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『71戦車連隊連隊旗』
戦前の旧陸軍の聯隊旗は大元帥である天皇陛下自ら聯隊旗手に手渡した神聖な
もので天皇そのものの象徴だった、そのため軍旗を失うことは絶対に許されな
かった。
歴史ある聯隊旗はポロボロになり房と竿のみになっている、旗手は軽くて良かっ
たろうが責任は重く大変だったことだろう。
自衛隊の連隊旗は一応最高司令官たる内閣総理大臣から渡されるらしいが防衛
庁長官が代理で渡しているかも知れない、ひょっとしたらその代理の代理が渡し
ているかも知れない。
その程度のものだろう、だから戦闘になっても命懸けで連隊旗を死守するよう
な愚行はしないと思う。 |
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『戦車連隊の90戦車』
戦車に乗ると埃まみれになる、防塵マスクが欲しいくらいだ。
雨が降るとパウダー状になった砂は泥々となり歩くと靴が汚れる程度じゃなく靴
がぬかってしまう。
だから半長靴の上にオーバーシューズを私物で買う、専用のオーバーシューズは
官品じゃないので死の商人いや失礼、出入りの民間業者から買う。
『加藤商事』だ、
北海道中の駐屯地を回って自衛隊で使う用品を売る。
演習グッズに始まり、戦車眼鏡覆いとか訓練用品を製造販売している。
とても高いがとても便利な物を売っている、なくてはならない業者です。 |
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『戦車連隊』
精強な戦車連隊だが私が在隊時72戦車連隊は『必勝連隊』と自称していた、ち
なみに73戦車連隊は『最強連隊』だった。
『地上最強の戦車を動かすことの出来るのは戦車隊員だけだ』と連隊長が訓示
していた、今日も地上最強の戦車を駆って訓練している。
『バカ特』 |
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『105ミリ牽引砲』
バカ特と言う言葉がある、特科の隊員のことだ。
特科の隊員には大変失礼な言葉だ、初めてこの言葉を聴いたのは新隊員前期教育
の時だ。
真冬の北海道の朝、朝食に行こうとしていたら上半身裸の隊員達が大声を出し
ながら走って来た、『バカ特だ!』と班長が言ったの初めてだった。彼等は特科
の陸曹候補生達だった、真冬の雪が降る中上半身裸とは気合いの入った陸曹候補
生だ。 |
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『155ミリ自走榴弾砲の空砲射撃』
その後戦車部隊に配属になり駐屯地には特科のいない戦車ばかりの駐屯地のせ
いか『バカ特』の言葉は1,2回しか聴いていない、先輩が大型免許を取得する
のに他職種と一緒に教育を受けた時の話を聴いた時に少しだけ聴いたのを覚えて
いる。 |
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『203ミリ自走榴弾砲』
後に真駒内で勤務した時には頻繁に『バカ特』と聴くようになった、もちろん
特科の隊員が自分達で言わないから特科以外の隊員達が陰口で言うのだった。
しかし特科の人間がバカばかりとはとても思えない、弾道計算等高度な能力も
必要な砲兵がバカばかりなはずは無い、私なりに推測してみたい。 私の経験で
は特科の隊員と接触する機会は駐屯地の臨時勤務とか集合教育とかしか機会は無い。
大型免許取得の教育ではたくさんの特科の隊員と友人になった、バカ特の名に
恥じないバカも確かに存在したが、それとは逆の優秀な隊員もたくさん存在した。
しかしバカの方が余りにも目立つし印象に残る、他にも理由がある。
臨時勤務、特に糧食班の勤務は中隊でも勤務員に出す場合はバリバリの隊員は出
来るだけ出したくないものだ。
それじゃあどんな隊員を出すかと言うと『いらない隊員である』。 |
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『新多連装ミサイルシステム』 |