活動ゴジラ・怪獣関連特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観+α

特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観

『スター・ウォーズ』サーガの変節と米帝国主義の肥大 2-5



 『エピソード1/ファントム・メナス』は、ちょうど米国のITバブル期に製
作された。どこの国でも、バブルの時代にはカネ余り現象が起こり、人々の憧
れや欲望は退廃的な贅沢に向かうものだ。
 日本でも、バブル期には、欧米の高級ブランド志向が定着し、東京ディズニ
ーランドをはじめとして、オランダ村やグリュック王国など、欧米志向のテー
マパークが次々とオープンした。

 米国人にとってのヨーロッパは、ちょうど日本人にとっての欧米にあたる。
 ヨーロッパは、彼らの憧れの地である。国力は勝っていても、米国人はヨー
ロッパに対して文化的劣等感を抱いており、とくに、米国には存在しない貴族
という階級には、反感とともに強い魅力を感じている。
 この作品が、ヨーロッパの貴族趣味への傾倒を見せたのも、決して偶然では
あるまい。
 
 旧三部作では、ラフなアウトローのハン・ソロが、古き良きアメリカの自由
と反骨の精神を発散していたが、新三部作では、彼のような下層出身者はメイ
ンのキャラクターに入っていない。
 アナキンとその母は奴隷だが、アナキンは9歳にして騎士の修行者となり、
母親も気品に満ちた女性として描かれている。
 つまり、新三部作では、主な登場人物のすべてが、社会的に身分の高い、体
制側の人間なのだ。
 このへんも、全編に貴族趣味と権威主義的雰囲気が漂う理由のひとつだろう。
 ところで、新三部作では、旧三部作の2作目から監督を退いたルーカスが、
監督に返り咲いている。
 やはり、ルーカスも齢を重ね、『スター・ウォーズ』は自分のものという執
着を強めたのかもしれない。サーガの保守化は、ルーカス自身の精神的老化と
も無関係ではなかろう。
 もっとも、これだけ各カットに合成を多用すると、いくら腕がよくても、も
はやふつうの監督の手に負えないのも事実である。

 1954年の日本初の怪獣映画『ゴジラ』の撮影も、身長50メートルの怪獣がど
んなシロモノなのか誰も想像がつかず、なかなかうまくいかなかっという。俳
優にあそこにゴジラが出ると目線を指示しても、ゴジラ自体は後で合成される
ので、撮影現場には何もない。俳優たちは、何もない空間を見て演技をしなけ
ればならず、しかも監督を含め、怪獣映画は初めての経験だったので、相当戸
惑ったらしい。
 新三部作は合成だらけで、撮影は闇の中を手探りで進むような状態だ。これ
だけの合成をこなせるのは、最先端の特撮技術に慣れた監督のみ。かといって、
スピルバーグやキャメロンに撮らせるわけにもいかず、やはりルーカス自身に
落ちつくのが妥当、といったところなのだろうか。

つづく