なかなか正直に書いている。民家で拘束中に、外からの「襲撃
して助けてほしいか?」という男の声に対して安田氏は「助けて
ほしい」と回答、30分後にもう一度やってきたその男は、身柄
拘束されてしまった。
「襲撃して助ける」とは、安田氏を助けるために、1つの余計な
戦闘が起こり、死傷者が出るということ。自分が助かるためなら、
シリア人の命なんかどーでもいい。
収容施設のある場所の地名を特定するための会話を安田氏は、
他の囚人とのあいだで何度かしていたことにより、安田氏の会話
相手となっていた囚人たちが、安田氏の独房の前で全員拷問され
ている。収容側のこの「見せしめ拷問」という行動から「ジャバ
ル・ザウィーヤという地名は信憑性高いのではないか」と、ジャ
ーナリストとして冷静だ。
「見せしめとして他人を拷問」は、そうすることで、安田氏が心
を痛めることを期待したものと思われるが、ジャーナリストは情
報を得るためなら、他人の痛みなんかどーでもいい。心を痛めた
というふうな記述はなく、見せしめ拷問に関しては「ゲームだ」
と思うことにしたと。
ひとつでも多くの情報を得て、無事日本へ帰れてメディアに
発表し仕事にもなった安田氏は、ジャーナリストとしては優秀だ
とおもう。
カトケンが、戦争当時者たちのことを気にしてしまうのは、根
っからの戦争好きだから。その大好きな戦争を演じてくれてるの
は、愛すべき当事者たち。戦争は、極悪人からかわいそうな被害
者まで、いろいろな立場個性な人たちによって構成されてる。戦
争の中にいる彼ら1人1人のすべてがカトケンにとって愛すべき
尊重に値する戦争構成要素なのだ。アクターだ。
友人でもある安田純平氏には申し訳ないが、友人ジャーナリス
トによりも、見ず知らずの戦争構成要素人(=戦争当時者)の方
に情が深いかも。とはいえ、ジャーナリストとしては高く評価し
てるよ、友人としての甘ったるい擁護はしないけど。
(加藤健二郎) |