ヒマヒマヒマヒマモード東長崎外(国内)北海道

戦車兵神博行の戦争遺跡探索4
『北海道の戦争遺跡』




『騎兵連隊の跡、現在バスの整備工場』


 旭川の戦争遺跡は旧旭川第7師団の軍都だっただけに少しだけ現存する、それ
は現在も施設を利用して残されたパターンだ。
 それでも7師団のあった規模に比べれば少なく無いに等しいのかもしれない、
自衛隊第2師団が駐屯している場所は旧7師団の練兵場の場所に駐屯している、
どれくらい規模がでかかったか御判りであろう。
当時は師団司令部、歩兵26聯隊、27聯隊、28聯隊、砲兵、騎兵、輜重、工兵等々
の各兵科部隊があった。
『旧階行社、現在彫刻美術館』

 他に重要文化財として保存されている建物もある、第七師団の将校集会所であ
る階行社である。
歴史のある由緒正しい建築物だから保存の対象になったのだろう。
それと運も良かった、空襲で焼かれなかったことと、戦後長く市立郷土資料館と
して使用されていたからだ。
その頃に見学したが旧軍関係の資料は乏しかった、近くの旭川駐屯地内に素晴ら
しい『北鎮記念館』と言う旧軍関係の資料館がある。
 映画『動乱』で2,26事件の撮影がこの建物の前で行われていた。
『函館要塞跡から観光地函館山を望む』

 函館山は観光の名所で夜景を見る人々で毎日多くの人達が訪れている。そんな
函館山は戦前立ち入り禁止区域だった、要塞があったのだ。
津軽海峡を睨む28サンチ榴弾砲(日露戦争の二百三高地を攻撃したので有名)が
かつてこの山にそなえられていた。
日露戦争で実際に海峡を通過したロシア軍艦を砲撃したが全く届かなかった…、
その後昭和20年終戦まで概ねこの装備であった。
『砲座跡』

 戦後長らく放置されていた、当然戦前戦中は立ち入り禁止区域だったので内部
を良く知る人がいるとしたら当時勤務した軍人だけだ。
そのため完全な調査は難しいのではないだろうか、一部では資料もあるが海軍の
司令部もあったことが解ったのが最近だ。
『要塞跡』

 この山を回っていると中々の絶景を見れる、函館山を訪れたらこちらまで見て
みると良い。
そんなことからか、最近調査が進んでいるようだ、理由は要塞跡を観光化しよう
とする動きがあるようだ。
『要塞内』

 しかし保存したり修理したりしている所まではいっていないようだ、函館市民
の散策コースとしては良い場所になっているようだが、この地域を回っている間
殆ど人には会わなかった。
『観測所跡』

 うっかり入ると建物の老朽化と薄暗く泥が入り込んでいて危険だ。
あまり無理に回るのは危ないかも知れない、戦争遺跡がどんな形であれ保存され
後世に伝えて欲しいと私は願う、戦国時代の城や城跡は残しているのに千年経っ
て大きな戦争の遺跡が全く残っていないのは変じゃないだろうか?、いつかトー
チカも文化財になる日が来るかも知れない。

続く