この写真、中央の2人とシャミール・バサエフの関係は怪しい。
1人はロシア語喋れないアメリカ人、もう1人はかなりの人脈を持つロシア人。
アメリカ人は、シャミール・バサエフの部隊に「必要な物資を届けるための前段
階視察のために来た」と言っていた。「アメリカのビジネスマンだ」とも。
確かにアメリカンイングリッシュだ。
「シェルターとか通信施設とか、他にも必要な物の調査で・・」と。
「人道支援か?」と訊くと「人道支援も、ゆくゆくは考えてのうえで」と。
暗黙の了解でつまり「人道屋ではない」ということ。
「軍事情報支援」のようだ。
このアメリカ人、戦場にはあまり慣れてないようで、日中に地上に出てきたのは
1回のみで、そのときもかなり動きが浮いていた。ロシア人のほうがかなり
場慣れしていて落ち着いていたが、地下室からは日中は一度も出てこなかった。
この2人は、ロシア軍包囲下のシャミール・バサエフ部隊を日帰りで行き来して
いて、1回だけ1泊していったことがある。シャミール・バサエフの依頼で、こ
の2人については今までの出版媒体では一切触れていないが、バサエフ死じゃっ
たしってことで・・・。でも、顔はぼやかしておこう。
ロシア人は、マスハードフ参謀長(のちの大統領)ともアポを取りつつの移動を
していた。たまたま、グロズヌイ包囲網から脱出してきた私がシャリという町で
うろうろしていたところ、この2人組と再会し、マスハードフとも会った。しか
しマスハードフは、私のことをかなり敵意に満ちた目で見つめると、その建物か
ら出てゆくように言われてしまった。しかたなしに、私とバサエフ派部隊の
兵士2人は、トボトボとシャリの町から離れたのでした。 |