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ゴジラと自衛隊・50年目の決別 2

(報告:常岡千恵子)

  さて、ゴジラ映画の目玉である特撮はといえば、50周年のお祭りに
ふさわしく、十数種の怪獣が登場し、豪華絢爛な怪獣プロレスを披露し
てくれる。
 日本伝統の着ぐるみ怪獣とミニチュアをメインに据えながらも、従来
の着ぐるみ特撮とはまったく違う、テンポの早い、ダイナミックなアク
ションを堪能できる。

  怪獣造型では、作品全体のシャープなイメージに沿ったデザインがな
され、スーツ・アクターがなるべく機敏に動けるよう、スーツを大幅に
軽量化したのに加え、稼動部分に余裕を持たせるなど、工夫を凝らした。
  ミニチュアは、とくに上海の街並みが絶品!

  さらに、照明も従来の円谷英二のカラー作品より暗くて深みがあり、
初代ゴジラの精緻な照明を再現しているようだ。
  1954年のモノクロの『ゴジラ』で、あれだけ繊細で微妙な照明を
駆使した円谷英二は、怪獣映画のカラー化にあたり、全体をピーカンに
照らす手法を採用し、以来、これが東宝特撮の基本となってしまった。

  全般的に色調を抑えた映像は、50年前の『ゴジラ』をシリーズ最高
峰と拝む私としては、涙モノである。
  白状すると、個人的には、ピーカンで平面的な『空の大怪獣ラドン』
より、シブくて奥行きのある、大映の『大魔神』の特撮のほうが好みだ
ったりする。(おっと、特撮マニア・タブーの、円谷英二批判! しかし、
批判なくして前進はありえないのだ!)

  日本の特撮に関しては、2002年に本サイト掲載の『ゴジラの知ら
れざるルーツとその子孫たち』において記したように、もともと戦意高
揚映画という危うい分野で技術発展を遂げた。

http://www.higashi-nagasaki.com/z/gz_2002_103.html

  だが戦後日本では、見事にその暗い過去を振り切り、新たに人類に核
の恐怖を警告する娯楽映画を支える技術として、大々的に活用された。
  日本の怪獣映画は、荒唐無稽ながらも、常に人類の愚かさを描いてき
た。

  ところが、1990代半ばから、微妙に変化の兆しが現れた。
  それまでの怪獣たちは、善でも悪でもない、強大な破壊者として描か
れ、自衛隊と対峙していたが、1995年公開の『ガメラ』から、自衛
隊と協力して、悪玉怪獣と闘う正義の怪獣が台頭し始めた。
  1996年公開の『ガメラ2 レギオン襲来』は、ドラマの印象が薄
く、ほとんど自衛隊の視点のみから描いた、無味乾燥な有事シミュレー
ションだ。

  1999年には、ゴジラの生みの親の円谷英二が創立した円谷プロが、
陸上自衛隊の広報ビデオを制作するに至った。

  特撮というものは、科学技術と同様、諸刃の剣である。
  政府のプロパガンダの道具となるか、秀逸な大衆娯楽を実現させる魔
法となるか、すべては使い方ひとつにかかっているのだ。

  どうやら、2002年に、前出の円谷プロの動向を、特撮の忌まわし
い先祖返りと見るのは早計だとした私の読みは、甘かったようだ。

http://www.higashi-nagasaki.com/z/gz_2002_106.html

  ゴジラ・シリーズ最終作と同時期に公開された、円谷プロ製作の映画
『ULTRAMAN』は、航空自衛隊のパイロットが主人公である。
  この作品は、随所にマニア心をくすぐる仕掛けが散りばめられている。

 ウルトラマン・ザ・ネクストのデザインを、初代ウルトラマンの企画
過程でボツになった"レッドマン"に似せたり、空から謎の赤い球体と
青い球体が飛来する(赤はウルトラマンで、青は宇宙怪獣ベムラー)、
『ウルトラマン』第1回の「ウルトラ作戦第1号」のストーリーをなぞっ
たり、航空自衛隊を辞めた主人公の再就職先の民間航空会社の名前を、
『ウルトラQ』に登場する"星川航空"と同じ名前にしたり、また、同
社の社長と従業員の氏名を『ウルトラQ』の主役の3人トリオに重ねた
り……。

  ところが、その見せ掛けとは裏腹に、その内容は、かつて円谷英二が
打ち立てた"ウルトラ・シリーズ"の原則をことごとく覆すような、自
衛隊宣伝映画だ。

  まず、ウルトラ・シリーズで活躍する部隊は、軍隊だろうが警察機構
だろうが、すべて架空の部隊であった。
  とくに円谷英二が直接関わった初期ウルトラ・シリーズは、作品の舞
台を未来に設定し、超現代的なメカで子供たちに夢を与えた。
  それが、なぜ今、現実の政府機関である自衛隊を登場させるのか?

  さらに、円谷英二は、お茶の間で楽しめる怪獣というコンセプトを念
頭に置き、グロテスクで不快なデザインを徹底的に排除した。
  その結果、近年、初期ウルトラ・シリーズの怪獣たちは、芸術作品と
しても一目置かれるようになった。
  また、各種の表現にも細心の気を配り、子供たちに必要以上の恐怖を
与えぬように配慮した。(それでも、ストーリーが鋭すぎて、一生のト
ラウマになってしまったが)

  ところが、映画『ULTRAMAN』では、グロテスクな怪獣やキモイ描
写のオンパレードなのである。
  これは、2004年秋に放映開始された『ウルトラマンネクサス』も
同様で、CGを駆使して、思いっきりグジョグジョな表現を子供たちに
見せつけている。

  加えて、怪獣に襲われた人間が口から血を吐いて倒れるなどの、ホラ
ー映画も真っ青のシーンが登場し、ウルトラマン視聴者の主流をなす、
4〜5歳児にどういう影響を与えるか、心配になってくる。

  また、『ウルトラマンネクサス』でも、部隊の戦闘行為が終わる際に、
陸上自衛隊用語である「状況終了」というセリフを用いたり、自衛隊の影
響が色濃く感じられ、ブッソウだ。
  しかもこの番組は、全体のトーンが殺伐として、暗いムードに覆われ
ている。

 さらに、洋の東西を問わず、正義のヒーローには秘密がつきものとは
いえ、『ウルトラマンネクサス』に登場する部隊のTLTは、まるです
べてを隠蔽することを推奨するかのような団体だ。
  こういう番組を観て育つ子供たちは、間違いなく、非民主的な秘密主
義国家を形成するようになるであろう。

  以上のように、怪獣や正義のヒーローは、今やすっかり堕落の一途を
たどっている。

 そして、2005年に目を向けると、さらに驚愕の事実に突き当たる。

 何と、ゴジラが去ったとたんに、戦後日本の日陰者だった"軍隊もの
邦画"が、一挙に5本も公開されるのである!!

 自衛隊の全面協力で製作中の『亡国のイージス』、『戦国自衛隊154
9』をはじめ、これまた海上自衛隊の協力を得た『ローレライ』、懐古
趣味に走りそうな『男たちの大和』、総理になれる可能性が失せ、ます
ますヒステリー度を上げる石原慎太郎シナリオの特攻賛美映画『俺は、
君のためにこそ死ににいく』。

 いずれも、"男臭くて"、"銃後の母"を奨励するような、時代錯誤な
作品になりそうな気配。

 他の先進諸国では、第2次世界大戦によって、女性の社会進出が大き
く推進され、現在では女性軍人の活躍も目覚しいが、なぜ日本だけが世
界の潮流に逆行するのだろう?
 日本の男性がそんなだからこそ、出生率の低下に歯止めがかからない
のが、わからないんだろうか?

 チマチマした軍隊ものなんて、ゴジラの大破壊の美学に比べれば、ゴ
ミみたいなもんである。
 そこで美化されるのは、義理人情の男の世界、つまり、とてもじゃな
いが合理的な世界には通用しない、一人よがりの勝手な思い込みだ。

 自衛隊の国際化が求められる今、こんなものばかり公開されては、再
び60年前のようなトンチンカンをやらかしそうで、気が気ではない。

つづく