復興支援ビジネスによって、強者と弱者がさらに分断されている現実は、仙台という震災バブルな後方支援拠点からだと見えやすい、という。
日本は「開発主義」型によって、経済全体が向上すれば、下々の庶民の生活も
良くなるという経済発展をしてきたため、貧困層に直接支援をする福祉スタイル
が薄い国だという。「個人個人が1万円多く持ったところでちょっといい思いできるだけだが、100万人×1万円=100億円にまとまれば、地域経済基盤を
良くできる」という掛け声の下に。カトケン建設マン時代にも「福祉を与えるよ
りも、ショボくてもいいから仕事を与えた方が、本人にプライドを与える」とい
う考え方が強かった。
つまり日本は、仕事に就けない貧困者に寄付をするという文化が乏しい。それは、努力すれば多くの人は仕事にありつけて収入を得れるはず、との感覚が強
く、失業者に対しては、怠け者という目で見る国民性だから。文中では、政府や
企業がブラックで弱者に対して冷たいと断罪しているが、収入保障されてる政府
役人よりも、過酷な自由競争を勝ち抜かなければならない一般庶民の方が、福祉に対しては冷たい。
ちょっと気になったことは、この本の共著者6人全員が、1983〜1990年生まれの若者であること。ここに、開発主義でうまい人生をやってきた中高年層vs若者、の断絶があるのだろうか、ということ。
本の論調として「著者たち自身の支援活動は良いことやってるのに、他がけしからん」的なところが目立つが、現場事情を知りたければ、このような活動家本人の書いた告発本に頼るしかないのが、日本ジャーナリズムの現状のようだ。
バグパイプ公演というお気楽な形で被災地を60回以上訪れているカトケン隊の功罪は、この本によると、いかなる位置づけにあるものか?
バグパイプお気楽被災地旅団の記録 |