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『72戦連3中90TK』 昭和末期に北海道大演習場で『新戦車』の寒冷地訓練が実施されていた。その 戦車の操縦手席の窓にワイパーがあると聞いて驚いたものだった、74式戦車には ワイパーは無く泥濘地を走行すると泥が跳ね窓が泥で真っ黒になり密閉操縦して いると操縦席は真っ暗闇になってしまう、前は全く見えない。 当然大雨が降っていても操縦席のハッチを開け半密閉状態で窓をトイレットペー パーで拭く、ウエスだと泥で塗りたくった状態で直ぐにダメになるのだ。 新戦車を初めて見た時丸みのある74式戦車と違い四角張った形に新しい時代の 戦車のような気がしたものだった。 |
『71TKの90TK』 当時日本では戦後国産初の戦車61式戦車がまだ現役で走っている時代だった、 九州出身の先輩が帰郷すると『最新鋭の戦車が入った』と地元の同期に言われ見 に行くと74式戦車だったので驚いたと言っていた。 そんな時代のこと、我々戦車乗員が履帯交換の作業をしながら新戦車についてあ れこれ話をしていた。 『今度の戦車は自動装填で装填手がいらないんだと、3人乗りだってよ』『だっ たら一番下は操縦手か』 『余った奴等はどうなるんだ、新兵からいきなり操縦手はないだろう』 『そりゃ戦車にはすぐに乗せないさ』 履帯のコネクタのネジの穴に詰まった土をマイナスドライバーで除きながら『コ ネクタの土取り専門陸士とか、演習になれば警戒員専門、穴掘り専門とか後方要 員になるんじゃないか? いくらなんでも4人でも大変な作業を3人じゃ無理だろうから』と話していた、 現実は乗員3名が定員となり、人員は削減された。 運用をしらない理論家が机上で作った計算じゃ戦争には勝てんよね。 もっとも戦争することを考えているような日本じゃないけど…。 |
『戦車連隊』 日本で唯一の機甲師団である第7師団には3個戦車連隊が基幹となっている、 通常の師団では普通科連隊が基幹になっている。 戦車連隊は戦闘団となる、通常の師団では普通科連隊が戦闘団を組み緒職種混成 で編成される。 現在戦車連隊は第2師団の第2戦車連隊の他は機甲師団の71戦車連隊72戦 車連隊そして即応予備自衛官のコア部隊となった73戦車連隊がある。 |
『戦車連隊の90式戦車』 機甲師団の戦車連隊は第7師団の7戦車大隊を71戦車連隊を改編した他は、 第1戦車団の第2戦車群を72戦車連隊に第3戦車群を73戦車連隊に改編した。 北海道の北恵庭駐屯地には昭和末期1個戦車群2個戦車連隊が駐屯しており、 戦車部隊のメッカと言われた、ちなみに機甲科教育のメッカは駒門である。 |
『72戦車連隊2中隊の90戦車』 私は新隊員の後期教育を72戦車連隊で受け72連隊の戦車中隊に配属された、駆 け足スキー中隊と言われるくらい走る中隊で持久走と冬季戦技に命懸けの中隊 だった。 連隊が銃剣道で日本一になったこともあり、銃剣道にも熱心な連隊だった。 |
『行進中の90TK』 演習場と駐屯地が90メーター道と呼ばれる道路で繋がっているので訓練も頻 繁に行われた、真駒内の11戦車大隊とは随分違う訓練環境だった。 |
『北恵庭駐屯地から北大演へ行く90メータ道』 この道は高速道路の上に戦車橋が架かっており運が良ければ高速道路から戦車が 走行しているのが見えるかも知れない。 橋を渡る時は増減速してはならない、戦車の重量が橋に負担をかけるので、増 減速すると戦車がギヤチェンジする瞬間軽くジャンプするような衝撃を橋に与え てしまうからと教えられた。 戦車が渡れる橋は少ない。 |
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