|
「イラク戦争最前線」加藤健二郎 アリアドネ企画 |
加藤氏の本は擬音が目立つ。「ドカーン」「ズギューン」。第一印象は、漫画のようでやや稚拙な感じだった。内容には稚拙さは全くなく、事実を惜しげもなく記しているので、もったいないと思った。ところが、何冊か読んで、なんとなくこの擬音には意味があるような気がしてきた。そして、今回確信した。擬音は戦場における主な情報源なのである。 戦場は、昼間に間近で見られるということはない。大抵は夜間で遠方か、従軍して間近にいたとしても何らかの遮蔽物で守られていている。肉眼ではっきり確認できる機会は少ないのではないだろうか。したがって、視覚以外の感覚で状況を把握しなければならない。このとき聴覚が最も役立つような気がする。 ある種のメカニックに詳しい人はその音を聞くだけで機種や運転状況が把握できる。自動車や飛行機、旋盤、比較的音に変化のないコンピュータでも少しは把握できる。戦場にはさまざまな兵器が導入されている。加藤氏の本にはそれらの機種だけでなく機番まで記されている。軍事に疎い当方には理解できないが、精通者には有効な情報だろう。これらの判別には音が関わっていると考えられる。逆に言えば、ほとんどは音で判別するしか方法がないような気もする。兵器を販売しているところではなく、戦場では実戦で使用されるのだから、多くの兵器は高速に移動している。航空機の通過はまさにその通りで、旅客機と異なり機体に迷彩が施してあったり、高空を通過したりして、基本的に正体がわからないようにしている。昼間ならば小さな機影を確認できるかもしれないが、夜間は音しか判断できるものがない。また、爆発物については、一瞬の炸裂なので、閃光以外は音しか判断できない。もちろん、間近の場合は防護のための遮蔽物で閃光も確認しにくい。銃撃は爆発物と同様だろう。戦車、装甲車は比較的ゆっくり走行するので肉眼で確認しやすいが、これらもいつ銃撃を開始するかわからないので、やはり何らかの遮蔽物は必要である。それに、前提として戦場という一触即発状況では取材する側も身を隠して機敏に動かなければならない。のんびり傍観しているわけにはいかない。音は重要な感覚なのである。※1 本という体裁では、音と機番を一覧で表現することは難しい。かといって音を記録してCD−ROMにしてもマニアックすぎる。事実を表現するためのリアルな情報源として擬音を記すスタイルで満足していたい。 さて、今回のイラク戦争に関わる報道にはアメリカ、イラク双方において肝心なところを隠蔽しているような気がした。報道されるのはアメリカ従軍の郊外の戦闘直後、およびCBD地区からの望遠が多かった。(この報道は人道主義の被災地、被災者の報道ではなく、戦闘そのものの報道に絞っている。)アメリカの目的は、イラク(バグダッド)のCBDを制覇することである。本当に激しい攻防はCBDの外郭線上で繰り広げられるのではないだろうか。従軍取材はあくまでも戦闘後に安全が確認されてからの報道であり、CBD地区はある意味中立地帯での報道である。もちろん、CBD地区における外出は制限されているので正攻法では取材できないのだが、作者は揶揄対象だった人間の盾をうまく利用し、外郭線の取材をしている。 ※1 高部氏、加藤氏ともに使命ではなく、自己の興味対象としてリアルな戦場を体験している。ところで、華やかな報道の世界において戦場は都合の良い題材なのだろうか。本来、報道は事実だけを伝えて、受ける側に判断を促すものである。しかし、受ける側は自分で判断せずにキャスターの発言に委ねる傾向があるような気がしている。ニュースからニュースショーになっているのだ。この分野は新聞の社説やNHKのニュース解説などで、報道にポジティブな人だけが享受していた。解説では明確に報道する側の姿勢を示しているが、ポジティブな人たちはそのまま鵜呑みにせず、あくまでも参考にしていた。ニュースショーが主流になり、鵜呑みにする人が多くなっているのではないのか。しかも受ける側の要求は多様化、過激化している。マスコミはそれを安易に反映している。何か間違っていないか。 |