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シャミール・バサエフ戦死までの日々1




2006年7月10日、チェチェン独立派最強硬派司令官シャミール・バサエフ
が戦死した。上の写真は、戦死のときのものではなく、2000年2月、片足切
断の重傷を負ったときのシャミール・バサエフ。この写真は、バサエフの手術を
した外科医ハッサン・バイエフ提供のものをチェチェン連絡会議がスライド上映
したときのもの。
右の冬季迷彩服がシャミール・バサエフ司令官。隣は、対戦車戦闘に卓越した元
ソ連軍下士官でバサエフに、歩兵による近接対戦車戦闘の戦術アドバイスしてい
る。アドバイザー氏が手にしているのは、バサエフ部隊の虎の子兵器、対戦車密
着爆雷。磁気を改造してあり、密着力が強力になっていた。まったく灯りのない
闇夜の最前線での撮影のため目測がはずれ。ピンボケになってしまった。
だが、アドバイザー氏は、その5日後に迫撃砲の破片を頭部に受けて戦死。
これは、彼が被弾した40分後、絶命した瞬間の写真である。絶命の瞬間に、突
然、顔が蒸けたうに見えた。死んだ彼の手を握ってみると、死後2〜3分ですで
に死後硬直が始まっていた。

彼が戦死したときの戦闘を専門的に分析したことによって、バサエフ部隊の首都
攻防戦は大きな作戦変更を迎えることになる。
食事中のシャミール・バサエフ
地下指揮所のシャミール・バサエフ。
机の上にある無線機は、ドダエフ大統領との直通。

バサエフも死んじゃったしってことで、以後連載で、
バサエフ部隊の軍事作戦会議の内容、ロシアとの橋渡し兼武器商人らしき2人
組みのことなど、初公開モノを出してゆきます。

続く