活動ゴジラ・怪獣関連特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観+α

特撮ファン・常岡千恵子の怪獣史観

『ゴジラ』の知られざるルーツとその子孫たち<2>



 それにしても、『ゴジラ』は、なぜこうもリアルなのか。ひとつには、モノ 
クロの画面が、いかにも昔のドキュメンタリーっぽい、重厚な雰囲気を醸し出 
している点が挙げられよう。だが、何よりも重要なのは、作り手たちの脳裏に、 
太平洋戦争という日本史上最大の危機の記憶が鮮烈に残されていたという事実 
だ。作品全編に、戦争の暗い影が垂れ込めているといっても過言ではない。 

 まず、ゴジラは原爆の化身であるとともに被爆者であり、破壊者でもある。 
行く先々で放射能をまき散らし、おまけに放射能の付着した足跡を残していく。 
劇中、何度となく登場するガイガーカウンターが、妙に生々しい。とくに、特 
設病院で医師が避難民の子供にガイガーカウンターを向ける場面は、1999 
年の東海村臨界事故のニュース映像を彷彿とさせる。さらに、ゴジラの東京襲 
撃シーンは、さながら東京大空襲のようである。夜の闇の中で破壊の限りを尽 
くす、凶暴な大怪獣。ゴジラが大暴れする銀座で、恐怖におののきながら座り 
込む母子。母親が、「もうすぐお父ちゃまのところに行くのよ」と声を震わせ、 
幼い子供たちを抱きしめる。子供の年齢が低すぎるなどとヘリクツをこねるマ 
ニアもいるが、その姿は、どう見ても、戦争で夫を失った未亡人だ。夜が明け、 
ゴジラによる破壊の跡を映し出した映像は、空襲の焼け跡の記録写真そのもの!
 また、恐るべき科学兵器・オキシジェン・デストロイヤーの発明者・芹沢大 
助も、戦争によって顔に傷を負った犠牲者である。不運な彼は、思いを寄せる 
女性を主人公の若い男に奪われ、さらにまだ未完成の危険な発明の使用を迫ら 
れて、絶望の淵に突き落とされる。人類に拭い難い不信感を抱く彼は、自分の 
発明がゴジラ退治に使われれば、世間にその存在が知れて、悪用されるのでは 
ないか、と苦悩する。原爆という最新科学兵器の恐怖を身をもって知ったばか 
りの、当時の日本人なればこその、迷いだともいえよう。 

 そして、非常事態時の社会の動きが、包括的に再現される。怪獣映画定番の 
市民の避難やメディアによる報道はもちろんのこと、最初にゴジラが上陸した 
大戸島の島民たちが災害陳情団を組んでバスで国会に乗り込んだり、国会で公 
聴会や専門委員会が開かれたり、世界各国の調査団が来日したり、被災民のた 
めの病院が特設されたりと、さすが、戦争をナマで体験したばかりの人々の発 
想は違う、とうなってしまう。全国で「平和への祈り」が開催され、少女たち 
の合唱がテレビ中継されるあたりも、いかにも戦時中の雰囲気が漂う。現に、 
2001年9月11日のテロの後にも、米国では被害者救済コンサートが開催 
され、全米に生中継されている。また、国会での論争とメディアの報道の描写 
に、大本営発表への批判を感じてしまうのは、うがちすぎであろうか?
 国会専門委員会で古生物学者がゴジラについての報告を終えると、ある委員 
が、政治・経済・外交への影響も大きいので情報の公表を控えるべきだ、と発 
言。これに対し女性議員が、「何を言うか! 重大だからこそ公表すべきだ!」 
と猛反発する。半世紀も前に、情報公開の論争を描いているところがすごい。 
と同時に、戦争の悪夢が醒めやらぬこの時代においては、ここまで踏み込むこ 
とは当然だったのかもしれない。また、命がけでゴジラの東京襲撃を生中継す 
る報道陣も、天晴である。巨大な怪物がテレビ塔に歩を進めても一歩も辞さず、 
「右手を塔にかけました! ものすごい力です。いよいよ最後! さようなら、 
みなさん、さようなら!」と決死の報道を敢行。現在の平和ボケ日本のテレビ 
局ならどうするだろうなどと、ついよけいなことを考えてしまう。 

 一般市民の何気ない会話も聞き逃せない。たとえば、電車の中の女性が、 
「原子マグロ」や「放射能雨」に言及しながら、ゴジラの襲来を嘆く。さらに 
彼女は、「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な体なんだから」と芸 
が細かい。「そろそろ疎開先でも探すとするかな……」と応じる男性の言葉に 
も、ハッとさせられる。
 しかしながら、何といっても、最も強烈に戦争のイメージを放つのは、ゴジ 
ラの東京襲撃の場面。夜の帳に包まれた都市の大破壊映像は、圧巻だ。戦後日 
本初の特撮大作であるにもかかわらず、その描写力は、確実に当時の米国映画 
を凌駕していた。これも、本土攻撃を受け首都を破壊された国と、そうでない 
国の違いなのだろうか。炎の海と化した街に救急車が出動し、人々が逃げまど 
うシーンは、まさに実体験から滲み出た映像である。身長50メートルという 
巨大な怪獣の攻撃は、空襲と同じく、高い位置から下に向けて行われる破壊行 
為である。つまり、ゴジラの視点は飛行機の視点に近く、一般市民の視点は、 
空から攻撃を受ける者のそれだ。このふたつの視点を基本に、モノクロならで 
はの重厚な画面、創意工夫を凝らしたカメラワークと照明、精巧なミニチュア 
が、ゴジラの巨大感を遺憾無く表現。その臨場感とリアリティは、今もって日 
本映画史上最高のものだ。それにしても、日本の映画界は、いつの間に、これ 
ほど高度な特撮技術を蓄積したのだろうか?

つづく