのルートは、山岳ルートの中央線と海岸ルー
トの東海道線が天秤にかけられた。軍部からの要請により中央ルートが適切と指示さ
れたが、難工事のため名古屋までなかなか達することができない。結局、防衛上のリ
スクよりも名古屋まで連絡することが優先されて、海岸ルートを選択した。
中央ルートは信州方面と関東、中部を連絡する役目があるので、すべての交通が関
東と中部を連絡しているわけではない。それでもほとんどが関東と中部を連絡する東
名ルートに比べると交通量はほぼ半分である。道路の構造は東名ルートの方が高規格
だが一杯で、やや規格の劣る中央ルートにはまだ若干の余裕がある。
ところで、東名ルートでは第二東名高速道路の工事が進められている。ほぼ常時、
全区間で設計交通量を上回る重交通ルートなので当然の改善策である。しかし、プロ
ジェクトが巨大すぎて早期に効果を発揮できそうにもない。現在の工事進捗は、進捗
段階0の区間から本体上部工、舗装に達している区間までばらばらで、最も早いまと
まった区間での開通は、御殿場と引佐の間の静岡県内区間と考えられる。
東名高速道
路との接続地点では御殿場JCT(御殿場ICと裾野ICの間)と三ケ日JCT(三
ケ日ICと豊川ICの間)である。この区間の交通量も設計交通量を上回っているの
で不要とは言えないが、最も需要の多い渋滞多発区間である東京、神奈川、愛知の開
通見込みが立たないようでは本来の機能を発揮できない。(◆表5)
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