ヒマヒマなんとなく感想文|

シリア拘束安田純平の40か月

(加藤健二郎 2018.12)


 なかなか正直に書いている。民家で拘束中に、外からの「襲撃 して助けてほしいか?」という男の声に対して安田氏は「助けて ほしい」と回答、30分後にもう一度やってきたその男は、身柄 拘束されてしまった。

「襲撃して助ける」とは、安田氏を助けるために、1つの余計な 戦闘が起こり、死傷者が出るということ。自分が助かるためなら、 シリア人の命なんかどーでもいい。

 収容施設のある場所の地名を特定するための会話を安田氏は、 他の囚人とのあいだで何度かしていたことにより、安田氏の会話 相手となっていた囚人たちが、安田氏の独房の前で全員拷問され ている。収容側のこの「見せしめ拷問」という行動から「ジャバ ル・ザウィーヤという地名は信憑性高いのではないか」と、ジャ ーナリストとして冷静だ。

「見せしめとして他人を拷問」は、そうすることで、安田氏が心 を痛めることを期待したものと思われるが、ジャーナリストは情 報を得るためなら、他人の痛みなんかどーでもいい。心を痛めた というふうな記述はなく、見せしめ拷問に関しては「ゲームだ」 と思うことにしたと。

 ひとつでも多くの情報を得て、無事日本へ帰れてメディアに 発表し仕事にもなった安田氏は、ジャーナリストとしては優秀だ とおもう。

 カトケンが、戦争当時者たちのことを気にしてしまうのは、根 っからの戦争好きだから。その大好きな戦争を演じてくれてるの は、愛すべき当事者たち。戦争は、極悪人からかわいそうな被害 者まで、いろいろな立場個性な人たちによって構成されてる。戦 争の中にいる彼ら1人1人のすべてがカトケンにとって愛すべき 尊重に値する戦争構成要素なのだ。アクターだ。

 友人でもある安田純平氏には申し訳ないが、友人ジャーナリス トによりも、見ず知らずの戦争構成要素人(=戦争当時者)の方 に情が深いかも。とはいえ、ジャーナリストとしては高く評価し てるよ、友人としての甘ったるい擁護はしないけど。

                       (加藤健二郎)


続く