最後に、首都高速のパニックポイントについて記す。
環状線外回りの三宅坂分岐で、本線が4号下り線で環状線が右分岐になっているの
で、環状線を継続走行するときに戸惑うというものである。確かに、道路構造は指摘
の通りになっている。しかし、車線制御で本線が環状線で4号下り線が左分岐(実際
には直進なのでハンドルは切らなくて済む)になっているはずである。ラインが剥が
れた時期に通過したのだろうか。
首都高速の車線制御は多くのポイントで実施している。既存の道路インフラをその
まま利用して、少しでもスムースな流れにするためである。有名なところでは、6
号、7号の両国合流部がある。道路構造はそれぞれ2車線ずつが平等に合流して2車
線になるというかたちになっている。交通量が少なければそれでも問題はないが、開
通当初から渋滞が多発した。そのため、まずは安全を確保するため6号、7号ともに
合流前に1車線に絞った。しかし、これは徒にそれぞれの渋滞距離を延ばしただけで
ある。次にやや交通量の多い7号を優先させるため7号は2車線に戻した。それでも
効き目がない。6号上りの駒形入口は開かずの入口と呼ばれた。そして、6号を合流
手前で2車線に戻すようにした。6号は、2車線から右車線が絞られ、合流手前で右
車線を開放するかなり変則な制御になった。
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◆画像14
首都高速(C1)環状線、(4)新宿線、三宅坂JCT。
千代田区永田町1、国会前庭(日本水準原点)付近から環状線外回りの4号線との
分岐部(左側高架区間)をのぞむ。撮影当時は第1、第2レーンのみちなりが4号新
宿線下りで、環状線を継続走行する場合は第2レーンで右に分岐しなければならなか
った。
右側の高架下は環状線内回りで、千代田トンネルから霞ヶ関トンネルまでの明かり
区間になる。
(1983年1月29日、著者撮影。)
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◆首都高速環状線外回りのパニックポイント
図面は、財団法人首都高速道路協会発行(2002年7月)の「首都高速道路出入
口案内」から引用。
環状線外回りの三宅坂分岐は、第1、第2レーンともに環状線を継続して走行でき
るようになっている。4号新宿方面は、第1レーンからの左分岐になる。
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三宅坂の分岐は、開通当初は道路構造通り(著者の指摘通り)、本線が4号下り線
になっていた。しかし現在は、環状線が本線になるように制御されている。
首都高速の渋滞対策、事故対策で、多くの箇所で道路構造が変更されている。三宅
坂の分岐も候補にはあがったのかもしれないが、着手するという話は聞いたことがな
い。車線制御だけで十分ということだろう。もし構造に手を加えるとすれば、右側を
半地下で通過する環状線内回りの天井部分を補強して外回りの右側に梁を追加するこ
とになる。困難な工事ではないだろう。
パニックポイントでは、高速環状線が広幅員の一方通行になっている名古屋高速や
阪神高速の方が上手である。阪神高速のパニックポイント例を示すが、ほかにも複数
のポイントがある。いずれも首都高速には存在しないきびしいポイントだ。
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◆阪神高速のパニックポイント例(入口ランプから本線への合流)
図面は、阪神高速道路公団発行の「阪神高速道路案内」(2002年4月発行)か
ら引用。
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(1)1号環状線四つ橋入口から13号東大阪線東大阪方面
1号環状線本線合流後、約500メートルの区間で3回車線変更して、第1レーン
から第4レーンへ移り分流しなければならない。当該区間の1号環状線は阪神高速で
最も交通量の多い区間である。交通量は多いが、首都高速に比べてはるかにスムース
に流れている。
(2)16号大阪港線阿波座入口から16号大阪港(4号堺、5号神戸)方面
入口ランプが、そのまま16号西行き本線の第4レーンになる。ここから約300
メートルの区間で2回車線変更して第2レーンに移らなければならない。この区間は
(1)に比べて容易そうだが、赤点線のように1号環状線から3号神戸線方面への交
通量が極めて多いので、これらの第1レーンから第3レーンへ移る交通との織り込み
(weaving)が発生する。
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◆阪神高速のパニックポイント例(本線の分岐)
図面は、阪神高速道路公団発行の「阪神高速道路案内」(2002年4月発行)か
ら引用。
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1号環状線を湊町から北上して、信濃橋を過ぎるとほどなく中之島分岐に至る。中
之島分岐では1、2レーンが11号池田線への分流、3レーンが出入橋出口車線、
4、5レーンが1号環状線本線である。1号環状線は基本的には4車線の時計回り一
方通行だが、分岐合流部では車線が増える。中之島分岐では出口車線を含め5車線に
なるが、1号環状線を継続して走行する場合は、事前に右に寄っていなければならな
い。なお、11号池田線は中之島分岐後、3車線できついS字カーブになり、この区
間は車線変更禁止である。
したがって、出入橋出口を利用する場合は、きちんと1号
環状線の第3レーンに移っておかなければならない。また、1号環状線を継続する場
合でも、11号池田線上りが3車線で合流し、しばらくすると北浜分岐で1、2レー
ンが12号守口方面、3、4レーンが1号環状線になる。つまり、湊町から12号守
口方面に向か場合は、中之島分岐で第4レーンを走行し、1回でも車線変更を少なく
できるようにしておく方が無難である。ただし、この場合は11号池田線上りの第3
レーンとの合流で高速走行での譲り合いが強いられる。
入口からの本線合流、および三宅坂に類似する本線分岐について示した。一見して
三宅坂とは比較にならないきびしさであることはわかるはずだ。当方はこれらのポイ
ントをすべて走行したことがあるが、案外スムースだった。ほかの車からクラクショ
ンを鳴らされることもなかった。阪神高速は首都高速に比べて走行速度が速く、車線
変更、割り込みも1テンポ早い気がする。つまり危険なのだ。それでも特に問題はな
かった。これはどういうことなのだろうか。
ところで、三宅坂JCTは複雑なかたちの地下ジャンクションである。環状線霞ヶ
関側からは、外回りの4号分岐が高架、本線が高架から地下へ向かう。内回りは、ト
ンネル内で合流後(◆画像17)、外回りの下で半地下の明り取り区間を経て霞ヶ関
トンネルに至る。4号外苑側からは、4号上りが高架から地下トンネルに入り、トン
ネル内で環状線の各方向へ分岐する。内回り方向はトンネルのまま進行して、トンネ
ル内で合流する。外回り方向は、明り取り区間(◆画像16)を経て、再度トンネルに
入り、トンネル内で合流する。環状線代官町側は、内回り外回りが平行にトンネルに
入り(◆画像15)、双方ともトンネル内で4号と接続する。このとき内回りから4
号下りへの分岐線は、外回りを地下でオーバークロスする。したがって、内回りが浅
いトンネル、外回りが深いトンネルと段違いの2層構造になる。この関係は、霞ヶ関
側では逆転している。(内回りが深いトンネル、外回りが浅いトンネル。)
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◆画像15
首都高速(C1)環状線、千代田トンネル(代官町側)
(1984年5月17日、著者撮影。)
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◆画像16
首都高速(4)新宿線、千代田トンネルの開口部。
千代田区隼町、国立劇場および最高裁判所西側。
トンネル区間は4号上り線からC1環状線外回りへの亘り線。トンネルの直上がC
1環状線内回りから4号下り線への亘り線。この区間では、4号上り線は手前側でト
ンネル区間になり、C1環状線外回りへの分岐部を経て、弁慶堀の地上区間に至る。
4号上り線は、赤坂トンネルまで高架区間になる。
(1984年5月17日、著者撮影。)
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◆画像17
首都高速(C1)環状線、内回り千代田トンネル出口(霞ヶ関側)。
出口手前のトンネル内で、4号上り線と合流している。
正面の壁は、環状線外回り本線。
(1983年1月29日、著者撮影。)
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三宅坂JCTと皇居とは、桜田濠を挟んで近接している。皇居は深い緑地内に施設
が点在しているが、三宅坂JCTと生物学研究所の距離は500メートル足らずであ
る。トンネル構造採用されるのは当然だろう。この三宅坂JCTの地下トンネル(千代
田トンネル)は1964年8月2日に開通している。工事が行われたとされる1960
年代初頭に、これほど複雑な世界に例を見ない構造のトンネルを短期間で完成させる
ことができるのだろうか。すでに完成していたトンネルを再利用した部分もあるので
はないだろうか。
いや、もうやめよう。切りがない。
歴史は現実の積み重ねである。現実は事実である。事実には浪漫がない。それなの
に、歴史にはなぜか浪漫がある。当方は歴史が苦手だ。基本的に暗記しなければ評価
されない科目は敬遠してしまう。しかし、これはあくまでも詰め込み教育における歴
史の学習方法のことで、自ら関心を抱き追求していったものは対象にならない。
今回の報告は、あくまでも紹介された本の感想文である。この報告のために改めて
調査、追求をしたわけではない。既存の資料を元にして安易に憶測を記しただけであ
る。今後は、歴史に関わるテーマも取り上げてみたいと思う。もちろん、このときに
は自ら調査、追求することになる。
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