イラク南部に派遣される日本の兵士たちは、連合軍のパートナー
が暴動で攻撃を受けても、助けることを禁じられると、日本の防衛
庁長官が発言した。(注:以上の冒頭文は、原文の全訳)
訪欧を直前に控えた石破防衛庁長官は、英軍は日本の兵士からの
軍事的な助けを期待すべきでないと語った。
英国と日本の兵士がともに動くのは、1945年の帝国陸軍の武
装解除以来になる。
戦後の平和憲法の下では、自衛隊は、自己防衛もしくは、保護下
にある民間人を守る場合しか、武器の使用を許されていない。
もし攻撃された場合、彼らはオランダ軍か英軍に助けを求めるだ
ろう。
もし連合軍のパートナーが攻撃されても、彼らは行動が起こすこ
とは法的に禁じられている。
石破氏は、「英軍が、日本の助けに頼ることは不可能です」と述
べた。
日本の官僚は非公式にこの制約に気後れを感じており、石破氏は
与党自民党内の憲法改正の動きに対する支持を表明した。
彼は、「日本は、おカネを出す以上の方法で、世界の平和に貢献す
るべきであり、日本の国益に寄与するべきです。憲法改正は、日本
の平和にとってプラスだと思います。このような事柄を他国に任せ
きりにすることはできません」と語った。
。。。。。。。。。。。。。
かなりシビアな内容だと感じられる方もいらっしゃるだろうが、
英軍が自衛隊を助けてあげるかもしれないのに助けてもらえないの
は、厳然たる事実である。
これまでの記事をご覧になってもわかるように、世界の目は厳し
い。
日本では、露骨な対立や衝突を避けるために、物事を曖昧に表現
することが多い。しかも、善意から出た発言や行動は、結果を伴わ
なくても"悪気がない"として許される。
だが、ひとたび海を渡って外国に行くと、そのような甘えは通用
しない。
「イラク人を助けてやっているのに、文句を言うなんて」と感じら
れる方もいるだろうが、目に見える成果がなければ、お愛想の口約
束や、その場かぎりの社交辞令が誤解を招き、逆恨みされることだ
ってあるのだ。
日本政府が復興支援を派手に宣伝し、約束したのならば、なおさ
らである。
約束を守らないといえば、米国に対しても、日本政府は曖昧にか
わすことが多い。
高度成長期の貿易交渉でもそういう話はよくあったが、たとえば
1996年にまとまった普天間飛行場移設でも、日本はいまだに代
替地を決めることすらできず、米国を苛立たせている。
ところが、日本の大手メディアは、米国の圧力を批判するか、地
元の移設反対運動に焦点を絞ることが多く、できもしない約束を交
わした日本政府の無責任を厳しく追及する姿勢はあまり見られない。
日本の大手メディアは、官僚や政治家と家族のように仲良く密着
して取材するが、お役人が眉間にシワを寄せて、「うーん、米国が無
理難題を押し付けてきて……」なんて唸ると、よよよと同情しちゃう
んだろうか。
その上、日本の大手メディアは、国際的な話題でも、たとえば英
米政府など外国の当事者に直接取材することが少なく、情報源を日
本の官僚だけに頼り、彼らの見解を一方的に伝えがちだ。
"当事者に当たれ"は、ジャーナリズムの基本じゃなかったっけ?
ところで、日本は、国連安保理常任理事国入りを目指しているら
しいが、はたしてドライでシビアな世界各国を相手に、調整役が務
まるかなぁ。
国際的に大きな責任を負えば、"国際標準"のジャーナリズムの標
的になる。
自衛隊の諸君、これしきの批判でアタフタしては、常任理事国の
資格はないゾ。現に、米軍なぞは、日本のメディアに叩かれ続けて
いるではないか!
しかも、日本は国際貢献において、まだまだ若葉マークの初心者
なのだ。批判を封じることなく、失敗から学んでこそ、真摯な初心
者というものである。
失敗の隠蔽を重ね続ければ、政府そのものが滅亡の危機に瀕する
ことを、60年前にたっぷり学んだはずであろう。
そもそも政府というものは、どこの国の政府でも、失敗を隠蔽す
る傾向にある。それを公にするのが、メディアに課せられた責務で
はなかったか?
さて、次回からは、もっとワクを広げ、「大手英米メディアの自衛
隊報道」として、さまざまな記事を取り上げたい。
|