ヒマヒマ呑気な国境 | インフラ海外拠点イラク

ヨルダン・イラク(サダム・フセイン時代)




イラクへの入国管理事務所。
ここで、スタンプが押される。

隠し撮りではありません。
こんな撮影もオーケーだったのが、サダム・フセイン時代末期のイラク。
中央やや右の光輝いてる建物は、持ち込み外貨チェックの事務所
国境には夜に到着したのだが、朝になってしまった。
通過に時間がかかるほうが「国境の思い出」としては存在感大きいね。
ヨルダンから、家財道具満載でイラクへ帰国するイラク人家族たちの車が続いてる
こっちは、イラクから原油を積んでヨルダンへ出るタンクローリー群。
新車を積んだトレーラーが、ヨルダンからイラク領内へ。
サダム政権崩壊後、米軍統治下で、まだそれほど荒れてなかったイラクでは、
新車の売買が盛んに行われていたことは、知られているが、
米軍侵攻前から、状況は、こうだったのである。

売買されてた新車は、たぶん、イラクの治安が悪化する前に、傷つけないように
イラク国外に持ち出されたことでしょう。
「ニュース映像で、新車が映ってる場面を見たことがない」と、イラクで稼ごう
としてた商社マンは述べていた。


これら、撮影は、2002年12月14日。
>>当時のイラク入国手続き
>>サダム・フセイン政権崩壊の3週間後の、イラク・ヨルダン国境

続く