ヒマヒマバブル絶好調道の川柳・森川晃

中国自動車道VS山陽自動車道とラダーネット3



 山口南ICは、広島方面のみ連絡のハーフインターとして開通したが、2001年
に阿知須町で開催された山口きらら博の前にフル化された。現在は、山口JCTのフ 
ル化に着手している。これにより、山口南ICから山口JCT経由で中国道の広島方 
面へ連絡される。需要が多いとは思えないが、広島と山口の間の中国道と山陽道によ 
る高速道路ラダーネットワークを完璧なものにするには都合が良い。
 なお、山口南ICは小郡道路を経て、山口宇部道路まで準高速道路でつながってい 
る。つまり、山口JCTのフル化により、中国道で広島方面から山口JCT、山口南 
ICを経て、宇部市方面まですべて立体交差(信号なし)で連絡されることになる。
 
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 広島岩国道路(R2)
 大野IC付近
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会)
 1991年3月会報から引用)
広島と山口の間を通過するとき、中国道と山陽道のいずれが選択されるのだろうか。 
実際の交通量の経年変化を調査した。それぞれ、通過交通量の占める割合が多く、前 
後のICでの出入りの少ない断面を抽出した。中国道では六日市ICと鹿野ICの間 
(図1の断面A)、山陽道では玖珂ICと熊毛ICの間(断面B)である。

断面Aの交通量は、中国道の開通区間延長に伴い漸増していった。山陽道の広島と山 
口の間がつながる前の1991年には1日10000台以上が利用する重要路線にな 
った。グラフで年に1回突出しているのは8月で、これは観光道路に見られる特性で 
ある。1980年代まではこの傾向が強かったが、1990年代に入り8月以外に3 
月や9月、12月に突出する月が見られる。つまり産業道路としての特性も現れてきた。
ところが、1992年7月に山陽道がつながると、途端に山陽道へシフトしまった。 
それでも1994年くらいまでは5000台以上を維持していたが、それから漸減し 
現在の2000台に至っている。山陽道は、1994年までに一気に交通が増大し、 
1995年にやや衰えるが(阪神淡路大震災に起因)、それ以降漸増している。
 
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 山陽自動車道
 岩国IC付近
(「高速道路と自動車」(高速道路調査会)
 1993年1月会報から引用)
高速道路の交通量は、経済活動の趨勢に如実に反映される。30年前から高速道路が地域 
交通の要として定着している東名高速、名神高速では、景気低迷でピーク時の10% 
から20%減に至っている。山陽道にももちろんこの影響はあるが、中国道からのシ 
フトが数年に渡ったことや、山陽道沿線の一般道路から高速道路へのシフト、それに 
山陽道関連の一般道路の新規開通による利便性の向上により、漸増傾向が続いている。
中国道が少しずつ交通量を増やしていき、1991年に1日10000台を越えてや 
っと天下をとったのに、その2年後に山陽道から引導を渡されてローカル高速道路に 
落ちぶれたということである。全国には1日2000台以下のローカル高速道路は多 
数存在している。それらは部分開通であったり、元々産業のない過疎地であったり条 
件はいろいろあるが、共通しているのは暫定2車線で開通しているということであ 
る。政令指定都市を結ぶ幹線高速道路で、4車線のフル規格なのに2000台という 
のは、走行してみても相当に交通量が少ない印象を与える。実際に走行してみると広 
島までは対向車も含めて前後に車が1台も見えない瞬間はない。ところが、この区間 
ではこのような瞬間は結構多い。道に迷ったかと思える。山口で山陽道が合流すると 
安心してしまう。

続く