ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

横浜港臨港幹線道路2



【大黒本牧臨港道路】
 大黒ふ頭と本牧ふ頭を結ぶ一般道路で、1999年に起工された。
   横浜ベイブリッジを含むほとんどの区間は東京湾岸道路と重複するので、実際の起 
工箇所は東京湾岸道路へのアプローチ部である。大黒ふ頭側は、東京湾岸道路の大黒 
IC(仮称)が臨港道路に達するので独自施工箇所は少ない。本牧ふ頭側は、東京湾 
岸道路が錦町方向へ南に反れるので、山下ふ頭方面への便宜をはかるため中区新山下 
3地内に独自の道路を新設する。

大黒本牧臨港道路完成模型。
(国土交通省道路局のWEBサイトから引用。)

大黒本牧臨港道路の平面図。
(国土交通省道路局のWEBサイトから引用。)
1 大黒ふ頭側
 図1の茶色の道路が臨港道路である。大黒ICは、首都高速大黒JCTの東側に設 
置される。図1では東京方面のランプが記されていないのでわかりにくいかもしれな 
い。大黒ICのランプは首都高速大黒Rと一体になって臨港道路に達している。この 
ランプのほかに大黒ふ頭T3バース、T4バース方面へのアプローチも計画されてい 
る。

◆図1
東京湾岸道路の大黒ICの線形、および関連道路の計画図。
(国土交通省関東地方整備局横浜港湾空港技術調査事務所WEBサイトから引用。)
2 横浜ベイブリッジ
 横浜ベイブリッジの上路である首都高速の当該区間は1989年9月27日に開通 
した。長大橋について関心のある方はとても多く、文献だけでなくWEBサイトでも 
容易に多くの情報を得ることができる。本報告では横浜ベイブリッジの規格詳細につ 
いては省略するが、次の一点だけ記す。横浜ベイブリッジは2層構造で上路に高速道 
路、下路に一般道路が設置される計画だった。上下路ともに6車線が確保できる広幅 
員のスペースが準備された。ところが、建設当時の交通事情ではフル規格は不要だっ 
た。高速ネットワークの早期実現のために高速道路だけが施工された。つまり上路だ 
けが活用された。しかし、トラス構造の特性から下路空間の枠だけは施工しなければ 
ならなかった。完工当時の首都高速道路公団の報告では「国道357号は将来施工と 
なるため、構造上最小限必要な部分のみの施工にとどめている」と記している。 
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会 1989年10月))

横浜ベイブリッジ標準断面図。
(首都高速道路公団WEBサイトから引用。)

横浜ベイブリッジ側面図。
(首都高速道路公団WEBサイトから引用。)
 横浜ベイブリッジは暫定施工だったのである。国道357号、つまり東京湾岸道路 
一般部を増設する際には、現状の横浜ベイブリッジをそのまま利用することはできな 
い。いくつかの手を加えなくては開通させることはできない。
 都市部に高価な長大橋が設置される場合には、多くの交通需要を引き受けることに 
なる。道路構造を有効利用するダブルデッキ長大橋は、高規格道路としては1974 
年7月15日に開通した阪神高速の港大橋(ゲルバートラス橋)が最初である。上路 
は阪神高速大阪港線、下路は同湾岸線がそれぞれ4車線ずつで運用されている。(た 
だし、開通当初は上路の大阪港線のみの運用。)その後、鉄道とのダブルデッキの瀬 
戸大橋が開通した。首都圏ではレインボーブリッジが有名である。上路は首都高速台 
場線、下路は東京港臨港道路で、フル規格で施工されて同時に開通した。

3 本牧ふ頭側
 東京湾岸道路は東京湾を周回する目的で計画されている。そのため本牧ふ頭からは 
東京湾に沿って南側の錦町、本牧元町方向に回り込んで磯子から金沢に達する。横浜 
港の付け根方向には向かわない。「大黒本牧臨港道路」としては、独自に山下ふ頭方 
面への連絡アプローチを施工しなければならない。図2では「臨港道路本牧ふ頭連絡 
線」が横浜ベイブリッジに達している。

◆図2
東京湾岸道路の本牧側の線形、および関連道路の計画図。
(国土交通省関東地方整備局横浜港湾空港技術調査事務所WEBサイトから引用。)
 臨港道路本牧ふ頭連絡線と直交する蛇行する白線が横浜港臨港幹線道路である。本 
牧ふ頭連絡線とは平面交差になる。
 首都高速狩場線新山下Rをアンダークロスしてからは既開通道路に接続する。見晴 
橋を渡り、見晴トンネルから中区本郷町に至る。

続く