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以上のように、サーガは、『エピソード2/クローンの攻撃』で、前作にも増 して客観性を欠いた、独善的かつ強権的な作品に様変わりした。 この変節の背後には、いったい何があったのだろう。 2001年1月、米国ではジョージ・W・ブッシュ新政権が発足し、それまでの クリントン政権の対話路線を覆した。 この年の3月、ブッシュ大統領は、温室効果ガスの削減を先進国に義務づけ た、京都議定書の不支持を表明し、国際社会の顰蹙を買った。 また、日本でも、同年2月に、沖縄米軍最高幹部が沖縄県知事らを電子メー ルで侮辱した事件や、えひめ丸事件で、米国の傲慢な態度に非難が集中した。 米国は慢心に陥り、よその国のことなど、まったく気にもかけない様子であ った。 そして、同年9月11日、米国で未曽有の歴史的重大事件、同時多発テロが起 こる。 この日を境に、米国社会は急激に保守化していった。その変化は、事件直後 から顕著に現れた。 |
2000年末の大統領選では、ブッシュとアル・ゴアが異例の大接戦を繰り広げ、 フロリダ州の票の集計で揉めに揉めた挙げ句、公式にはブッシュが辛うじて僅 差で逃げ切った。 しかし、その票集計については、ブッシュの大統領就任後も疑惑の目が向け られ、米国の主要な報道機関が共同で、独自にフロリダ州票の再点検を実施。 その結果が、2001年9月下旬に発表される予定だった。 ところが、同時多発テロの勃発で、事態は一変した。この調査を主宰した米 大手報道機関のグループが、結果の発表を延期したのだ。 票集計の採点検は、現職大統領が、正当な民主主義の手続きを経て選ばれた 人物であるか否かを検証する、重大きわまりない問題だった。とくに民主主義 を標榜し、その総元締めとして君臨する米国にとっては。 しかし、大手報道機関グループの一員、米紙『ニューヨーク・タイムズ』は、 9月23日付のコラムで、同時多発テロの衝撃が、いかに米国の政治を大政翼参 会化させてしまったかを指摘し、標集計の再点検問題は「現在、まったく意味 のないものになったようだ」と評した。 翌日、同紙は、ニューヨーク在住の一読者から寄せられた、このコラムに対 する抗議の手紙を掲載した。その手紙は、「米国民は、報道機関からタイムリ ーな時期に、どのような内容にせよ、真実を与えられるべきだ。とくに、この ような時にこそ」と結ばれていた。 |
にもかかわらず、大手報道機関はテロ直後の結果発表を見合わせた。結局、 11月に、フロリダでもブッシュが勝利していたことを公表したが、それまで世 界の”報道の自由”の御手本を自負していた米国メディアの堕落を、浮き彫り にした事件であった。 しかも、先述したように、米国メディアは1990年代半ばから、真剣な海外報 道を怠ってきた。 米国民は、同時多発テロが起こるまで、いかに米国が外国に圧力をかけ、ど んな影響を及ぼしているか、その結果いかに米国が外国から憎悪されているか をきちんと知らされてこなかったのだ。 海外のニュースといえば、異文化をオモシロおかしく伝えた記事が増え、事 実、渋谷のヤマンバ・ギャルの写真と記事を第一面に掲載した有力紙さえある。 まともな判断力が働けば、とても第一面に掲げるようなネタではないのだが。 外交や海外の政治を真正面から取り上げた記事が減少し、好景気に浮かれな がら、享楽的な報道ばかりに触れていた米国民にとって、同時多発テロは文字 どおり晴天の霹靂であり、必要以上に不当な行為に感じられたに違いない。 テロが起こった後でさえ、ある米大手紙は、海外の軽い話題を掲載し続けた。 テロで意気消沈している米国民に楽しい話題を提供したいのだろうが、これで は、テロ後の米国の強権的な動きが米国民に伝えられないという悪循環が続く だけである。 |
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