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翌2002年、日本政府は米国同時多発テロの追い風に乗って、25年来の 悲願である有事法制に向け、一気に動き出した。近年、世論もようやく危機管 理の必要性を認め始め、10年前の湾岸戦争時とは隔世の感がある。しかし、 日本人の思考は、依然として内向きに硬直したままだ。危機とは、何も、戦争 や災害ばかりを指すのではない。5月8日に中国の武装警官が、日本総領事館 に駆け込んだ北朝鮮住民を連行した事件は、日本の危機意識の低さを露呈した。 豊かな国の在外公館に難民が駆け込む事件は、世界中で発生している。経済 大国を自認するならば、日本はその責任についてもじゅうぶん自覚し、予めこ のような事態を想定して、対策を練っておくのは当然のこと。外交を担うため に海外に赴任した外交官が、人権尊重という世界の潮流にまったく無頓着で、 でくの坊のようにつっ立っている光景は目も当てられない。 |
さらに、狂牛病対策など、このところお上の失態続きである。これだけ危機 意識や想像力、責任感、判断力が欠落しているところを見せつけられると、や はりマニュアルをきっちり定めておかなければ、イザという時に、彼らはまっ たく動かないのではないか、と不安になってしまう。また逆に、今までのよう に、なし崩し的に、行きあたりばったりに自衛隊を動かすことにも戦慄を覚え る。 今回の有事法制にしても、真正面から「防衛」を議論することを避けている ようで、警報の発令や避難の指示など、国民の保護をはじめとする重要事項の 法整備を先送りにした。このあたり、ゴジラ映画の避難民役のエキストラ参加 歴2回の私としては、非常に気になるところである。もし本当に何か起こった ら、自衛隊は、映画のように頼もしく機敏に、冷静かつ整然とわれわれを誘導 してくれるのだろうか? |
荒唐無稽とはいえ、『ゴジラ』とその子孫たちは、戦争とはまったく無縁の 日本で、さまざまな危機的状況や不測の事態、葛藤や対立の構図、防衛のかた ちを提示してきた。原点『ゴジラ』から受け継いだ奇想天外なモチーフを用い ながら、時にシリアスに、時にコミカルに、時にシニカルに、平和の中で生ま れ育ったわれわれに向けて、いつどこで何が起こるかわからないのだよ、と警 告を発し続けてきたのである。とくに近年、内外の情勢を見ると、フィクショ ンと現実の距離が加速度的に接近しているように感じられる。なのに、日本は 相変わらず、冷戦時代に紡がれた心地よい繭の中で、まどろんでいるようだ。 日本の危機管理の現状は、『ゴジラ』とその子孫たちの世界観に、遠く及ばな いのである。 Many thanks to Mr Kenjiro Kato for providing me with crucial information and Ms Hiroko Morohashi for her warm moral support. |
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